コンテンツにスキップ

ジョージアの国名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジョージアの国名(ジョージアのこくめい)では、南コーカサスにあり日本語ジョージア: Georgia [ˈɔːrə] ( 音声ファイル))、またはグルジア: Грузия [ˈɡruzʲɪjə] Ru-Грузия.ogg と呼ばれている国家の名称について解説する。

英語圏で使われている同国の外名(エクソニム)である"Georgia"の語源は明らかではないが、ギリシア語起源説[1][2]キリスト教聖人説、ペルシア語起源説などがあり、これらのいくつかが合わさった説もある[注釈 1]。ジョージア国政府はラテン文字表記の"Georgia"を基準的な外名と定義しており、ロシア語由来(異説あり)とされる外名"Gruziya"(Грузия, グルジア)[疑問点]の使用を積極的に排除しようとしている[4]

内名

[編集]
ジョージアの旅券の表紙。国名はグルジア語(カルトリ語)と英語で表記してある。

ジョージア国内で自国を指す内名(エンドニム)は、憲法第2条1項に定められたサカルトヴェロსაქართველო Sakartvelo [sakʰartʰvɛlɔ] Sakartvelo.ogg )である[5]。同国の多数民族を指す「カルトヴェリ」(kartvel-i)というは元々グルジアの東部にあたる地域を統治したイベリア王国(コーカサス・イベリア)の中心であるカルトリ英語版地域に住む人を指すが、9世紀までに「カルトリ」という語は中世グルジアの全地域に住む人を指すようになった[注釈 2]。また接周辞のsa- -oは「〜が住む場所」の意味であり、〜には民族名が入る[6]。国名がカルトリに由来する原因としては、その時期にグルジアの政治実体と文化が芽生えはじめたことが考えられる。

サカルトヴェロという名前が初めて歴史書に現れるのは800年ごろジュアンシャル・ジュアンシェリアニ英語版が書いた『グルジア年代記英語版』である。その後200年間、サカルトヴェロの意味は徐々に変わり、1008年にバグラト3世英語版アブハジア王国英語版タオ=クラルジェティ英語版を統一してグルジア王国を成立させると、サカルトヴェロは全グルジアを指すようになった。しかし、それが公的に使われるには13世紀までかかっている[6]

15世紀にグルジア王国が崩壊してイメレティ王国英語版カヘティ王国英語版カルトリ王国など3つの王国と5つの公国が成立しても、統一したグルジア国の記憶は人々の心に残った。そのため、この時期の王たちはグルジア王の称号を決して捨てなかった。18世紀の王族ヴァフシティ王子が書いた『グルジア王国の記述英語版』も統一グルジアを堅持した。彼の生きていた時代、グルジアは現実にはいくつかの王国と公国に分裂していたが、彼はそれらを1つの国として扱い歴史書に表現した[6]。 他のカルトヴェリ語族の言語でも似たような表現が使われている。メグレル語ではსაქორთუო sakortuoラズ語ではოქორთურა okorturaスヴァン語ではსაქართველო sakartveloアブハズ語ではҚырҭтәыла Kyrţtwylaである。非カルトヴェリ語族の言語では、リトアニア語2018年から従来の「グルジア」にあたる呼称の使用を取りやめて「サカルトヴェロ」に対応する呼称へ外名を変更することが発表されている[7][8][9]が、それぞれ Gruzija(グルジヤ)、Sakartvelas(サカルトヴェラス)という呼称である[10]

諸言語の外名

[編集]
Gorgania(ジョージア)と示したフラ・マウロの世界図

カルトヴェリ語族以外の言語で外名として「#サカルトヴェロ」に由来する呼称を使用するのはエスペラントの"Kartvelio カルトヴェリーオ"などごく少数であり、他の言語では以下に挙げるような別系統の呼称が大部分を占めている。

