常子内親王
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常子内親王 | |
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続柄 | 後水尾天皇第十五皇女 |
全名 | 常子(つねこ) |
称号 | 品宮(級宮) |
出生 |
寛永19年3月9日(1642年4月8日) |
死去 |
元禄15年8月26日(1702年9月17日)(享年61) |
埋葬 | 大徳寺 |
配偶者 | 近衛基熙 |
子女 | 熙子、家熙、大炊御門信名 |
父親 | 後水尾天皇 |
母親 | 園国子 |
常子内親王(つねこないしんのう)は、第108代後水尾天皇第十五皇女。母は園基音女の園国子(新広義門院)。霊元天皇の同母姉。近衛基熙正室で、近衛家熙および近衛熙子(天英院、徳川家宣正室)の母。また、桜町天皇の外曾祖母でもある。[1]なお、来孫の後桃園天皇の女御の近衛維子は玄孫に当たる。[2]品宮(級宮、しなのみや)といわれた。寛文6年(1666年)正月から元禄13年(1700年)3月24日にかけて日記(「无上法院殿御日記」)を残している。
生涯
[編集]父後水尾院に寵愛され、正式な内親王宣下はなかったが、延宝5年(1677年)諱が常子と定められて以降、常子内親王といわれるようになった。寛文4年(1664年)11月12日に6歳年下の近衛基熙と結婚した。結婚後も宮廷に頻繁に出入りし、夫基熙とともに兄弟姉妹や東福門院との交流も密であったが、基熙が霊元天皇とはしっくりいかなかったためか、霊元天皇に対しては批判的な面もあった。寛文6年(1666年)3月26日に長女熙子(天英院)を、翌寛文7年(1667年)6月4日に長男家熙を、寛文9年(1669年)4月27日には次男大炊御門信名を産んだ。夫基熙に先立ち元禄15年(1702年)、61歳で薨去。近衛家菩提寺の大徳寺に葬られた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 瀬川淑子『皇女品宮の日常生活:『无上法院殿御日記』を読む』岩波書店。