コンテンツにスキップ

幸斉たけし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平田満 (歌手)から転送)
幸斉 たけし
Takashi Kousai
出生名 平田ひらた みつる
別名 原 みつる
平田 満
生誕 (1947-08-08) 1947年8月8日(77歳)公称[1]
出身地 日本の旗 日本
学歴 北海道札幌工業高等学校 卒業
ジャンル 歌謡曲 コミックソング 演歌
職業 歌手ソングライター
活動期間 1968年 - 1979年(歌手) / 1968年 - 現在(作曲家)
レーベル テイチクレコード 1968年
日本コロムビア 1970年
キングレコード 1971年 - 1979年
事務所 田辺エージェンシー
共同作業者 藤本卓也
彩木雅夫
浜圭介
旧メンバー 原みつるとエリートメン
原みつるとシャネル・ファイブ

幸斉 たけし(こうさい たけし、1947年8月8日 公称[1] - )は、日本の歌手ソングライターである。本名は平田 満(ひらた みつる)[2]、歌手としての芸名は平田 満(ひらた みつる)(「エリートメン」「シャネル・ファイブ」時代の旧芸名は原 みつる(はら みつる))である。1976年(昭和51年)、東北弁ラップの先駆『愛の狩人』のみのヒットを持つ、いわゆる「一発屋」として知られているが、のちに平田がセルフカヴァーした木立じゅん1968年(昭和43年)のヒット曲『484のブルース』の作詞・作曲者である。

略歴・人物

[編集]

1947年(昭和22年)8月8日(公称[1])、北海道札幌市に生まれる。

1968年(昭和43年)、テイチクレコード(現テイチクエンタテインメント)から木立じゅんがリリースしたシングル『484のブルース』に作詞・作曲した表題曲を提供したことが、現在、歌謡史に現れる平田の最初の記録である。同曲は、当時の所在地「苗穂町484番地(現札幌市東区東苗穂2-1-5)」にあった札幌刑務所を歌った歌詞が問題視されて「放送禁止歌」とみなされた。のちのソロデビュー後に平田は同楽曲をセルフカヴァーしている。木立のシングルのB面はテイチクの巨匠・上原げんとの実弟上原賢六の楽曲『無情の薔薇』で、AB面ともに、札幌の伝説の無頼・「雁来のバラ」こと荏原哲夫1924年 - 1956年)を歌ったものであった。

1971年(昭和46年)7月、キングレコードに移籍し、「原みつるとシャネル・ファイブ」として、藤本卓也作詞・作曲の表題曲をもつシングル『稚内ブルース』でデビュー、同年、同名の2枚組のカヴァー中心のアルバムをリリースした。翌1972年(昭和47年)にはおなじく藤本の作詞・作曲による『信ずる他にない』、のちに五木ひろしカヴァーする『港の五番町』をリリースする。1973年(昭和48年)には、平田が作詞・作曲したシングル『ハッキリ小唄』をリリース、これが平田の作家デビューとなる。同年、平田作曲によるシングル『くやし泣き』をリリースする。1975年(昭和50年)、ライヴ・アルバム『シャネル・ファイブ・イン・サッポロ』をリリースし、「原みつるとシャネル・ファイブ」のレコードリリースは終了する。

1976年(昭和61年)2月5日、作詞・作曲時に用いた筆名平田満に芸名を変え、シングル『愛の狩人』でソロデビューする。同作は、オリコンチャート最高順位21位のヒットとなった。同年10月に発売されたソロ・サードシングル『もしもお許し願えれば女について話しましょう』はヒットせず、ジャケット写真の衣裳もバックのホリゾントも、『愛の狩人』とまったく同一のものが使用されている。バックバンドは「シャネル・ファイブ」である。同年、アルバム『愛の狩人』を「平田満+シャネル・ファイブ」名義でリリースした。

『愛の狩人』等の作曲の金野孝は作曲家浜圭介の本名であり、編曲の土持城夫は『男どアホウ甲子園』(作詞佐々木守、1970年)の作曲者であり、平田隆夫とセルスターズハチのムサシは死んだのさ』(作詞内田良平、作曲平田隆夫1972年)の編曲者として知られる。作詞の本野丈弾は、JASRACにも信託しておらず、平田の4曲しか作詞をした形跡がない。正体不明である。本野が作詞した『愛の狩人』も、『もしもお許し願えれば女について話しましょう』も、かつてヒットした洋画のタイトルを借用している。前者はマイク・ニコルズ監督の1972年の作品『愛の狩人』、後者はエットーレ・スコラ監督の1964年のデビュー作、1字違いの『もしお許し願えれば女について話しましょう』である。