国連公用6言語における外名は次の通りである。

言語名 表記(ローマ字転写) 国際発音記号 (カナ転写)
英語 Georgia [ʤɔːʤə] (ジョージャ)
フランス語 Géorgie [ʒeɔʁʒi] (ジェオルジ)
スペイン語 Georgia [xeˈoɾxja] (ヘオルヒア)
ロシア語 Грузия Gruziya [ɡrˈuzʲɪjə] (グルージヤ)
中国語簡体字 格鲁吉亚 Gelujiya [gélǔjíyà] (クールーチーヤー)
アラビア語 جورجيا Jurjia [dʒawrdʒaː] (ジュルジア)

ジョージア(ゲオルギア

[編集]
聖ゲオルギオスのイコン(中世)

ジョージア憲法の公式英語訳では、第1条3項の国名を定めた部分にსაქართველოラテン文字表記で音韻転写した"Sakartvelo"ではなく英語圏で使用される外名の"Georgia"が当てられており[11][12]パスポートの表紙にも"Georgia"と大書されるなど事実上これが政府によって「基準的な外名」と定義されている。同じ"Georgia"の綴りでも、言語別の発音はラテン語で「ゲオルギア」、英語で「ジョージア」、スペイン語で「ヘオルヒア」、イタリア語で「ジョルジャ」[注釈 3]ルーマニア語で「ジョルジア」と異なる。この他、ラテン語の「ゲオルギア」と同系統とされるものには北ゲルマン語群の諸語で"Georgien"と表記する「ゲオルギエン」(ドイツ語スウェーデン語など)、フランス語表記の"Géorgie"(「ジェオルジ」)、ポルトガル語表記の"Geórgia"(「ジオルジア」)などがある。これら西欧から北欧にわたる呼称の由来とされる「ゲオルギア」の語源は確実には定義されていないが、いくつかの説がある。

  1. ジャック・ド・ヴィトリー英語版とフランツ・フェルディナント・フォン・トロイロハの説では、グルジアでテトリ・ギオルギ英語版聖人)がよく知られていることから、これを語源としている[13]
  2. ジャン・シャルダンなどが支持した説では「ゲオルギア」の語源をギリシア語のγεωργία (耕作)γεωργία (農業)としている[14]。この説を支持する証拠として、小プリニウス[15]ポンポーニウス・メラ英語版[16]の著作には「ゲオルギ」という農耕民族が登場する。この名付けの理由は、パンティカパエウム川の対岸にいる放牧民族との区別である[1][2]
  3. 「ゲオルギア」という語は11世紀または12世紀にペルシア語gurğgurğānに由来するという説もある[17]。この2語は古代ペルシア語パフラヴィー語vrkānwaručānからきている。その語源は不明だが、パフラヴィー語にはvarkâna(オオカミの地)という語があり、古アルメニア語VirkՎիրք)に連なる可能性もある[18]
  4. Elguja Khintibidze などは#ギリシア語説とペルシア語説を相容れない2説とせずに「ゲオルギア」という名前はギリシア語とペルシア語の両方の影響が合わさったとしている[注釈 1]

英語圏では単に"Georgia"と呼称した場合、呼称の由来のみならず地理的・歴史的にも何ら関係のないアメリカ合衆国ジョージア州[注釈 4]と混同されるおそれがあるため、特に国家の方をジョージア("Country of Georgia")[19][20]、アメリカの州をジョージア("State of Georgia")と呼び分ける場合がある。

グルジア語(カルトリ語)におけるアメリカの州の呼称はჯორჯია Jorjiaである。1996年、ジョージア国首都のトビリシ姉妹都市関係にあるアトランタ(ジョージア州都)でオリンピック開会式が執り行われると、入場行進においてジョージア選手団が特に大きな歓声で迎えられたエピソードは広く知られている[21]

日本で英語名の"Japan"をカナ転写した「ジャパン」が頻繁に使用されるのと同様に、「ジョルジア」(ჯორჯია)は「英語風の自国の呼称」として意図的に使用される場合があり、たとえば航空会社のジョージアン・エアウェイズは英語名の音韻"Georgian Airways"を自国語に転写したブランド名ჯორჯიან ეარვეისი (ジョルジアン・エアルヴェイシ)を使用している。英語名の"Georgia"はロシア語への音韻転写も行われており、キリル文字ではДжорджия Dzhordzhiyaロシア語発音: [dʐˈordʐᵻjə]と表記される。例えばニュースサイトシヴィル・ジョルジアსივილ ჯორჯია)はロシア語名を≪Сивил Грузия≫ではなく≪Сивил Джорджия≫としている。漢字文化圏では、台湾中華民国)が英語名の"Georgia"を音訳し「喬治亞」と表記する[22]

