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中村藍子

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村藍子
Aiko Nakamura
中村藍子のバックハンド・ストローク
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 同・大阪府大阪市天王寺区
生年月日 (1983-12-28) 1983年12月28日(40歳)
身長 163cm
体重 56kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1999年
引退年 2012年
ツアー通算 0勝
シングルス 0勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 348勝350敗
シングルス 268勝237敗
ダブルス 80勝113敗
生涯獲得賞金 $862,381
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2006・07)
全仏 1回戦(2005-08)
全英 2回戦(2005・07)
全米 2回戦(2005・06)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2008)
全仏 2回戦(2007)
全英 2回戦(2005・07・08)
全米 2回戦(2007)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 47位(2007年8月6日)
ダブルス 64位(2008年3月3日)
獲得メダル
女子 テニス
アジア大会
2006 ドーハ 団体

中村 藍子(なかむら あいこ, 1983年12月28日 - )は、大阪府大阪市天王寺区出身の女子プロテニス選手。現役時はニッケに所属していた。大阪市立高津中学校、樟蔭東高等学校卒業。ベースライン・プレーヤーで、フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークとも両手打ちの選手。自己最高ランキングはシングルス47位、ダブルス64位。身長163cm、体重56kg。

来歴

5歳からテニスを始め、高校卒業後の2002年から本格的にツアーに出場を始める。2005年全豪オープン4大大会デビューを果たす。予選3試合を勝ち上がって本戦出場権を獲得し、本戦でも初戦突破を果たした。この時は続く2回戦で第10シードのアリシア・モリクオーストラリア)に 2-6, 4-6 で敗れている。この年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップの日本代表選手入りも果たし、4月第3週の「ワールドグループ2部」1回戦のチェコ戦でシングルスに抜擢された。この時は16歳になったばかりのニコル・バイディソバに敗れた。2005年度の4大大会では、全仏オープンのみ初戦敗退に終わったが、ウィンブルドン全米オープンでは2回戦進出を果たした。ウィンブルドン2回戦ではアナスタシア・ミスキナ、全米オープン2回戦ではナディア・ペトロワなど、実力者たちに果敢な挑戦を見せた。11月の全日本テニス選手権では第1シードであったが、準々決勝で第8シードの米村知子に 6-7, 4-6 で敗れてしまった。

2006年全豪オープンで、中村は初めての4大大会3回戦進出を果たしたが、第7シードのパティ・シュナイダースイス)に 2-6, 3-6 で敗れた。その後全仏オープンウィンブルドンとも初戦敗退に終わったが、7月15日-16日にかけて東京有明コロシアムで行われたフェドカップの「ワールドグループ・プレーオフ」で日本はオーストリアに5戦全勝で勝ち、2007年度フェド杯で「ワールドグループ」(最上位グループ、8ヶ国で構成)の出場権を獲得した。日本にとっては1997年以来10年ぶりとなるワールドグループ復帰を決めた団体戦で、中村はシングルス第3試合でオーストリア代表のバルバラ・シュワルツを 6-2, 7-5 で破った。4大大会年間最終戦の全米オープンでは、2回戦で第16シードのアナ・イバノビッチセルビア)に敗れる。10月第2週の「ジャパン・オープン」で、中村は初めてのWTAツアー大会決勝進出を果たしたが、第1シードのマリオン・バルトリフランス)に 6-2, 2-6, 2-6 の逆転で敗れて準優勝に終わった。バルトリもフォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークとも両手打ちの選手で、フォア・バックとも両手打ちの選手どうしで行われた女子ツアーの決勝戦は史上初めての出来事であった。

2007年全豪オープンでは、1回戦でギリシャエレニ・ダニリドゥ、2回戦でインドサニア・ミルザを破って3回戦進出を果たしたが、3回戦で第6シードのマルチナ・ヒンギスに敗れた。同年の全米オープンでは、1回戦で第5シードのアナ・イバノビッチセルビア)に 1-6, 1-6 で完敗した。

2008年の「カンガルーカップ国際女子オープン」(岐阜市開催)で、第1シードの中村はシングルス準々決勝で12年ぶりにプロ復帰を果たした37歳のクルム伊達公子に 6-7, 6-4, 3-6 で敗れた。伊達には翌週の福岡大会で雪辱を果たしている。全仏オープンでは、1回戦で第4シードのスベトラーナ・クズネツォワに 2-6, 3-6 で敗退した。

2009年ごろからは2度の膝の手術を受け大会に出場出来ない状態が続き、2010年にはランキングからも除外されていた。その後は女子ツアー下部大会を中心に出場していたが、2012年全米オープンの予選1回戦で敗れた試合が最後の出場になり、2012年11月に現役引退を発表した。

2011年12月、自身の専属コーチである古賀公仁男と結婚した。2014年6月に第1子の長女を出産した。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 1回 (0勝1敗)

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–0)
ティア III (0–1)
ティア IV & V (0–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2006年10月8日 日本の旗 東京 ハード フランスの旗 マリオン・バルトリ 6–2, 2–6, 2–6

ダブルス: 1回 (0勝1敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2008年10月4日 日本の旗 東京 ハード 日本の旗 森田あゆみ アメリカ合衆国の旗 ジル・クレイバス
ニュージーランドの旗 マリナ・エラコビッチ
6-4, 5-7 [6-10]

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 通算成績
全豪オープン LQ 2R 3R 3R 1R LQ A LQ A 5–4
全仏オープン LQ 1R 1R 1R 1R LQ A A A 0–4
ウィンブルドン LQ 2R 1R 2R 1R 1R A A A 2–5
全米オープン LQ 2R 2R 1R 1R A A A LQ 2–4

外部リンク