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レディ・ステディ・フー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『レディ・ステディ・フー』
ザ・フーEP
リリース
録音
  • 1966年1月
  • イングランドの旗 ロンドン オリンピック・スタジオ
  • 1966年6月-8月
  • イングランドの旗 ロンドン パイ・スタジオ及びIBCスタジオ
ジャンル ロック
時間
レーベル イギリスの旗 リアクション・レコード
プロデュース キット・ランバート
ザ・フー
ザ・フー アルバム 年表
レディ・ステディ・フー
(EP)
(1966年)
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レディ・ステディ・フー』(Ready Steady Who)は、イングランドロックバンドであるザ・フーが1966年にイギリスで発表した5曲入りのEP(Extended Play)である[1]

概要

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経緯

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1965年12月、ザ・フーはイギリスでブランズウィック・レコード英語版からデビュー・アルバム『マイ・ジェネレーション』を発表した。翌1966年、彼等はプロデューサーのシェル・タルミー英語版との契約を破棄して、ロバート・スティグウッド英語版が設立したリアクション・レコード英語版に移籍した。そして1966年3月4日に、移籍後の第一弾シングル『恋のピンチ・ヒッター』を発表した。

1966年10月16日、彼等はウェンブリーのスタジオに聴衆を迎えて、イギリスのITVが放送する音楽番組『レディ・ステディ・ゴー』が企画した60分間のライブ・ショーを行なった。このショーの模様は録画され、その約半分の30分間の分が21日の同番組で放映された。さらに、ショーの音源はサウンドトラックとして発表される予定であったが、法律上の問題で実現しなかった。そこで彼等は、ショーで取り上げた曲のスタジオ録音を含んだ本EPを、同年11月11日にイギリスで発表した[2]

内容

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収録曲の内訳は、A面の2曲がピート・タウンゼント作のオリジナル、B面の3曲がカヴァーである。

オリジナル

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  • ディスガイジズ英語版Disguises)」[3]
  • サークルズ(Circles)[4]
    「サークルズ」には、1966年1月12日と13日にロンドンのIBCスタジオでタルミーのプロデュ―スによって録音されたもの[4][注釈 1]と、同月末にロンドンのオリンピック・スタジオでザ・フーのプロデュ―スによって録音されたものの2つが存在する。本作に収録されたものは後者で、1966年3月4日にイギリスでリアクション・レコードから発表されたシングル『恋のピンチ・ヒッター』(Reaction 591001)[5][6]のB面に収録された。なお同日には、同じ内容で「サークルズ」が「インスタント・パーティ」(Instant Party)と改題されたシングル(Reaction 591001)[7][8]も発表された。

カヴァー

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収録曲

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A面
#タイトル作詞・作曲録音年月日及び場所・プロデュ―サー時間
1.「ディスガイジズ(Disguises)」Pete Townshend
  • 1966年6-7月、パイ・スタジオ、IBC スタジオ、ロンドン.
  • キット・ランバート
2.サークルズ(Circles)」Pete Townshend
  • 1966年1月、オリンピック・スタジオ、ロンドン
  • ザ・フー
合計時間:
B面
#タイトル作詞・作曲録音年月日及び場所・プロデュ―サー時間
1.「バットマン(Batman)」Jan Berry, Donald J. Altfeld, Fred Weider
  • 1966年8月、IBC スタジオ、ロンドン
  • キット・ランバート
2.「バケット・T(Bucket T)」Dean Torrence, Roger Christian, Donald J. Altfeld
  • 1966年8月、IBC スタジオ、ロンドン
  • キット・ランバート
3.バーバラ・アン(Barbara Ann)」Fred Fassert
  • 1966年8月、IBC スタジオ、ロンドン
  • キット・ランバート
合計時間:

参加ミュージシャン

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The Who

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1966年3月にイギリスでブランズウィック・レコードが発表したシングル「リーガル・マター」(Brunswick 05956)のB面、同年4月にデッカ・レコードがアメリカでのデビュー・アルバムとして発表した『ザ・フー・シングス・マイ・ジェネレーション』に、「インスタント・パーティ」(Instant Party)として収録された。
  2. ^ アルバム『ア・クイック・ワン』の再発CD(1995年)にボーナス・トラックとして収録された時には、ヘフティの名が作者に記された。
  3. ^ 1977年7月20日、ドキュメンタリー映画『キッズ・アー・オールライト』の為の撮影がシェパートン・フィルム・スタジオ英語版で始まり、翌21日のリハーサルでムーンがリード・ヴォーカルを取る同曲が披露され、映画に収録された。なお同名サウンドトラック・アルバムには収録されていない。
  4. ^ ジャン&ディーンのディーン・トーレンス英語版が客演。

出典

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  1. ^ thewho.com”. 2023年10月23日閲覧。
  2. ^ Neill & Kent (2007), p. 138.
  3. ^ Neill & Kent (2007), p. 131.
  4. ^ a b Neill & Kent (2007), p. 111.
  5. ^ thewho.com”. 2023年11月13日閲覧。
  6. ^ Discogs”. 2023年11月13日閲覧。
  7. ^ thewho.com”. 2023年11月13日閲覧。
  8. ^ Discogs”. 2023年11月13日閲覧。
  9. ^ Discogs”. 2023年11月13日閲覧。
  10. ^ Discogs”. 2023年11月13日閲覧。
  11. ^ Discogs”. 2023年11月12日閲覧。
  12. ^ Neill & Kent (2007), pp. 132–133.
  13. ^ Neill & Kent (2007), pp. 399–400.
  14. ^ Discogs”. 2023年11月12日閲覧。
  15. ^ Discogs”. 2023年11月12日閲覧。
  16. ^ Discogs”. 2023年11月12日閲覧。

引用文献

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  • Neill, Andy; Kent, Matt (2007). Anyway Anyhow Anywhere: The Complete Chronicle of The Who 1958-1978. London: Virgin Books. ISBN 978-0-7535-1217-3