イベリア

[編集]
「Hiberia」(イベリア)と記したポイティンガー図

イベリアの語源は、ギオルギ・メリキシヴィリ英語版の主張によるとアルメニア語ՎիրքVirkʿ)、ԻվիրքIvirkʿ)とԻվերքIverkʿ)にあり、これらは全てカルトヴェリ語族Sver(「グルジア人」)に連らなるものである[23]。なお、Sver の頭文字S は接頭辞である。さらに、イヴァネ・ジャヴァヒシヴィリの主張によると、民族を指すSverの語源はHver(イベリア)と、アルメニア語でやはり「民族」を意味するVeriaおよびViriaにある。

ジョージア国のアルメニア語名はՎրաստանVrastan)およびՎիրքVirkʿ、「イベリア」の意味)である。民族としてのグルジア人はアルメニア語ではՎրացիներVratsʿiner)であり、これはそのまま「イベリア人」を意味する。

グルジア(グルジスタン)

[編集]
「ムハンマド=ビーク・グルジ王子」(リダー・アッバースィー画、1620年)
イベリアまたはグルジア王国の文字がある1614年のロシアの地図。
フョードル2世が作成させた「ロシアの地図」。「Iveria sive Grusinæ Imperium」(イベリアまたはグルジア王国)という一文がある。ヘッセル・ゲリッツ英語版出版。(1614年、アムステルダム

一般に「ロシア語由来」とされる外名「Грузия[24]の語源としては、単に「グルド人の土地」を意味する「グルジスタン」からの転訛にすぎないという説がある[25]。その根拠はトルコ語ペルシャ語でも「グルジスタン」に類似の発音であるとし、辻原康夫説では内名 kartvel-i や Sakartvelo も本来は「グルド」と同根という[25]

当該国及び民族と歴史的に関わりが深いイランやその他のイスラーム教国では、当該国を「グルジ」[26]と呼ぶ[27][28][注釈 5]。これに「〜の地」を意味する接尾辞スターン」を付加して「グルジスターン」[29]と呼ぶことも一般的である[30][31]イラン百科事典に引用された Lang (1966年) 説では英単語の"Georgians"は、このペルシア語のグルジか、アラビア語のクルジ[注釈 6]に由来し、国の守護聖人聖ゲオルギオス[注釈 7]に由来するという説は「広く知られてはいるものの誤りである」としている[注釈 5]

ロシアの文献で「Грузия」が初めて確認されるのは、1389年のイグナティ・スモルニエーニン英語版紀行に見る「гурзи[34]と、アファーナシ・ニキーチン英語版の1466年-1472年の著作に記された「Гурзыньская земля[35](グルジア人の地)である[37]。このロシア語名がスラヴ語派の各言語や、歴史上においてロシア帝国と関わりを持ったいくつかの国の言語に持ち込まれたことは後述する[38]

日本では20世紀後半から21世紀初頭まで「グルジア」と呼ばれていたが、後述のように明治から昭和時代中期までは主に「ジョルジア」が用いられていた。同様に、現代ヘブライ語では(グルツィア)であるが、ソビエト連邦からイスラエルの移住者が増加する1970年代までは(ジョージア)と(ゲルジア)も使われていた[8]。 「グルジア系統」の外名を使用している言語にはチェコ語Gruzie)、ポーランド語Gruzja)、ブルガリア語Gruusia)、セルボ・クロアチア語Грузија/Gruzija)、スロバキア語Gruzínsko)、スロベニア語Gruzija)、ベラルーシ語Грузія)、マケドニア語Грузија)、ウクライナ語Грузія)等のスラブ諸語トルコ語Gürcistan)、アゼルバイジャン語Gürcüstan)に代表されるチュルク諸語、そしてエストニア語Gruusia)、ラトビア語Gruzija)、ハンガリー語Grúzia)、ヘブライ語גאורגיה)、ペルシャ語گُرج)、クルド語Gurcistan)がある。

