園池公静
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園池公静 | |
時代 | 江戸時代 - 明治時代 |
生誕 | 天保6年6月25日(1835年7月20日)[1] |
死没 | 1919年(大正8年)10月8日[1] |
官位 | 正二位、右近衛権少将、子爵 |
主君 | 孝明天皇→明治天皇→大正天皇 |
氏族 | 園池家 |
父母 | 父:園池実達 |
兄弟 | 公静、禎子(風早公紀室) |
妻 | 園池千賀子(四辻公績の六女) |
子 | 実康、実信、賀寿子、公直 |
園池 公静(そのいけ きんしず)は、幕末の公家、明治期の内政官僚。第一次奈良県知事、子爵。
経歴
[編集]左近衛権中将[1]・園池実達の二男[2]として生まれる。嘉永3年1月(1850年)に元服し昇殿を許された。右京大夫を経て、元治元年6月(1864年)右近衛権少将に任官[2]。
慶応2年8月(1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控となる[2][3]。慶應4年1月5日(1868年1月29日)書記御用掛となる[4]。
慶応4年7月29日(1868年9月15日)奈良府知事に就任。明治2年7月17日(1869年8月24日)奈良府が奈良県に改称され引き続き同県知事を務めた[2][4]。明治3年8月19日(1870年9月14日)知事を免官[5]。同年9月17日(10月11日)侍従に就任[4]。以後、滋宮祗候・明宮祗候を務めた[2]。
1884年7月8日、子爵を叙爵した[6]。1915年4月15日に隠居し[7]、同月30日に長男実康が襲爵した[8]。
栄典
[編集]親族
[編集]- 妻 園池千賀子(ちかこ、四辻公績六女)[1][10]
- 長男 園池実康(子爵、宮中顧問官)[1]
- 三男 北大路実信(貴族院男爵議員、北大路公久養子)[1]
- 長女 室町賀寿子(室町公大夫人)[1]
- 六男 岩佐公直(岩佐新養子)[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』上巻、新人物往来社、2010年。
- 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 園池家初代 1884年 - 1915年 |
次代 園池実康 |