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トニー・ペルーソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トニー・ペルーソ
出生名 Anthony F. Peluso
生誕 (1950-03-28) 1950年3月28日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
死没 (2010-06-05) 2010年6月5日(60歳没)
職業 ギタリスト音楽プロデューサー
担当楽器 ギターボーカル
共同作業者 カーペンターズ、The Abstracts

トニー・ペルーソTony Peluso1950年3月28日 - 2010年6月5日)は、アメリカ合衆国ギタリスト音楽プロデューサー。1973年から1983年まで、カーペンターズリードギターを担当した。

カーペンターズの楽曲「愛にさよならを」でのギターソロと、アルバム『ナウ・アンド・ゼン』のB面のオールディーズメドレーをつなげるディスクジョッキーの真似で最も知られている。

キャリア

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父親は西海岸のNBAラジオで指揮者を務めており、母親はオペラ歌手として名を挙げる、音楽一家の出身である。

1968年に音楽の道に進み始め、この時大学の友人3人とバンド、アブストラクツを結成した。このバンドは自分で歌い、ギターを弾き、殆どの曲を書くという形で小規模なポンペイレーベルで、アルバムを発表するも、不発に終わり、ほどなくして解散した。

その後マーク・リンゼーポール・リヴィア&ザ・ライダーズを離脱した際に、リンゼーのバックバンドのインスタントジョイを率いたり、ボビー・シャーマンポール・リヴィア&ザ・ライダーズと共に演奏した[1][2]

カーペンターズ

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1972年、リチャード・カーペンタージョン・ベティスは、カーペンターズのために新曲「愛にさよならを」を制作、カーペンターズはこの曲にリチャードのギター・ソロを必要とした。マーク・リンゼーとインスタントジョイがカーペンターズの前座を務めた時のことからトニー・ペルーソを思い出していた[2]カレン・カーペンターはトニー・ペルーソに電話をかけ、ギターソロを担当するよう求めた。DVDClose to You: Remembering The Carpentersでペルーソは「初めカレン・カーペンターが電話に出ているとは容易には信じられなかったが、カレンはもう一度自分の名前を繰り返した。…この時本当にそれがカレンで、自分のアイドルの一人と話をしていたのだとわかった」と回想した。カレンとリチャードが「愛にさよならを」という曲を演奏し、別のバンドと共演していてトニーが自分達の求める音を完成してくれると告げた。スタジオに入ったペルーソは、初めはムーディに演奏したが、リチャードは「駄目だ、駄目だ、駄目だ!5小節メロディーを演奏して後は燃え上がるんだ!成層圏まで舞い上がるんだ!行こう!素晴らしくなるぞ!」と言った[3]。ちなみに、このギター・ソロを聴いたポール・マッカートニーが、「こんなギタリストが欲しい!」と言った、という逸話が残っている[4]

ペルーソは、その後のレコーディングやツアーでのリード・ギタリストとして、カーペンターズの一員となった[2]。『緑の地平線〜ホライゾン』に収録されている『ハッピー』、『ヴォイス・オブ・ザ・ハート』に収録されている『輝く船出』は、彼が作曲した作品である。

その後のキャリア

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1983年2月4日にカレンが亡くなると、ペルーソは音楽プロデューサー兼レコーディングエンジニアになった。次の10年はスモーキー・ロビンソンテンプテーションズフォー・トップスマイケル・ジャクソンのようなアーティストを録音したモータウンで働いた[5]。またリチャード・カーペンターのソロアルバム『タイム』に参加した他、リチャード・カーペンターがプロデューサー/アレンジャーをした小林明子の1988年のアルバム"City of Angels"にギタリストだけでなくミキシングエンジアとしても参加した。

ペルーソはケニー・ロギンズシールズアンドクロフツアポロニア・コテロプレイヤーアニモーションステファニー・ミルズザ・フィックスデイヴ・コーズボーイズIIメンのようなアーティストのプロデューサーやエンジニアを務めた[5]

1992年、ペルーソはグスターボ・サンタオラヤと活動を開始した。二人はロック・エン・エスパニョール分野のパイオニアであった。ペルーソはリッキー・マーティンのようなラテンポップミュージシャンやモロトヴカフェ・タクーバのようなメキシコのロックバンドと活動した。2005年、サンタオラヤとペルーソは、映画ブロークバック・マウンテンのサウンドトラックをプロデュースした[6]

ペルーソはそのキャリアで4回グラミー賞を受賞し、種々の音楽活動で1億5000万を超える売り上げを挙げた数々のゴールドレコードやプラチナレコードで表彰された。

2010年6月5日、心臓病によりロサンゼルスで死去[1]。60歳没。息子が2人いる。

参照

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  1. ^ a b “The Carpenters' Lead Guitarist Tony Peluso Dead At 60”. rttnews.com. (11 June 2010). http://www.rttnews.com/ArticleView.aspx?Id=1332135 5 July 2010閲覧。 
  2. ^ a b c A Song for You”. richardandkarencarpenter.com (4 June 2008). 5 July 2010閲覧。
  3. ^ Close to you: Remembering the Carpenters”. mpihomevideo.com (1998年). 5 July 2010閲覧。
  4. ^ [ameblo.jp/captain-jd/entry-10805839794.html 昨日知った訃報・・・RIP Tony Peluso]
  5. ^ a b Dore, Shalini (14 June 2010). “Carpenters' lead guitarist dies”. variety.com. http://www.variety.com/article/VR1118020610.html?categoryid=16&cs=1&nid=2568 5 July 2010閲覧。 
  6. ^ “Carpenters' Lead Guitarist Tony Peluso Dies”. allaboutjazz.com. (15 June 2010). http://www.allaboutjazz.com/php/news.php?id=58182 7 July 2010閲覧。