2005年8月、駐イスラエル大使のラシャ・ジュヴァニア英語版はヘブライ語話者に「グルジア」ではなくגאורגיה ジョージアと呼ぶよう要請し[39]イスラエル政府はこの要請への態度を明確にしていないが民間では主として「ジョージア」が徐々に使われている[8]2009年12月には同じ要請がリトアニアに発され、国家リトアニア語委員会が調査に着手[40]。その結果、2017年9月に国会議長のヴィクトラス・プランツキエティスが「2018年以降はグルジヤ ("Gruzija") の使用を取りやめ"Sakartvelas" サカルトヴェラスに外名を変更する」と発表した[41][8][9]。リトアニアによる外名変更は、ソビエト連邦構成国を前身とする国家では初の事例と見られる。

2011年6月には、大韓民国との外相会談で朝鮮語の外名を(グルジア)から(ジョージア)に変えることで合意した[38]。ただし、北朝鮮では韓国での呼称変更後も「グルジア」が引き続き使用されている。日本では後述のように、2015年4月から「グルジア」から「ジョージア」へ外名が変更された[42][43][4]。 「喬治亞」を使用している台湾以外の漢字文化圏では「グルジア」を音訳した「格鲁吉亚」(簡体字)が中華人民共和国大陸部[44]、また「格魯吉亞」(繁体字)が香港で使用されている[45]

日本における外名の変遷

[編集]

開国後の日本ではロシア帝国の被支配下に置かれていた当地についてロシア語由来の「グルジヤ」、もしくは英語の"Georgia"を音韻転写した「ジョルジア」の2通りの外名が用いられていた[47][48]。この「ジョルジア」は20世紀半ばまで用いられたが[注釈 8][49]1956年昭和31年)の日ソ共同宣言以降は共産圏の報道に強みを持つラヂオプレスで「グルジア」が用いられたこともあり、次第に「グルジア」が「ジョルジア」に対して多数を占めるに至った。

1991年平成3年)のソビエト連邦の崩壊による再度の独立回復により、旧ソ連時代に用いられたロシア語は公用語とされなくなった。そして1992年(平成4年)4月に日本との国交が樹立されて以降は、モスクワを経由せず現地の情報が直に日本へ入るようになったこともあり、特に多数民族のカルトヴェリ人の間で根強い反露感情についても周知される機会が増加している[50][51]。そうした経緯から2000年代半ばより特許分野や一部のワイン輸入事業者などで自主的に「ジョージア」が使用されるようになった[54][55][56]2008年南オセチアの独立主張を巡ってロシアとの間で勃発した南オセチア紛争はこの流れを決定づける契機になり、国際通貨基金(IMF)でも2012年(平成24年)版の『IMFを通じた日本の技術支援活動等に関する年次報告書』では「ジョージア」を使用している[57]

こうした情勢の変化も後押しする形で2014年(平成26年)には両国の首脳会談で日本政府に対して「グルジア」の使用取りやめおよび「ジョージア」への外名変更が正式に要請されるに至り[58]、日本では2015年(平成27年)の在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律(在外公館設置法)の別表改正を経て同年4月22日より「ジョージア」を正式な外名とした[43][59][60]。政体の変革などを理由とする場合を別にして、日本政府が外国政府から個別関係下で行われた要請に基づき外名を変更したのは、1986年以来2例目[注釈 9]である。マスメディアでは政府による外名変更を受けて一斉に「ジョージア」への切り替えが進められたが、一部では「ジョージア(グルジア)」と以前の外名[61]もしくは現在の外名[62]を括弧書きで並記する事例も見られる。

なお「ジョージア」は2000年代以前に全く使用例が無いレトロニムではなく、早い時期では大正から昭和初期(1920年代-1930年代)当時の主流「ジョルジア」の表記ゆれと言う形で、少数ながら使用例が見られる[63][64]

