岩崎純三
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岩崎純三 いわさき じゅんぞう | |
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生年月日 | 1924年5月5日 |
出生地 | 栃木県 |
没年月日 | 2004年7月10日(80歳没) |
出身校 | 日本大学法文学部政治経済学科卒業 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 |
第11代総務庁長官 | |
内閣 | 宮澤内閣 |
在任期間 | 1991年11月5日 - 1992年12月12日 |
選挙区 | 栃木県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1977年7月11日 - 2001年7月22日 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1962年5月10日 - 1977年5月14日 |
岩崎 純三(いわさき じゅんぞう、1924年(大正13年)5月5日[1] - 2004年(平成16年)7月10日[1])は、日本の政治家。位階は正三位。栃木県真岡市長、参議院議員(自由民主党所属)、総務庁長官を歴任した。栃木県出身。日本大学法文学部政治経済学科卒業[2]。
経歴
[編集]1951年、真岡町(現・真岡市)議会議員に当選[1]。1958年の第28回衆議院議員総選挙と1960年の第29回衆議院議員総選挙では栃木2区から自由民主党公認で立候補したが落選した[3]。1962年に栃木県真岡市長に当選。当時、38歳の全国最年少市長だった[4]。1977年まで4期15年務めた。その間、工業団地の造成、神戸製鋼の誘致などに努め、地元発展の基礎を作った。後、1977年の第11回参議院議員通常選挙に栃木県選挙区から自民党公認で立候補、この選挙は保守乱立となったが、自民党栃木県連会長の森山欽司が事務長、船田中が後援会長を務め、初当選を果たした[5]。その後連続当選4回。自民党内では三木武夫→河本敏夫派に属した。1991年宮澤内閣の総務庁長官として初入閣。2001年勲一等旭日大綬章受章。同年、政界から引退した。
2004年7月10日、死去。80歳没。死没日付をもって正三位に叙された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 桜門紳士録刊行会編『桜門紳士録』桜門紳士録刊行会 昭和57年6月10日
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
議会 | ||
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先代 大河原太一郎 |
参議院予算委員長 1997年 - 1998年 |
次代 倉田寛之 |
先代 遠藤政夫 |
参議院社会労働委員長 1985年 - 1986年 |
次代 佐々木満 |
公職 | ||
先代 佐々木満 |
総務庁長官 第11代:1991年 - 1992年 |
次代 鹿野道彦 |
先代 菊地幸作 |
真岡市長 第2代:1962年 - 1977年 |
次代 中里精 |