中島又五郎
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中島又五郎 なかじま またごろう | |
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生年月日 | 1851年 |
出生地 |
日本 越前国南条郡武生 (現福井県越前市) |
没年月日 | 不明 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 | 自由党 |
選挙区 | 東京府第3選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1894年9月 - 1897年12月25日 |
第15・16代 東京市会議長 | |
在任期間 | 1900年1月16日 - 1901年1月20日 |
在任期間 | 1899年6月15日 - 1900年1月16日 |
京橋区会議長 | |
その他の職歴 | |
京橋区会議員 ( - ) |
中島 又五郎(なかじま またごろう、1851年(嘉永4年12月[1])- 没年不詳[1][2][3])は、明治期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)、東京市会議長、東京弁護士会長。
経歴
[編集]越前国南条郡武生(福井県南条郡武生町、武生市を経て現越前市)で、福井藩越前府中領主本多家家臣・中島無二の二男として生まれる[3]。1871年(明治4年)関義臣に随行して上京し、法律を修めた[3]。
1877年(明治10年)3月、代言人試験に合格し[3]、1878年(明治11年)8月、京橋区で法律事務所を開設した[3]。1882年(明治15年)自由党に入党し[3]、1883年(明治16年)福島事件で検挙された平島松尾の弁護人を務めた[3]。また、東京代言人組合副会長、東京弁護士会長にも在任した[1][2][3]。
1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(東京府第3区、自由党)で当選し[3][4]、衆議院議員に1期在任した[1][2][3]。東京市会議長時代の1902年(明治35年)3月27日、大審院において収賄事件で重禁錮2月、罰金5円の実刑判決を受けて議員を失職[5][6][7]、これにより正五位返上を命じられる[8]。
その他、京橋区会議員、同議長、東京市会議員、 内務省北海道局長、憲政党幹事嘱託、東京市会副議長、東京農工銀行監査役などを務めた[1][2][3][9]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(福井県第3区、1890年7月、自由党)次点落選[10]
- 第2回衆議院議員総選挙(東京府第3区、1892年2月、自由党)落選[11]
- 第3回衆議院議員総選挙(東京府第3区、1894年3月、自由党)次点落選[11]
- 第4回衆議院議員総選挙(東京府第3区、1894年9月、自由党)当選[4]
- 第5回衆議院議員総選挙(東京府第3区、1898年3月、自由党)次点落選[4]
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』444頁。
- ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』316頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『福井県大百科事典』667頁。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』66頁。
- ^ 東京市公民会始末 二八頁
- ^ 東京市公民会始末 三一頁
- ^ 東京市公民会始末 七十頁
- ^ 官報 1902年6月21日 三七二頁
- ^ 東京都議会議会局議事部庶務課『東京都議会議員略歴集録』東京都議会議会局議事部庶務課、1968年、122頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』42頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』2頁。
参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『東京都議会議員略歴集録』東京都議会議会局議事部庶務課、1968年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。