一方で「グルジア語」「グルジア文字」「グルジア料理」など「グルジア」を冠するものの名称は、本来は国家の名称とは関係ないが、政治的な都合から「ジョージア語」「ジョージア文字」「ジョージア料理」などに置き換える事例も一部に見られる[65][66][67]。また、英語で慣例化されている国と州の混同を避ける"Country of Georgia"および"State of Georgia"の呼び分けと同様に、米ジョージア州と区別を付ける目的もあり、1995年の憲法採択以降は正式名称に(「共和国」など)政体を含まないながらも「ジョージア」とする用例が当事国の大使館を含めて確認される[68][69]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b "However, the cited Greek-Latin root (georg) may have played a definite role in the transformation of the oriental ethnonym Gurg/Gorg/gurg, into Georgia. The point is that in the Greek and Latin worlds...the cited ethnonym of oriental provenance has become linked to the word georgos, "agriculturist"..."[3]www.academia.edu/11389126/The_Designations_of_the_Georgians_and_their_Etymology
  2. ^ ここでの「中世グルジア」とは特定の国を指すものではなく、信仰、文化、言語などで定義されている。
  3. ^ イタリア語の女性名「ジョルジャ」は"Giorgia"と綴られる。
  4. ^ ジョージア州の名前の由来はイギリス王ジョージ2世である。ジェームス・オグルソープに対して州の前身となる植民地の設立に勅許を与えたことから。
  5. ^ a b Sakartvelo, or land of the Georgians, as the Georgians call their country, has been inhabited by proto-Georgian peoples and their descendants since the first millenium B.C.E. The Georgians call themselves Kartvelebi, a name which recalls their mythological ancestor, Kartlos. The English term "Georgians" derives from the Persian Gorj and Arabic Korj and was misinterpreted as being derived from St. George, the country's patron saint.[32][33]
  6. ^ アラビア語のクルジ al-Kurj はペルシア語からの借用語である。なお、現代アラビア語では「ジョージア」系統の(ジュルジア)を用いる。
  7. ^ #ジョージア(ゲオルギア)の音転写は、グルジア語ではგიორგი (ギオルギ)、ロシア語ではГеоргий(ゲオルギイ)である。
  8. ^ 「ジョルジア」の使用は、遅い時期のものでは、読売新聞東京本社版)1968年6月28日付8面「海外メモ」に「日本柔道チームはトビリシでジョルジア・チームと対戦」との記述が見られる。
  9. ^ 在外公館設置法の別表改正としては2003年以来。このときは旧称「象牙海岸」(フランス語の国名の意訳)からコートジボワールに改正。

