野村万作 (政治家)
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野村万作 のむら まんさく | |
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生年月日 | 1899年 |
没年月日 | 1978年 |
前職 | 内務官僚 |
官選第31代・公選初代 奈良県知事 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 |
1946年7月9日 - 1947年3月14日 1947年4月21日 - 1951年4月30日 |
野村 萬作(万作、のむら まんさく、1899年 - 1978年)は、初代奈良県公選知事(在任1947年 - 1951年)。
経歴
[編集]旧制第八高等学校を経て[1]、1924年(大正13年)東京帝国大学法学部を卒業[2]。内務省に入省し、終戦直後には官選奈良県知事を務めた。
1947年に行われた第1回公選知事選挙に立候補、社会党、日本共産党推薦の弁護士出身で同じく元官選知事の小野正一(生没年1898年 - 1978年)が5人の候補者中第1位となったが、法定得票の37.5%に達せず、決選投票に持ち込まれることになった。しかし再選挙直前、小野は突然公職追放となり、第2位の野村が初代公選知事に就任した。
在任中、自治体警察発足や県立高校新設などを手がけたが、1951年の知事選挙で同じ内務官僚出身の奥田良三に敗れた。落選後は三栄相互銀行社長を務めた。
経歴
[編集]公職 | ||
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先代 新設 |
奈良県知事 公選初代:1947年 - 1951年 |
次代 奥田良三 |
官職 | ||
先代 小野正一 |
奈良県知事 官選第31代:1946年 - 1947年 |
次代 谷口寛 |