東村山音頭』を志村けんに先駆けて正調でリリースしたとの説が流布しているが、これは誤り。平田ヴァージョンの発売は1976年6月21日、志村ヴァージョンの発売は9月1日と確かにリリースは平田が先だが、バラエティ番組「8時だョ!全員集合」における同曲の登場は1976年3月6日であり、志村のほうが早い。いずれにしても、近田春夫ハルヲフォンのデビュー盤が『FUNKYダッコNo.1』(1975年)であったことにも象徴される、当時のキングレコードの得意とする企画盤である。なお、平田ヴァージョンはオリコンチャート最高順位65位を記録している。

1977年(昭和52年)に「シャネル・ファイブ」がシングル『ヘイ! マダム』をリリースしたが、これに平田が参加したかどうかは不明である。楽曲は提供していない。1979年(昭和54年)には、平田が作詞作曲した前述の楽曲のセルフカヴァー『484のブルース』をシングルリリースしている。

平田はJASRAC会員であり、全信託作家である[3]。現在、平田の歌唱音源でCD化されているものは、『ビューティフルサンデー』と、シャネル・ファイブ時代の『稚内ブルース』、『信ずる他にない』、『白い慕情』、『港の五番町』、『くやし泣き』、カヴァー楽曲の 『長崎は今日も雨だった』のみである。また作家としての音源は、木立じゅんおよび松方弘樹の歌う『484のブルース』が音源がCD化されている[4]

2001年(平成13年)5月16日に発売された山川豊のシングル『泣かないで』に収録された、『放浪路』(作詞菅麻貴子)の作曲を「幸斉たけし」名義で行ったのが、同名義での最初の仕事である[3]。2005年(平成17年)11月23日には、同名義で作曲した大石まどかの『冬のれん』(作詞仁井谷俊也、編曲石倉重信)がシングル発売され、2010年(平成22年)3月17日には、同名義で作曲した新沼謙治『銀河の町から』(作詞幸田りえ、編曲石倉重信)がシングル発売されている[3]。現在札幌市中央区に「幸斉音楽事務所」を構えており、2012年(平成24年)2月18日には、札幌のライヴハウスで、同事務所主催によりシャネル・ファイブの再結成ライヴを行った。

近年は新沼謙治、走祐介、西尾夕紀に詞・曲を提供している。

ディスコグラフィー

[編集]

シングル

[編集]

初期提供楽曲

[編集]

「原みつるとシャネル・ファイブ」時代

[編集]

ソロ時代

[編集]

アルバム

[編集]

楽曲収録CD

[編集]
  • 昭和のうた5 -昭和41年 - 61年- (1989年1月21日発売、キングレコード K30X-355)
    • 収録楽曲 『長崎は今日も雨だった』
  • ムードコーラス・スペシャル 秘密のカクテル (2001年発売、東芝EMI GSD-7501 - GSD-7506)
    • 収録楽曲 『港の五番町』『くやし泣き』 - VOL.4 (GSD-7504)
  • ディスコ歌謡コレクション キング編 (2001年11月25日発売、Pヴァインレコード
    • 収録楽曲『ビューティフルサンデー』
  • 幻の名盤解放箱 (2005年2月18日発売、Pヴァインレコード)
    • 収録楽曲『稚内ブルース』『信ずる他にない』『白い慕情』 - VOL.7 (PCD-1581)

作曲家としての提供作品

[編集]

