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ケータハムF1チーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケータハム
マレーシアの旗 Caterham
エントリー名 ケータハムF1 チーム
チーム国籍 マレーシアの旗 マレーシア
チーム本拠地 イギリスの旗 イギリスオックスフォードシャー州リーフィールド
主なチーム関係者 トニー・フェルナンデス(代表)
マイク・ガスコイン
マーク・スミス
クリスチャン・アルバース
コリン・コレス
マンフレディ・ラヴェット
主なドライバー フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン
ロシアの旗 ヴィタリー・ペトロフ
フランスの旗 シャルル・ピック
オランダの旗 ギド・ヴァン・デル・ガルデ
日本の旗 小林可夢偉
スウェーデンの旗 マーカス・エリクソン
ドイツの旗 アンドレ・ロッテラー
イギリスの旗 ウィル・スティーブンス
以前のチーム名称 チーム・ロータス
(ロータス・レーシングから改名)
撤退後 (チーム消滅)
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度 2012 - 2014
出走回数 56 (112台)
コンストラクターズ
タイトル
-
ドライバーズ
タイトル
-
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2012年オーストラリアGP
最後のレース 2014年アブダビGP
テンプレートを表示
ロータス
マレーシアの旗 LOTUS
エントリー名 Lotus Racing (2010)
Team Lotus (2011)
チーム国籍 マレーシアの旗 マレーシア
チーム本拠地 イギリスの旗 イギリスノーフォーク
主なチーム関係者 トニー・フェルナンデス(代表)
レイド・アスマット
マイク・ガスコイン
キース・サゥント
マーク・スミス
アレックス・ユーン
主なドライバー イタリアの旗 ヤルノ・トゥルーリ
フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン
インドの旗 カルン・チャンドック
以前のチーム名称 (新規参戦)
撤退後 ケータハムF1チーム
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度 2010 - 2011
出走回数 38 (76台)
コンストラクターズ
タイトル
-
ドライバーズ
タイトル
-
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2010年バーレーンGP
最後のレース 2011年ブラジルGP
テンプレートを表示

ケータハムF1チーム (: Caterham F1 Team)は2010年から2014年までF1に参戦したレーシングコンストラクター。2010年はロータス・レーシング (: Lotus Racing) として、2011年チーム・ロータス (: Team Lotus) という名称を使用して参戦していた。

したがって、チーム設立の沿革や記事の便宜上「ロータス・レーシング」から「ケータハム・F1チーム」に至るまでの経緯で記述するものとする。

概要

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F1エントリー

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チームの母体となったライトスピードen:Litespeed F3)は、イギリスF3に参戦する2008年創立の新興コンストラクターである[1]2009年5月、彼らはルノートヨタなどのテクニカルディレクターを務めたマイク・ガスコインと提携し、2010年のF1参戦エントリーを申請した[1]。その際、1994年に消滅したチーム・ロータスの名称使用権を持つデイヴィッド・ハント(ジェームス・ハントの弟)と契約し、「チーム・ロータス」の名で参戦を目指すと発表した[2]。ライトスピード代表のニーノ・ジャッジとエンジニアディレクターのスティーブ・ケンチントンは旧ロータスに在籍した経験があった[2]

F1に名門ロータスの名が戻ってくることを周囲は驚きと歓迎の念をもって迎えたが、現在マレーシアの国営自動車メーカープロトンの傘下に吸収されているグループ・ロータスは、ライトスピードの計画はロータスとは無関係とし、ブランドイメージを守るため法的措置を検討すると表明した[3]

2009年6月12日、新エントリー枠にカンポスGP(後にHRT F1)、マノーGP(後にマルシャF1)、チームUSF1(参戦前に消滅)の3チームが選ばれ、ライトスピードは落選した。しかし、バジェットキャップ導入を巡り、エントリーが不確実な状況が続いていたことから、参戦計画は続行した。

ロータス・レーシング参戦

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チーム代表 トニー・フェルナンデス(2011年)

ガスコインらはウィリアムズのスポンサーであるアジア最大の格安航空会社「エアアジア」を所有するマレーシア人実業家トニー・フェルナンデスにアプローチした[4]。フェルナンデスは新代表に就任し、マレーシア政府とマレーシア企業家のコンソーシアム「1マレーシアF1チーム」 (1Malaysia F1 Team Sdn Bhd) が新たな活動母体となった[5]

2009年7月、BMWザウバーを所有するBMWはF1撤退を発表したが、新コンコルド協定の締結期限内に売却先が決まらなかったため、同チームの2010年の参戦は不透明となり、13ある参戦チーム枠が一つ空いた。 この参戦枠をエプシロン・ユースカディペーター・ザウバーに売却されて存続が決まったザウバーと争い、2009年9月15日に「ロータスF1チーム」としてエントリーが認められた[6]