出典

[編集]
  1. ^ a b Romer 1998, p. 72.
  2. ^ a b Javakhishvili 1930.
  3. ^ Khintibidze 1998, pp. 29–30, 78.
  4. ^ a b Government changing official pronunciation of Georgia”. ジャパンタイムズ (15 April 2015). 2015年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月3日閲覧。
  5. ^ საქართველოს კონსტიტუცია” (グルジア語). საქართველოს პარლამენტი. 2019年11月23日閲覧。
  6. ^ a b c Rapp 2003, pp. 419–423.
  7. ^ Jardine, Bradley (2017年9月26日). “Lithuania Moves to Stop Calling Georgia by its Russian Name” (英語). EURASIANET.org. http://www.eurasianet.org/node/85301 2019年11月23日閲覧。 
  8. ^ a b c d “Lithuania willing to call Georgia «Sakartvelo»” (英語). Baltic News Network. (2017年9月27日). http://bnn-news.com/lithuania-willing-to-call-georgia-sakartvelo-172350 2019年11月23日閲覧。 Ref: 111.111.111.5016
  9. ^ a b “Lithuania Moves To Change Official Name For Georgia To Sakartvelo From Gruzia” (英語). Radio Free Europe. (2017年9月27日). https://www.rferl.org/a/lithuania-moves-change-official-name-goeriga-sakartvelo-from-russian-name-gruzia/28759383.html 2019年11月22日閲覧。 
  10. ^ Dėl Valstybinės lietuvių kalbos komisijos 2008 m. spalio 2 d. protokolinio nutarimo Nr. PN-6 „Dėl rekomendacijos „Dėl valstybių gyventojų pavadinimų“ pakeitimo” (リトアニア語). Valstybinė lietuvių kalbos komisija (2018年5月3日). 2019年11月22日閲覧。
  11. ^ “Chapter 1. Article 1.3” (pdf). Constitution of Georgia. グルジア国会. http://www.parliament.ge/files/68_1944_951190_CONSTIT_27_12.06.pdf June 28, 2009閲覧。 
  12. ^ Kiss 2018, p. 154.
  13. ^ Peradze 1937, pp. 208–209.
  14. ^ F. Freygang; W. Freygang 1816, p. 113.
  15. ^ プリニウス. IV.26, VI.14 
  16. ^ メラ. “i.2, & 50; ii.1, & 44, 102”. De Sita Orb 
  17. ^ Mikaberidze, Alexander (2015) (英語). Historical Dictionary of Georgia (2 ed.). Rowman & Littlefield. p. 3. ISBN 978-1442241466 
  18. ^ Lang 1966, pp. 5–6.
  19. ^ Flag of Georgia - National flag of the country of Georgia - ブリタニカ百科事典
  20. ^ “Is the Country of Georgia the Next Great Wine Destination?” (英語). The Wall Street Journal. (2016年4月7日). http://www.wsj.com/articles/is-the-country-of-georgia-the-next-great-wine-destination-1460045910 2016年5月6日閲覧。 
  21. ^ 池上彰「第5章 51.グルジアはジョージア!?」『もっと役立つ! 「話す」「書く」「聞く」技術』 2巻〈PHP新書 伝える力〉、2011年。ISBN 978-4-569-80057-8 {{URL|1=example.com|2=リンクの表示名(省略可)}}
  22. ^ 喬治亞中華民国外交部)- 2016年5月6日閲覧。
  23. ^ Yeremyan, Suren T. (1978). “Իբերիա (イベリア)” (アルメニア語). Soviet Armenian Encyclopedia. iv. ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国エレバン: Armenian Academy of Sciences 
  24. ^ ロシア語ラテン翻字: Gruziya/'gruzʲɪjə/
  25. ^ a b 辻原 2004, p. 103.
  26. ^ ペルシア語: گُرج‎、ペルシア語ラテン翻字: GurjGorj
  27. ^ Rezvani, Babak (2009). “The Fereydani Georgian Representation of Identity and Narration of History -- A Case of Emic Coherence --”. Anthropology of the Middle East 4 (2): 52-74. http://www.uva.nl/over-de-uva/organisatie/medewerkers/content/r/e/b.rezvani/b.rezvani.html 2016年8月20日閲覧。. 
  28. ^ لغت نامه دهخدا، معین، عمید و دیکشنری - واژه یاب”. 2016年5月3日閲覧。
  29. ^ ペルシア語: گرجستان‎、ペルシア語ラテン翻字: GurjistānGorjestānトルコ語: Gürcistan
  30. ^ لغت نامه دهخدا، معین، عمید و دیکشنری - واژه یاب”. 2016年5月3日閲覧。
  31. ^ Türkiye - Gürcistan Siyasi İlişkileri” (トルコ語). 2016年8月20日閲覧。
  32. ^ Lang 1966, p. 18.
  33. ^ iranica-georgia-1 2012, pp. 460–463.
  34. ^ ロシア語ラテン翻字: gurzi
  35. ^ ロシア語ラテン翻字: gurzynskaya zemlya
