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ピノ・パラディーノ

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ピノ・パラディーノ
Pino Palladino
ピノ・パラディーノ(2008年)
基本情報
出生名 Giuseppe Henry Palladino
生誕 (1957-10-17) 1957年10月17日(67歳)
出身地 ウェールズの旗 ウェールズカーディフ
ジャンル ロックソウルファンクポップスニュー・ウェイヴシンセポップ
職業 ベーシストソングライター音楽プロデューサー
担当楽器 ベース
活動期間 1974年 -
レーベル ヴァーヴ・レコードアトランティック・レコード
共同作業者 ポール・ヤングザ・フージョン・メイヤー・トリオ、The Soultronics、RHファクターゲイリー・ニューマンジェフ・ベックナイン・インチ・ネイルズディアンジェロゲイリー・ムーアドン・ヘンリーパワー・ステーション
ジョン・メイヤー・トリオのピノ・パラディーノ(右端)
イタリア・サン・ピエトロ・イン・カリアーノのジャズ・フェスティバル、アマローネにて(2008年9月)

ピノ・パラディーノ(Pino Palladino、1957年10月17日 - )は、ウェールズのミュージシャン、ソングライター、音楽プロデューサーである。多数の作品に参加するセッション・ベーシストとして知られ、ザ・フー[1]ジョン・メイヤー・トリオナイン・インチ・ネイルズゲイリー・ニューマンジェフ・ベックディアンジェロパワー・ステーションなどのライブでベースを演奏してきた。ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第38位に選ばれている[2]

略歴

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生い立ち

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ウェールズ出身の母親とイタリア人の父親(カンポバッソ出身)との息子[3]であるジュゼッペ・ヘンリー・パラディーノ[4]は、1957年10月17日にカーディフで生まれた。カトリック学校に通い、14歳でギターを、17歳でベースを始めた。彼は1年後に最初のフレットレスベースを購入し、主にR&B、ファンク、レゲエを演奏した[5]

キャリア

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パラディーノは幼い頃からモータウンジャズに惹かれ、クラシック・ギターのレッスンを受けた。彼はレッド・ツェッペリンイエスが好きで、ロック・バンドを始めた[6]

1982年、パラディーノはゲイリー・ニューマンとアルバム『アイ、アサシン』でレコーディングを行った。これに続いて、彼はポール・ヤングのデビュー・アルバムに貢献するように依頼された。マーヴィン・ゲイの「Wherever I Lay My Hat (That's My Home)」のヤングによるカバー・バージョンはヨーロッパでヒットし、パラディーノはその後、ヤングのバック・バンドである「The Royal Family」に加わった。また、彼はジョーン・アーマトレイディングゴー・ウエストデヴィッド・ギルモアとのレコーディングのオファーを受けた。彼は初期の影響としてジェームス・ジェマーソンダニー・トンプソン、ノーマン・ ワットロイを引用し、ジャコ・パストリアススタンリー・クラークブーツィー・コリンズラリー・グラハムマイケル・ヘンダーソンアンソニー・ジャクソンマーカス・ミラーロッコ・プレスティアも賞賛している[7]

1991年、彼は元バッド・カンパニーポール・ロジャース、元スモール・フェイセスのドラマーのケニー・ジョーンズ[注釈 1]と一緒に、ロウに参加してアルバム『THE LAW』を録音した。

1990年代、パラディーノはフレットレスベースとフレッテッドベース、4弦ベースと6弦ベースを交互に使用していた。彼はメリッサ・エスリッジリチャード・ライトエルトン・ジョンエリック・クラプトンピート・タウンゼント[8][注釈 2]ロジャー・ダルトリー[注釈 3]と共演した。

彼はマイク・リンダップの最初のソロ・アルバム『チェンジズ』にて、ギターのドミニク・ミラーとドラムのマヌ・カチェと演奏した[9]

1999年に、ザ・ヴァーヴリチャード・アシュクロフトと協力し始めたのは、アシュクロフトのデビュー・ソロ・アルバム『Alone With Everybody』がきっかけだった[10]

2002年6月、ザ・フーのベーシストのジョン・エントウィッスルが、2年ぶりのアメリカ・ツアーの開始前夜に急死した。パラディーノはタウンゼントに頼まれて急遽代役を務めることになり、ザック・スターキー(ドラムス)、ジョン・バンドリック英語版(キーボード)、タウンゼントの実弟のサイモン・タウンゼント英語版(ギター、ヴォーカル)と共にサポート・メンバーとしてツアーに参加して、タウンゼントとダルトリーを支えた[11]。これをきっかけに、彼はザ・フーの様々な活動に貢献した。2006年、彼等の24年ぶりの新作アルバム『エンドレス・ワイヤー』に客演。2010年の第44回スーパーボウル・ハーフタイム・ショーに、スターキーらと共に助演。2012年の『四重人格』ツアー[注釈 4]から2016年までのライブ活動のメンバーを務めた。その後も時々スタジオ・セッションに参加し、2019年に発表された13年ぶりの新作アルバム『WHO (フー)』の制作にも携わった。

