六手
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六手 | |
---|---|
六手の位置 | |
北緯35度18分24.0秒 東経139度56分24.0秒 / 北緯35.306667度 東経139.940000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 君津市 |
設置 | 1889年(明治22年)4月1日 |
人口 | |
• 合計 | 337人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
299-1111[2] |
市外局番 | 0439[3] |
ナンバープレート | 袖ヶ浦 |
六手(むて)は、千葉県君津市の地名。丁番を持たない単独町名で、郵便番号は299-1111[2]。
地理
[編集]市内西部、小糸川支流の馬登川左岸に位置する[4]。地内北部には水田が広がり、西部から南部は山林となっている。
また、南に離れた場所に飛地が存在し(北緯35度16分31秒 東経139度56分56秒 / 北緯35.27528度 東経139.94889度)、こちらはほぼ全域が山林である。
北で中島、東で泉、南東で尾車、南で皿引・大山野、西で宮下・常代、北西で三直とそれぞれ接する(いずれも君津市)。また飛地部分は北で白駒(飛地)、東で草牛、南から西にかけて馬登とそれぞれ接する(いずれも君津市)。
河川
[編集]- 小糸川 - 北西の端でわずかに面しているのみだが、千葉県道164号荻作君津線がこの部分を通過している。三直地区との境界をなす。
- 馬登川 - 東部から北部にかけて流れ、泉・中島両地区との境界をなす。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]日本武尊の東征伝説において、日本武尊が豪族・阿久留王と戦った時、阿久留王の手下の手が斬り落とされ、それが6つ当地に流れ着いたことにちなむとされる[4]。
沿革
[編集]- 江戸時代 - 周淮郡六手村成立。延享年間には旗本河内氏・御手洗氏・筧氏・井上氏・斎藤氏・小俣氏の相給、後には小俣氏を除く5氏の相給[4]。
- 1873年(明治6年) - 六手村、千葉県に所属[4]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により周淮郡周南村大字六手となる[4]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 周南村、郡統合により君津郡所属となる。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 周南村と君津町(初代)・貞元村が合併し君津郡君津町(2代目)が成立、同町の大字となる。
- 1971年(昭和46年)9月1日 - 君津町が市制施行し、君津市となる。
- 2003年(平成15年)3月3日 - 君津市道六手貞元線全通[5]。
世帯数と人口
[編集]2019年(令和元年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
六手 | 141世帯 | 337人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6][7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 君津市立周南小学校 | 君津市立周南中学校 |
交通
[編集]バス
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 一般県道
施設
[編集]- 六手公民館
史跡
[編集]- 附属寺
- 六手八幡神社
- 浅間神社
- 鹿島台遺跡
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 六手地内を経由する中島系統は循環運転を行わない。
出典
[編集]- ^ a b 君津市地区別世帯数及び人口集計表 (令和元年9月末現在) (PDF) - 君津市(2019年10月29日閲覧)
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2020年2月27日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典』 12. 千葉県、角川書店、1984年、837頁。ISBN 4040011201。
- ^ 1. 君津市のあゆみ (PDF) - 君津市. 2019年10月2日閲覧。
- ^ “入学の手続き”. 君津市 (2019年4月1日). 2019年10月29日閲覧。
- ^ 別表(第2条) 君津市立小学校及び中学校通学区域 (PDF) - 君津市. 2019年10月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典12. 千葉県』角川書店、1984年。ISBN 4040011201。
関連項目
[編集]三直 | 中島 | |||
常代 | 泉 | |||
六手 | ||||
宮下 | 大山野/皿引 | 尾車 |
白駒(飛地) | ||||
馬登 | 草牛 | |||
六手(飛地) | ||||
馬登 |