  36. ^ Vesmer 1987, p. 464.
  37. ^ [36] オンライン版
  38. ^ a b Tbilisi Wants to Be Referred as 'Georgia' Not 'Gruzya'. シヴィル・ジョルジア. June 27, 2011.
  39. ^ Georgia on his mind: Republic's ambassador demands Hebrew name change” (英語). Haaretz.com (2005年8月8日). 2014年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月28日閲覧。
  40. ^ Mindaugas Jackevičius (2009年12月2日). “Gruzija nori būti vadinama "Georgija"” (リトアニア語). delfi.lt. 2009年12月2日閲覧。
  41. ^ EURASIANET.org 2017.
  42. ^ 木村 2016, pp. 1484–1486.
  43. ^ a b ISBN 978-4-254-16895-2
  44. ^ 格鲁吉亚国家概况” (中国語). 中華人民共和国外交部. 2016年5月6日閲覧。
  45. ^ “格魯吉亞國家舞蹈團載譽重臨” (中国語). 香港政府新聞網. (2015年10月15日). http://www.news.gov.hk/tc/city_life/html/2015/10/20151015_165013.shtml 2016年5月6日閲覧。 
  46. ^ 条約局 1925, p. 目次.
  47. ^ 目次に"「ジョルジア」國"の用例有り[46]NDLJP:1340700全国書誌番号:49008647doi:10.11501/1340700
  48. ^ 海外消費組合事情 1931, p. 115.
  49. ^ 下宮 1968, pp. 29–52.
  50. ^ 歌川令三「南コーカサス・グルジアの旅(上)〈渡る世界には鬼もいる〉」『財界』2002年11月19日。 
  51. ^ 甲地利恵「現地報告 伝統的ポリフォニー国際シンポジウム 参加報告」(pdf)『北海道民俗学』第7号、北海道民族学会、札幌、2011年、66-72頁、NAID 400197407082016年5月3日閲覧 
  52. ^ 各国におけるIPC付与状況」『国際特許分類、FI、Fタームの概要とそれらを用いた先行技術調査 : 平成20年度知的財産権制度説明会(実務者向け)テキスト付属資料』、特許庁、2008年、87頁、2016年5月3日閲覧 
  53. ^ Use of the Eighth Edition of the IPC by Industrial Property Offices (Start date, core or advanced level, reclassification plans)」August 18, 2006。 
  54. ^ 特許庁の資料[52]は、WIPO資料「Use of the Eighth Edition of the IPC by Industrial Property Offices」 (Summary of Replies Received in Response to WIPO Circular No. IPC 145, issued on November 21, 2005) に基づく [53]
  55. ^ 合田泰子. “再び、グルジア、でなく、ジョージアへ(『ラシーヌ便り』no. 93)”. 2014年10月30日閲覧。
  56. ^ 島村菜津、合田泰子、北嶋裕『ジョージアのクヴェヴリワインと食文化: 母なる大地が育てる世界最古のワイン伝統製法』塚原正章 (監修)、誠文堂新光社、2017年4月14日。ISBN 978-4416516355 
  57. ^ IMFを通じた日本の技術支援活動等に関する年次報告書』(pdf)、11頁https://www.imf.org/external/japanese/pubs/ft/ta/2012/jaa/jsa12j.pdf2016年5月3日閲覧 
  58. ^ 高橋恵子 (2014年10月24日). “グルジア「ジョージア」に政府、変更へ…首脳会談で要望”. 毎日新聞. オリジナルの2014年11月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141104144459/http://mainichi.jp/select/news/20141025k0000m010074000c.html 2014年10月30日閲覧。 
  59. ^ 報道発表 国名呼称の変更(グルジア)平成27年4月22日”. 外務省 (2015年4月22日). 2016年8月13日閲覧。 “本変更は,ジョージア政府からの累次の機会に及ぶ要請及び国際社会における呼称等を総合的に勘案し,「ジョージア」の呼称を使用することが政策上適切と判断したものです。”
  60. ^ ジョージア(グルジア)基礎知識(首都、人口、宗教、言語、経済状況)”. DTACジョージア(グルジア)観光情報局. NPO法人 途上国観光支援センター. 2019年8月20日閲覧。 “国名 | ジョージア Georgia (旧ソビエトの「グルジア」の国名の表記を英語に由来する「ジョージア」に変更することを、日本政府も2015年度採用し、呼び方が変わりました。)”
  61. ^ DTAC ジョージア(グルジア)観光情報局”. NPO法人 途上国観光支援センター. 2019年8月20日閲覧。
  62. ^ 世界の文字”. www.chikyukotobamura.org. 地球ことば村 (2018年8月20日). 2019年8月20日閲覧。
  63. ^ 大阪朝日新聞、1922年4月17日「仏露両国の拮抗でゼノア会議危機に瀕す
  64. ^ 満洲日報、1932年11月23日「ロシアの石油界 豊富な埋蔵 最近はカナダと物々交換」。
  65. ^ Dr. Johannes Schumann (2017/1/5). 日本語 - グルジア語 初心者用: 2ヶ国語対応. 50LANGUAGES LLC. ISBN 978-1640184190 
  66. ^ 世界の文字 > グルジア文字 Georgian character”. 中西印刷株式会社. 2013年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月20日閲覧。
  67. ^ 日本人がハマる「グルジア料理」とは?人気料理5選と東京で食べれるお店をご紹介!”. kurashi-no.jp. 暮らし~の [クラシーノ] (2019年6月24日). 2019年8月20日閲覧。
  68. ^ 在日ジョージア大使館 (2015年5月2日). “外務大臣政務官 薗浦健太郎氏が、ジョージア国を訪問した”. 2016年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月3日閲覧。
  69. ^ 猛暑を克服! ジョージア国ワインパーティー | 井浦新によるクヴェヴリ・ワイン特集 | NHK BS衛星放送「アジアハイウエイを行く」” (pdf). Georgia Dragon Wines. 2016年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月3日閲覧。

