赤桐操
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赤桐 操 あかぎり みさお | |
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生年月日 | 1920年6月5日 |
出生地 | 千葉県銚子市 |
没年月日 | 2010年6月21日(90歳没) |
出身校 | 千葉県立匝瑳高等学校 |
所属政党 |
(日本社会党→) 社会民主党 |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 |
第21代 参議院副議長 | |
在任期間 | 1992年8月7日 - 1995年8月4日 |
選挙区 | 千葉県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1974年7月8日 - 1998年7月25日 |
赤桐 操(あかぎり みさお、1920年6月5日 - 2010年6月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。参議院議員(日本社会党→社会民主党)。参議院副議長。
来歴・人物
[編集]千葉県銚子市出身。千葉県立匝瑳中学校卒業後、銚子郵便局に就職した[1]。1946年に同局の従業員組合の委員長に選出された。1949年、全逓信従業員組合(日本郵政公社労働組合の前身)の千葉地区本部書記長、1960年には県労働組合連合協議会議長に選出されて1974年までの14年の間務めた[2]。
1974年の第10回参議院議員通常選挙に千葉選挙区から日本社会党公認で出馬し初当選。連続当選4回。党参議院議員会長などを経て、1992年8月から1995年8月まで参議院副議長を務めた。1998年政界引退。同年11月勲一等旭日大綬章受章[3]。
2010年6月21日、多臓器不全のため死去、90歳没[4]。死没日をもって正三位に叙される[5]。
選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
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当 | 第10回参議院議員通常選挙 | 1974年7月7日 | 千葉県地方区 | 日本社会党 | 462,738 | 25.4 | 1/6 | - | - | |
当 | 第12回参議院議員通常選挙 | 1980年6月22日 | 千葉県地方区 | 日本社会党 | 613,762 | 30.6 | 2/5 | - | - | |
当 | 第14回参議院議員通常選挙 | 1986年7月6日 | 千葉県選挙区 | 日本社会党 | 616,764 | 29.8 | 2/8 | - | - | |
当 | 第16回参議院議員通常選挙 | 1992年7月26日 | 千葉県選挙区 | 日本社会党 | 448,838 | 28.9 | 2/7 | - | - | |
当選回数4回 (参議院議員4) |
脚注
[編集]- ^ 毎日新聞千葉支局・編『ちば人国記Ⅱ』p.173 毎日新聞社 ISBN 4620306665
- ^ 毎日新聞千葉支局・編『ちば人国記Ⅱ』p.174 毎日新聞社 ISBN 4620306665
- ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
- ^ “元参議院副議長の赤桐操さん死去 90歳”. 朝日新聞. (2010年6月22日). オリジナルの2010年7月27日時点におけるアーカイブ。 2022年11月17日閲覧。
- ^ 『官報』第5359号11頁 平成22年7月22日号
関連項目
[編集]- 広中和歌子 - 1998年の第18回参議院議員通常選挙における後継候補(民主党・社民党など推薦)
議会 | ||
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先代 小山一平 |
参議院副議長 第21代:1992年 - 1995年 |
次代 松尾官平 |
先代 小笠原貞子 |
参議院懲罰委員長 1989年 - 1990年 |
次代 久保亘 |
先代 栗原俊夫 |
参議院逓信委員長 1978年 - 1979年 |
次代 矢田部理 |
先代 福間知之 |
参議院災害対策特別委員長 | 次代 安永英雄 |