内藤政業
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文5年(1740年) |
死没 | 文化8年3月29日(1811年5月21日) |
改名 | 銀一郎(幼名)、政業 |
別名 | 亮長、葛山(号) |
墓所 | 神奈川県鎌倉市の光明寺 |
官位 | 従五位下播磨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
藩 | 陸奥湯長谷藩主 |
氏族 | 内藤氏 |
父母 | 内藤政醇、黒田直邦娘 |
兄弟 | 政業、政勝 |
子 | 貞幹 |
内藤 政業(ないとう まさのぶ)は、江戸時代中期の大名。陸奥国湯長谷藩5代藩主。官位は従五位下・播磨守。
略歴
[編集]元文5年(1740年)、4代藩主・内藤政醇の長男として誕生[1]。寛保元年(1741年)、父の死去により2歳で跡を継ぐ。宝暦5年(1755年)11月に徳川家重に御目見し、宝暦6年(1756年)12月に叙任する。正室や実子がいないため宝暦11年(1761年)11月14日、養子・貞幹(徳川宗直の六男)に家督を譲って隠居した。隠居した理由は不明である。
文化8年(1811年)3月29日、死去[2]。一説には明和6年(1769年)に死去したとも。
系譜
[編集]父母
養子