トニー・フェルナンデスは、グループ・ロータスとの具体的な協業について議論を進めていく方針を明らかにし[7]、グランプリ開幕前までに「ロータス」という名称の使用承諾を得るに至った。チーム名は「ロータスF1レーシング[8]」を経て、最終エントリーでは「ロータス・レーシング[9]」に決定した。

チームの国籍はマレーシアとされるが、ファクトリーはイギリス・ノーフォークにあるレーシング・テクノロジー・ノーフォーク (RTN) に置かれる。当初トムスの英国法人「トムスGB」の本拠地として建設され、その後アウディベントレール・マン参戦計画の基地となった施設である。

チームCEOにはプロトンでゼネラルマネージャーを務めたリアド・アスマットが就任し[10]、若手ドライバー育成プログラムの責任者として、アジア方面を元F1ドライバーのアレックス・ユーン、ヨーロッパ方面をライトスピード代表のニーノ・ジャッジが担当する[11]

「チーム・ロータス」から「ケータハム」へ

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参戦2年目の2011年、ロータス・レーシングは名称使用権を獲得の上、「チーム・ロータス」として参戦した。しかし、この一件でグループ・ロータスとの関係が悪化し、訴訟沙汰に巻き込まれた(詳細は後述)。2012年からは新たに買収していた[12]、小規模の自動車会社「ケータハムカーズ」の名称を使用し、「ケータハムF1チーム」として参戦することになった。

シーズン

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2010年

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2010年マレーシアGPのフリー走行の様子。ヤルノ・トゥルーリの後をヘイキ・コバライネンが追従する。

初年度を戦うマシンの開発は2009年11月上旬に始まり[13]、開幕までの5ヶ月で完成された。同車はコスワース製エンジンとXトラックギアボックスを搭載し、空力開発はジャン=クロード・ミジョー率いるフォンドテックと提携して行われた[14]

ドライバーは撤退したトヨタからヤルノ・トゥルーリが加入し、マクラーレンから移籍したヘイキ・コバライネンとコンビを組む。また、テスト兼リザーブドライバーとしてファイルーズ・ファウジーを起用した[15]

新車発表会にはロータスの創始者コーリン・チャップマンの遺族が出席し、マシンもロータスの慣習を受け継いで「T127」と命名された。ヨーロッパGPの前週には、チャップマンの長男が運営するクラシック・チーム・ロータス (CTL) のミーティングに参加し、「F1参戦500戦記念」のイベントが催された[16]。正式なエントリー500戦目は前戦カナダGPになるが、1970年イタリアGPのフリー走行中にヨッヘン・リントが不慮の死を遂げ、レースへの出場を見送った経緯があり、これを差し引いてヨーロッパGPが出走500戦目となった。

レース

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シーズンが始まると、開幕戦から他の新チームであるヒスパニアヴァージンに勝る速さと信頼性を発揮した。第4戦中国GPではウィリアムズニコ・ヒュルケンベルグよりも上位でフィニッシュしている。第16戦日本GPでは、コバライネン12位、トゥルーリ13位で共に完走を果たし、これが決め手となりコンストラクターズランキング10位で終えた。完走率はヒスパニアに及ばなかったものの、最高位は12位と、新チーム中最大の結果を出した。

後半の開発もあって、今期ポイントを獲得したチームでは下位となるトロ・ロッソに周回辺り1秒近くまで差を詰め、時にはロータスが先行する際にこれらのマシンのオーバーテイクを阻むシーンも見られたが、他の新規チームよりも準備期間が短い中で製作されたマシンでは、ロータスがポイントを獲得するには非常に高い壁があったことも事実であった。

2011年

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2011年はコスワースエンジンとの契約を解除し[17]、新車「T128」にはルノーエンジンを搭載する[18]。また、ルノーエンジンを使用するレッドブルの関連会社であるレッドブル・テクノロジーから、ギアボックス等の供給を受ける[19]

ドライバーはトゥルーリとコバライネンのコンビを継続。サードドライバーはカルン・チャンドックに交代した。チャンドックはドイツGPでトゥルーリに代わってレースに出場した。

フェルナンデスは4月にロータス・セブンを製造するケータハムカーズを買収し[20]、サイドポッドに"Caterham"のロゴが書き加えられた。また、ゼネラル・エレクトリックデルのスポンサードを獲得した。

ロータス名称問題

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T128のノーズ部分に掲載された「チーム・ロータス」のロゴ。
同じ「ロータス」という名を使用したチーム名、さらには同じルノーエンジンを使用した2チームが存在した。

ロータス・レーシングはグループ・ロータスから5年契約で「ロータス」の名称使用権を得ていたが、2010年9月にそのライセンスを打ち切られた。Tシャツの作製を巡る権利侵害が発端とされるが[21]ダニー・バハーCEOの就任後、モータースポーツへの関与を深めるグループ・ロータスとの利害関係が指摘された[22]