すべて「幸斉たけし」名義での楽曲提供(作曲)である[3]。発売日の早い楽曲のある提供先順。

  • 美山ひかる
    • 『笑わせるよね』 : シングル表題曲、1993年10月10日発売
    • 『冬過ぎて』 : シングル『笑わせるよね』所収、1993年10月10日発売
  • 若山かずさ
    • 『水暦』 : シングル表題曲、1998年7月22日発売
    • 『みれん恋唄』 : シングル『女の岬』所収、2015年2月18日発売
    • 『私きれいでしょ』(作詞 片桐ひと葉、補作詞 幸斉たけし、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2024年10月22日発売
  • 山川豊
    • 『放浪路』(作詞菅麻貴子) : シングル『泣かないで』所収、2001年5月16日発売
    • 『運河の街よ』: アルバム『アメリカ橋~男のららばい~』所収、1998年8月7日発売
    • 『こぼれ灯の詩』: アルバム『アメリカ橋~男のららばい~』所収、1998年8月7日発売
  • 水田竜子
    • 『もしも男に生まれたら』(作詞鈴木宗敏) : シングル『酔っぱらっちゃった 』所収、2001年7月25日発売
    • 『くちべに恋歌』(作詞鈴木宗敏) : シングル『ご機嫌ななめ』所収、1996年6月5日発売
    • 『玄海恋しぶき』(作詞鈴木宗敏) : アルバム『全曲集2010』所収、2009年10月7日発売(初回リリース不明)
  • 香西かおり
    • 『流るるままに』(作詞下地亜記子) : アルバム『夢二慕情』所収、2001年12月19日発売
    • 『夢人形』(作詞下地亜記子) : アルバム『夢二慕情』所収、2001年12月19日発売
  • 北見恭子
    • 『おんなの春』(作詞麻こよみ、) : シングル表題曲、2005年11月23日発売
    • 『浪花の月』(作詞菅麻貴子、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2008年9月24日発売
  • 大石まどか
    • 『冬のれん』(作詞仁井谷俊也、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2005年11月23日発売
    • 『恋待ち港』(作詞掛橋わこう) : シングル『冬のれん』所収
    • 『女のとまり木』(作詞仁井谷俊也) : シングル『熱き血汐 与謝野晶子「みだれ髪」他詩集より』、2006年6月21日発売
    • 『なさけ舟』(作詞仁井谷俊也、編曲石倉重信) : シングル『春待ち花』所収、2007年1月24日発売
    • 『函館空港』(作詞仁井谷俊也) : シングル『春待ち花 デュエットバージョン』(弦哲也)所収、2007年8月22日発売
    • 『思慕川』(作詞仁井谷俊也、編曲石倉重信) : シングル『雨あがり』所収、2008年3月19日発売
    • 『淡雪』(作詞仁井谷俊也、編曲石倉重信) : シングル『もどり橋』所収、2010年11月17日発売
  • 金田たつえ
    • 『四季の酒』(作詞仁井谷俊也) : 2010年11月17日発売
  • 新沼謙治
    • 『銀河の町から』(作詞幸田りえ、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2010年3月17日発売
    • 『雪の川』(作詞幸田りえ) : シングル表題曲、2011年4月27日発売
    • 『君のそばにいる』(作詞幸田りえ) : シングル『雪の川』所収
    • 雪の宿』(作詞幸田りえ) : シングル表題曲、2011年11月21日発売
    • 『今きたよ』(作詞掛橋わこう、編曲石倉重信、コーラスアレンジ尼崎裕子、コーラス杉並児童合唱団) : シングル表題曲。NHK『ラジオ深夜便』・2013年7~9月度「深夜便のうた」、2013年7月3日発売
    • 『俺の昭和が遠くなる』(作詞掛橋わこう、編曲石倉重信) : アルバム『ふるさとの風景』所収、2013年7月3日発売
    • 『俺の昭和が遠くなる(シングルバージョン)』(作詞掛橋わこう、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2016年2月17日発売
    • 『たろうの初恋』(作詞前田たかひろ、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2017年4月19日発売
    • 『地図のない旅』(作詞冬弓ちひろ、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2020年4月29日発売
  • 扇ひろ子
  • 結城さおり
    • 『三十路四十路は生意気盛り』(作詞掛橋わこう、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2016年9月21日発売
  • 西尾夕紀
    • 『里の恋唄』デビュー25周年記念曲(作詞幸田りえ、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2017年5月10日発売
    • 『歌姫』(作詞片桐ひと葉、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2018年5月30日発売
    • 『春立ちぬ』(作詞、作曲幸斉たけし、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2019年6月19日発売
  • 走裕介
    • 『恋懺悔』(作詞冬弓ちひろ、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2022年1月26日発売
    • 釧網本線』(作詞東海林良、編曲石倉重信) : シングル表題曲、2023年9月27日発売
    • 『あの空を仰ぎ見て』(作詞・松井五郎、編曲蔦将苞 : シングル表題曲、2024年4月17日発売

作詞家としての提供作品

[編集]
  • 新沼謙治
    • 『まぼろしのキラク』(作曲新沼謙治、編曲 石倉重信) : シングル表題曲、2015年1月28日発売
  • 西尾夕紀
    • 『春立ちぬ』(作詞、作曲 幸斉たけし、編曲 石倉重信) : シングル表題曲、2019年6月19日発売

テレビ出演

[編集]
  • 『第48回 日本作詩大賞』2015年12月3日(木)夜7時58分~9時48分生放送 テレビ東京
    • ノミネート作品『まぼろしのキラク/新沼謙治』

関連事項

[編集]

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c 1976年ソロデビュー時の公称生年月日である。[要出典]
  2. ^ 原みつるとシャネル・ファイブのデビューシングル『稚内ブルース』(1971年発売、キングレコード)のジャケットおよび盤面の記述を参照。
  3. ^ a b c d JASRAC公式サイト「www.jasrac.or.jp」の記述を参照。
  4. ^ #外部リンク内のYahoo! ミュージック「幻の名盤解放歌集」ほか各リンク先の記述を参照。

外部リンク

[編集]