遠山政徳
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 延宝2年(1674年) |
死没 | 元禄16年5月13日(1703年6月26日) |
改名 | 三八郎(幼名)、政徳 |
戒名 | 泰巌院殿竜光雲山大居士 |
墓所 | 神奈川県鎌倉市の光明寺 |
官位 | 従五位下・内膳正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 陸奥湯長谷藩主 |
氏族 | 堀氏→内藤氏 |
父母 |
堀直行、本多政朝娘 遠山政亮 |
子 | 内藤政貞 |
遠山 政徳(とおやま まさのり)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。陸奥国湯長谷藩の2代藩主。官位は従五位下・内膳正。
生涯
[編集]延宝2年(1674年)、堀直行(堀直景の次男)の次男として誕生した。子のない先代藩主・遠山政亮の養嗣子となり、元禄3年(1690年)に叙任する。元禄6年(1693年)に政亮が死去したため、元禄7年(1694年)1月23日に家督を継いだ。生涯独身で正室も子もなく、元禄16年(1703年)5月13日に30歳で死去する。死後、家督は養嗣子の内藤政貞(土方雄賀の次男)が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子