参考文献

[編集]

出典の書誌情報

  • 発行年順
  • Freygang, Frederika von (1790–1863); Freygang, Wilhelm von (1783–1849) (1816). Lettres sur le Caucase et la Géorgie. Suivies d'une relation d'un voyage en Perse en 1812. Perthes & Besser. p. 113 
  • 外務省条約局 編『条約彙纂』 1巻、日本国及各国間諸条約、1925年、目次頁。 
  • Javakhishvili, Ivane (1930). Sakartvelos ekonomikuri istoria. Tbilisi: Kartuli Tsigni 
  • 「海外消費組合事情」第1輯(1931年版)、NCID BN1565080X 
  • Peradze, Gregory (1937). “The Pilgrims' derivation of the name Georgia”. Georgica (4 & 5): 208-209. 
  • Lang, David Marshall (1966) (英語). The Georgians. Praeger Publishers. pp. 5-6, 18 
  • 下宮忠雄「ジョルジア語の構造」『文経論叢 文学篇』第4集、弘前大学、1968年、29-52頁、NAID 110000399465 
  • Vesmer, Max Trubachyov, Oleg訳 (1987) (ロシア語). «Этимологический словарь русского языка» (Etymological Dictionary of the Russian Language). 1. Moscow: Progress. p. 464 
  • Romer, Frank E., ed (1998). Pomponius Mela's Description of the World. ミシガン大学出版局. ISBN 0-472-08452-6 
  • Khintibidze, Elguja (1998). The Designations of the Georgians and Their Etymology. トビリシ国立大学出版局. pp. 29-30, 78. ISBN 5-511-00775-7 
  • Rapp, Stephen H. (2003). Studies in Medieval Georgian Historiography: Early Texts And Eurasian Contexts. Peeters Publishers. pp. 419-423. ISBN 90-429-1318-5 
  • 辻原康夫「グルジア」『早わかり 世界の国ぐに』平凡社、2004年7月。ISBN 4-582-83229-6 
  • 北川誠一「民族と宗教 第19回 グルジア正教会」『カフカス(グルジア、アルメニア)』21号、山内昌之・木村俊一(編)、杉山正明 (監修)、朝日新聞社〈週刊朝日百科 シルクロード紀行 : ヴァチカンから奈良まで全街道体験〉、2006年3月。全国書誌番号:20990020 
  • Hitchins, Keith (7 February 2012). "GEORGIA i. The land and the people". Encyclopædia Iranica. Vol. X/5. pp. 460–463. 2016年5月3日閲覧
  • 木村英亮、2016、「ジョージア」、『ヨーロッパ・ロシアII サ-ハ』5、朝倉書店〈世界地名大事典〉 pp. 1484-1486
  • Kiss, Annamaria (2018-12-03). “"Red Lines" Remain: de facto States and the Foreign Policy Orientation of Georgia”. The Former Soviet Union and East Central Europe between Conflict and Reconciliation. Lily Gardner Feldman (序); Barash, Raisa; Goda, Samuel; Zempelburg, André (共編). Vandenhoeck & Ruprecht. p. 154 

関連文献

[編集]

出典以外の資料 発行年順

関連項目

[編集]