パラディーノは1980年代半ばにスティーヴ・ジョーダンと出会い、どちらもセッション・ミュージシャンとして働いていたことから友情が芽生えた。ジョーダンは、メロディ、ベースライン、そしてほぼすべての種類のジャンルの受け入れる姿勢を通じて、音楽の変化を「感じる」ことができるパラディーノの明らかな才能を認めている。ジョーダンによれば、彼は2005年1月にジョン・メイヤーウィリー・ウィークスに出会い、東南アジアを襲った津波の犠牲者のための「Tsunami Aid: A Concert of Hope」を行うことを計画していた。ウィークスが公演を行うことができなくなり、ジョーダンはメイヤーの仕事のいくつかを聴いていたパラディーノを代わりに提案し、彼は喜んでやって来た。ジミ・ヘンドリックスの曲「Bold as Love」を含むセットを始めて、3人は一緒にケミストリーを感じるようになった。彼らはアルバムを録音し、トリオとしてツアーを行った[12]

彼らは2005年11月22日にアルバム『トライ! ライヴ・イン・コンサート』をリリースした。11曲入りのライブ・アルバムには、ヘンドリックスの「Wait Until Tomorrow」とレイ・チャールズの「I Got a Woman」のカバー・バージョンや、メイヤーのアルバム『ヘヴィアー・シングス』の2曲、メイヤーの新曲が含まれていた。さらに、メイヤー、パラディーノ、ジョーダンは、「Good Love Is on the Way」「Vultures」「Try!」という3曲のソングライターとしてクレジットされている[13]。パラディーノは、メイヤーの3枚目のアルバム『コンティニュアム』、4枚目のアルバム『バトル・スタディーズ』、7枚目のアルバム『ザ・サーチ・フォー・エヴリシング』に参加した。

2006年3月と4月、パラディーノはジェフ・ベックとツアーを行い、J・J・ケイル & エリック・クラプトンと共に2006年のアルバム『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』で演奏した。2009年、彼はキーボード奏者のフィリップ・セスサイモン・フィリップスと「PSP」というトリオを結成した。

サイモン&ガーファンクルの「オールド・フレンズ・リユニオン・ツアー」で彼らと演奏した[12]

2011年1月、ディアンジェロと一緒にスタジオに入り、アルバム『ブラック・メサイア』のレコーディングを終えた[14]

2013年、彼はナイン・インチ・ネイルズのアルバム『ヘジテイション・マークス』で演奏し、ツアー・バンドのメンバーを務めた。さらに、彼はホセ・ジェイムズのアルバム『ノー・ビギニング・ノー・エンド』(2013年)を共同プロデュースした[15]

技術と機材

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パラディーノは、数多くのアルバムにおいてフレットレスベースを使用していることで有名である。コマーシャルな曲のベースは大概、一般的なサウンドを持っていて、「低音を演奏」し続けるのが典型的だったが、パラディーノはフレットレス・トーンとオクターバー効果を組み合わせた別のサウンドと、頻繁にコードを追加したベースライン、リードするライン、および楽器のより高範囲なカウンターメロディを好んだ。このスタイルの典型は、ポール・ヤングの「Wherever I Lay My Hat」での彼の演奏にみられる。当時の彼の機材には、フレットレス・1979年型ミュージックマン・スティングレイ・ベースとボス・オクターヴ・ペダル(OC-2)が含まれていた。

1990年代以降、パラディーノは主にフェンダー・プレシジョンベースに傾倒してきた。彼は1963年のサンバースト・フェンダー・プレシジョンをアルバム『ヴードゥー』で使用し、ヘヴィゲージのLaBellaの弦(DGCFにチューニング)、フォーム・ミュート、アンペグのB-15アンプを使用した。彼はフェンダー・ジャガーベース、ラックランド・ジャズベース、ラリー・グラハム・シグネチャーJJ-4Bベースも演奏した。

フェンダー・ピノ・パラディーノ・シグネチャー・プレシジョンベースは、ピノ所有のフェンダー・プレシジョンベース2本をモデルにつくられた。ボディは、パラディーノの1961年製プレシジョンベースをベースにした、砂漠の砂のペイントの上に色あせたフィエスタ・レッド・ペイントを備えており、ネックシェイプとラウンドラム・ローズウッド指板は、1963年製のサンバースト・プレシジョン・ベースを基にしている[16]

私生活

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1992年、ピノはポール・ヤングのボーカル・グループ、ファビュラス・ウェルシー・タルツ(Fabulous Wealthy Tarts)のメンバーであったマリリン・"マズ"・ロバーツと結婚した。彼らには3人の子供:ファビーナ、ジャンカーラ、ロッコがおり、全員が音楽業界に携わっている[17]

