ティレル・012
ティレル・012(2010年クアラルンプールで撮影) | |||||||||
カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | ティレル・レーシング・オーガニゼーション | ||||||||
デザイナー | モーリス・フィリップ | ||||||||
先代 | ティレル・011 | ||||||||
後継 | ティレル・014 | ||||||||
主要諸元[1] | |||||||||
シャシー | カーボンモノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン、プルロッド、コイルスプリング | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング | ||||||||
エンジン | フォード・コスワースDFY 2993cc V8 NA ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド・FGA400 5速 MT | ||||||||
燃料 | エルフ | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | ティレル・レーシング・オーガニゼーション | ||||||||
ドライバー |
3. ミケーレ・アルボレート 4. ダニー・サリバン 3. マーティン・ブランドル 3. ステファン・ヨハンソン 4. ステファン・ベロフ 4. マイク・サックウェル | ||||||||
出走時期 | 1983 - 1985 | ||||||||
通算獲得ポイント | 5 | ||||||||
初戦 | 1983年オーストリアGP | ||||||||
最終戦 | 1985年オーストリアGP | ||||||||
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ティレル・012(Tyrrell 012)は、モーリス・フィリップを責任者として設計されたF1マシンで、1983年シーズンから1985年シーズンにかけてティレルチームが使用した。
概要
[編集]ティレルチームは1983年シーズンの序盤は前年モデルの011で参戦していたが、後半のオーストリアGPで初めて012がミケーレ・アルボレート用に投入された。ダニー・サリバンのために2台目の012が投入されたのは、最終戦の前戦ヨーロッパGPだった。
012の新車発表会で装着されていた奇妙な形状のV型リヤウイング(ブーメランウイング)が、012のデビュー戦である1983年オーストリアGPにも登場した。しかし、ダウンフォースが極端に不足したため、コンベンショナルなストレートタイプのものが以後使用された。また、サイドポンツーンが極端に小さく、マシン後部に斜め型に設けられた形状は、「矢印」との異名で呼ばれることもあった。
1983年はベネトンがタイトルスポンサーであったため、緑色のカラーリングをしていた。1984年シーズン前半は黒色主体のカラーリングになり、「ブラックアロー」という愛称でファンに親しまれた。なお、シーズン途中からマーティン・ブランドルの車のみヤードレー・オブ・ロンドンがスポンサーに付き、マシンカラーを赤茶色に変更。シーズン終盤にはコンピュータ関連企業のシスタイム(SISTIME)がメインスポンサーに付き、ステファン・ベロフ、ステファン・ヨハンソン(ブランドル負傷休養の代役)両者のマシン共に青いカラーリングへと変更された。1985年は「水タンク事件」の影響でほぼ全てのスポンサーが撤退してしまったため、チーム伝統の「ティレルブルー」にチームロゴのみのデザインになっていた。
シャーシ履歴
[編集]012は1983年に2台、1984年に3台、1985年に2台が製造され、3年間で7台がレースに投入された。シャーシナンバー1と4の2台は1985年のシーズン前にバロン・レーシングに売却され[2]、ロベルト・モレノとクラウディオ・ランジェスがこのマシンでF3000に参戦した。
F1における全成績
[編集]012は勝利を挙げることはできなかったが、ティレルチームは1983年にコンストラクターズランキング7位(12ポイント)、1985年が同9位(4ポイント)となった。1984年はマーティン・ブランドルがアメリカ東GPで2位、ステファン・ベロフがモナコGPで3位の活躍を見せるも、チームの不正(水タンク事件)によりリザルトを全て無効とされた。
(key) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
年 | チーム | エンジン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
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1983年 | ベネトン・ティレル・レーシングチーム | コスワース・DFY V8 NA |
G | BRA |
USW |
FRA |
SMR |
MON |
BEL |
DET |
CAN |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
EUR |
RSA |
12* | 7th | |||
3 | アルボレート | Ret | 6 | Ret | Ret | Ret | |||||||||||||||||
4 | サリバン | Ret | 7 | ||||||||||||||||||||
1984年 | ティレル・レーシング・オーガニゼーション | コスワース・DFY V8 NA |
G | BRA |
RSA |
BEL |
SMR |
FRA |
MON† |
CAN |
DET |
DAL |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
EUR |
POR |
0* | NC | ||
3 | ブランドル | DSQ | DSQ | DSQ | DSQ | DSQ | DNQ | DSQ | DSQ | DNQ | |||||||||||||
ヨハンソン | DSQ | DSQ | DNQ | DSQ | EX | EX | EX | ||||||||||||||||
4 | ベロフ | DSQ | DSQ | DSQ | DSQ | DSQ | DSQ | DSQ | DSQ | DSQ | DSQ | EX | DSQ | EX | EX | EX | |||||||
サックウェル | DNQ | ||||||||||||||||||||||
1985年 | ティレル・レーシング・オーガニゼーション | コスワース・DFY V8 NA |
G | BRA |
POR |
SMR |
MON |
CAN |
DET |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
BEL |
EUR |
RSA |
AUS |
4 | 9位 | ||
3 | ブランドル | 8 | Ret | 9 | 10 | 12 | Ret | 10 | DNQ | ||||||||||||||
4 | ベロフ | 6 | Ret | DNQ | 11 | 4 | 13 | 11 | |||||||||||||||
ヨハンソン | 7 |
* 1983年の11ポイントは011によるポイント。
* ティレルは1984年シーズンの成績から除外された。
脚注
[編集]- ^ “STATS F1 - Tyrrell 012”. Statsf1.com. 2010年8月23日閲覧。
- ^ Hamilton, Maurice (ed.) (1985). AUTOCOURSE 1985-86. Hazleton Publishing. pp. p.197. ISBN 0-905138-38-4