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遠山政徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
遠山政徳
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝2年(1674年
死没 元禄16年5月13日1703年6月26日
改名 三八郎(幼名)、政徳
戒名 泰巌院殿竜光雲山大居士
墓所 神奈川県鎌倉市の光明寺
官位 従五位下内膳正
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
陸奥湯長谷藩
氏族 堀氏内藤氏
父母 堀直行本多政朝
遠山政亮
内藤政貞
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遠山 政徳(とおやま まさのり)は、江戸時代前期から中期にかけての大名陸奥国湯長谷藩の2代藩主。官位従五位下内膳正

生涯

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延宝2年(1674年)、堀直行堀直景の次男)の次男として誕生した。子のない先代藩主・遠山政亮の養嗣子となり、元禄3年(1690年)に叙任する。元禄6年(1693年)に政亮が死去したため、元禄7年(1694年)1月23日に家督を継いだ。生涯独身で正室も子もなく、元禄16年(1703年)5月13日に30歳で死去する。死後、家督は養嗣子の内藤政貞土方雄賀の次男)が継いだ。

系譜

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父母

養子

脚注

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