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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PSP

参加アルバム

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デヴィッド・ノップラー

  • Release (1983年)
  • Behind the Lines (1985年)
  • Cut the Wire (1987年)

ドン・ヘンリー

  • 『ビルディング・ザ・パーフェクト・ビースト』 - Building the Perfect Beast (1984年)
  • 『エンド・オブ・ジ・イノセンス』 - The End of the Innocence (1989年)

ゴー・ウエスト

  • 『ゴー・ウェスト』 - Go West (1985年)
  • 『ダンシング・オン・ザ・カウチ』 - Dancing On The Couch (1987年)

エルトン・ジョン

ジョン・メイヤー

  • 『トライ! ライヴ・イン・コンサート』 - Try! John Mayer Trio Live In Concert (2005年) ※ジョン・メイヤー・トリオ名義
  • 『コンティニュアム』 - Continuum (2006年)
  • 『バトル・スタディーズ』 - Battle Studies (2009年)
  • 『ザ・サーチ・フォー・エヴリシング』 - The Search for Everything (2017年)

ジェフ・ベック

ディアンジェロ

  • ヴードゥー』 - Voodoo (2000年)
  • 『ブラック・メサイア』 - Black Messiah (2014年)

The Gaddabouts

  • The Gaddabouts (2011年)
  • Look Out Now! (2012年)

ザ・フー

  • エンドレス・ワイヤー』 - Endless Wire (2006年)
  • 『四重人格ライヴ』 - Quadrophenia Live In London (2014年)
  • 『ライヴ・イン・ハイドパーク』 - Live In Hyde Park (2015年)
  • 『フー』 - Who (2019年)

ポール・ヤング

その他

脚注

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注釈

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  1. ^ フェイセズを経て、1978年、キース・ムーン亡き後にザ・フーに加入した。
  2. ^ 1993年のソロ・ツアーに参加。同年8月にニューヨークのブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックで収録されたライブ音源が、Pete Townshend Live BAM 1993として発表された。
  3. ^ 1994年2月にニューヨークのカーネギー・ホールで収録されたライブ・アルバムA Celebration: The Music of Pete Townshend and The Whoに参加。
  4. ^ 2012年12月12日にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開かれた、ハリケーン・サンディ復興支援チャリティ・コンサート(12-12-12: The Concert for Sandy Relief)への出演を含む。

出典

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  1. ^ Review: At 50, The Who brings it full circle”. 2020年10月4日閲覧。
  2. ^ The 50 Greatest Bassists of All Time” (英語). rollingstone.com (2020年7月1日). 2021年12月27日閲覧。
  3. ^ When Jools Holland came to lunch we knew our Pino was star”. The Free Library/The Mirror (6 July 2002). 11 September 2017閲覧。
  4. ^ Songwriter/Composer: PALLADINO GIUSEPPE HENRY”. Repertoire.bmi.com. 5 January 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月27日閲覧。
  5. ^ Artist: Pino Palladino”. Epifani Custom Sound. Epifani Custom sound (2005–2009). 13 December 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。26 May 2009閲覧。
  6. ^ Jisi, Chris. Brave New Bass. Hal Leonard Corporation. p. 163. ISBN 978-1-61774-506-5. https://books.google.com/books?id=ssiHwJY6d7gC&pg=PA163 September 11, 2017閲覧。 
  7. ^ Jisi, Chris (1 July 2008). Bass Player Presents The Fretless Bass. Backbeat Books. pp. 22–. ISBN 978-1-61713-377-0. https://books.google.com/books?id=QJ1MAgAAQBAJ&pg=PA24 11 September 2017閲覧。 
  8. ^ Townshend (2012), p. 428.
  9. ^ [1] Archived 8 July 2012 at the Wayback Machine.
  10. ^ Why the sun is rising in the west”. The Independent (30 December 1999). 19 June 2009閲覧。
  11. ^ Townshend (2012), pp. 477–481.
  12. ^ a b Jisi, Chris (2006年). “The Master Stylist”. Bass Player Magazine Online Edition. New Bay Media, LLC. 2 February 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。27 December 2008閲覧。
  13. ^ AMG Artist ID: P 112030 (2009年). “Allmusic: Pino Palladino”. Allmusic discography. 4 November 2009閲覧。
  14. ^ Russell Elevado homepage”. Russelevado.com. 23 May 2014閲覧。
  15. ^ AllMusic Review by Thom Jurek”. allmusic.com. 19 November 2019閲覧。
  16. ^ 1963 sunburst Precision Bass”. Fender.com. 19 July 2011閲覧。
  17. ^ When Jools Holland came to lunch we knew our Pino was star”. The Free Library/The Mirror (6 July 2002). 12 November 2017閲覧。

引用文献

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外部リンク

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