コンテンツにスキップ

楠本正隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
楠本西洲から転送)
楠本 正隆
くすもと まさたか
生年月日 天保9年3月20日1838年4月14日
出生地 肥前国大村藩岩船
没年月日 1902年2月7日
前職 外務大丞
所属政党 (無所属(1890 - 1892)→)
(同盟倶楽部(1892 - 1894)→)
立憲革新党(1894 - 1896)→)
進歩党(1896)
称号 男爵
勲一等旭日大綬章

日本の旗 第3-5代 衆議院議長
在任期間 1893年12月15日 - 1896年6月8日
天皇 明治天皇

在任期間 1893年11月26日 - 1893年12月15日
衆議院議長 星亨

当選回数 4回
在任期間 1890年7月2日 - 1896年

在任期間 1875年12月19日 - 1879年12月12日
テンプレートを表示

楠本 正隆(くすもと まさたか、天保9年3月20日1838年4月14日) - 明治35年(1902年2月7日)は、肥前大村藩の武士、明治期の政治家男爵大久保利通の腹心として知られた。

来歴

[編集]

肥前大村藩士・楠本直右衛門正式(60石)の長男として玖島城下の岩船に生まれる。藩校五教館の監察、頭取を務めた。中老として尊攘倒幕運動で活躍し、渡辺昇ら「大村藩勤王三十七士」の一人として知られる[1]

1868年、徴士として新政府に出仕。長崎府判事兼九州鎮撫使参謀助役をつとめ、1870年明治3年8月)に外務大丞1872年(明治5年)5月に外務大丞を経て、同年5月24日新潟県令として就任する[2]1875年(明治8年)11月7日の離任までの間、大川津事件を鎮定、柏崎県を新潟県に併合、第四国立銀行設立など県の近代化に尽力した。日本初の国立市民公園の白山公園を開設する。その他、県議会の開設や地租改正推進などに努め、大久保からは「天下随一の県令」と賞された。

1875年(明治8年)6月に、政府が地方官会議を東京に開催し、その幹事長となる。同年8月に内務大丞に転じ、同年12月19日に東京府権知事を兼任する。1877年(明治10年)1月22日に府政に専念し、東京府知事となる[2]

料理店、待合、船宿、魚市場、野菜市場に府税を賦課し、道路橋梁を改修。市区改正(大区小区制を廃止し、府内を15区6郡に)などに成果を残した[2]

1879年(明治12年)12月12日に知事を退任し、同年元老院議官となる。1889年(明治22年)東京市会議員となり、同年東京市会議長となる。

1889年(明治22年)12月から1890年(明治23年)10月まで元老院副議長を務め、1890年(明治23年)に衆議院議員に当選し[2]、同年10月20日、錦鶏間祗候となる[3]1893年(明治26年)に衆議院副議長となる。後に、星亨の議長不信任案が可決され、同年衆議院議長に就任した[2]。政党活動を通じて立憲改進党などを組織し、都新聞社主や社長も務める[2]など、民権の伸張や政界刷新に努めた。

1896年(明治29年)6月5日、維新の功により男爵を授けられる[2][4]。同年、議員を辞職。その後、錦鶏間祗候を拝命。

1902年(明治35年)死去。享年65。

栄典

[編集]
位階
勲章等

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 旧楠本正隆屋敷”. 【公式】長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット. 2021年12月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 楠本正隆 | 近代日本人の肖像”. www.ndl.go.jp. 2021年12月15日閲覧。
  3. ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
  4. ^ 『官報』第3880号、明治29年6月6日。
  5. ^ 『官報』第678号「賞勲叙任」1885年10月2日。
  6. ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
  7. ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
  8. ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。
  9. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
  10. ^ 『官報』第3811号「叙任及辞令」1896年3月16日。
  11. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、542頁。

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]
  • 肖像 - 国立国会図書館
議会
先代
星亨
日本の旗 衆議院議長
第3-5代: 1893 - 1896
次代
鳩山和夫
先代
曾禰荒助
日本の旗 衆議院副議長
第3代: 1893
次代
安部井磐根
先代
柳原前光
日本の旗 元老院副議長
第7代: 1889 - 1890
次代
(廃止)
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
楠本(正隆)家初代
1896年 - 1902年
次代
楠本正敏