これに対し、トニー・フェルナンデスはデイヴィッド・ハントのチーム・ロータス・ベンチャーズ社を買収し、「チーム・ロータス」の商標を取得。2011年から正式に「チーム・ロータス」として参戦することを発表した[23]

グループ・ロータスの親会社であるプロトンのナズミ・モハマド・サレー会長は「我々がこのブランドの所有者であり、それを保護するために必要なあらゆる処置をとるつもりだ。F1に関連するものを含めた“ロータス”という自動車ブランドのすべてに対する権利の所有者はグループ・ロータスだ」と異議を唱えた[24]。フェルナンデスは「チーム・ロータス」を名乗る権利を主張し、イギリスの高等裁判所に手続きを提出した[25]

2010年12月には、グループ・ロータスがルノーよりルノーF1チームの株式を取得し、2011年より「ロータス・ルノーGP」の名称でF1に参戦することが発表された[26][27]。ロータス・レーシングと友好関係にあったチャップマン家も、「チーム・ロータス」の名がF1で使用されることを望まないとして、グループ・ロータスを支持することを表明した[28]

その後、双方共に弁護士を立てて「ロータス」という名称についてロンドン高等裁判所にて審議を行う事を発表。しかし、審理が3月21日までもつれ込むため、ロータス・レーシング側が望む「正式継承」がなされないまま2011年シーズン開幕を迎えることになった。判決の結果次第では、シーズン中に「チーム・ロータス」「ロータス・ルノーGP」のいずれかが名称変更を余儀なくされる可能性があった[29]

この問題について、ロータス・ルノーGPのオーナー企業であるジェニィ・キャピタル代表のジェラルド・ロペスは、チーム・ロータス側はチーム名称を変更すると、F1の興行面を統括しているフォーミュラ・ワン・マネジメント (FOM) からの分配金を受け取る権利を失う可能性があるために強硬な姿勢に出ていると語り、金銭的な解決が可能ではないかとの見解を示した[30]。フェルナンデスはグループ・ロータスから法廷外で1,000万ドルの和解提案を受けたが、拒否したことを明かした[31]。プロトンは示談の可能性を認めつつも、フェルナンデス側が要求する3,500万ドルから6,000万ドルの金額は認められないと述べた[32]

2011年5月27日、ロンドン高等裁判所は、判決で同チームに「チーム・ロータス」の名称を使用することを許可した。ただし、ライセンス問題ではロータス・レーシング側に過失があるとして、グループ・ロータスがF1で「ロータス」の名を使うことを認めたため、今後も2つのロータスが存続することになった [33]。これに対し、グループ・ロータス側は即時上告の意向を表した[33]。一方で、フェルナンデスは2012年に「チーム・ロータス」を使用しない可能性を示唆した[34]

その後双方が合意に達し、FIAのF1委員会にチーム名変更を申請[35]。2011年11月6日、2012年よりチーム・ロータスが「ケータハムF1チーム」(コンストラクター名「ケータハム」)、ロータス・ルノーGPが「ロータスF1チーム」(コンストラクター名「ロータス」)に改称することが発表された[36]。両者は共同声明において問題終結を宣言し、「F1における『ロータス』と『チーム・ロータス』の名称はグループ・ロータス所有の下に統一された[35]」と発表した。

レース

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シーズン最高成績は13位が3回(トゥルーリ2回、コバライネン1回)。この年も初入賞は叶わなかったが、予選Q2進出を果たすなど、中団グループ入りに向けて1歩前進した。2年連続してコンストラクターズランキング10位を獲得した成績について、コンコルド協定の分配金では2,500万ドルの価値があるとしている[37]

2012年

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コバライネンの駆るCT01

ドライバーは当初はトゥルーリとコバライネンの継続を発表したが、ヘレスでの新車テスト後にトゥルーリに代えてヴィタリー・ペトロフの起用が発表された。またサードドライバーはギド・ヴァン・デル・ガルデに交代した。 2012年仕様車である ケータハム・CT01 はチーム初の KERS 搭載車であった。

この年の中国GPからマーク・スミスがマイク・ガスコインに変わって、ピットウォールで指揮をとることになった。 車はシーズン前の期待より遅かったが、バーレーンGPでは、コバライネンがミハエル・シューマッハを打ち破り予選Q2に進出した。 モナコGPでは、コバライネンがシーズンベストの13位を獲得。マクラーレンジェンソン・バトンがスピンを喫したが、回避しオーバーテイクした。 バレンシア(ヨーロッパGP)では、Q1最終周でトロ・ロッソ2台とマーク・ウェバーを退けたコバライネンが再び予選Q2に進出し予選16位を獲得。 ケータハムのコバライネンとペトロフの2台はレースでも良い走りだったが、コバライネンがトロ・ロッソのジャン・エリック・ベルニュと接触。この事故が原因でセーフティーカーが出動した。 しかしコバライネンはリカバーして13位となった。この結果はドライバー2人合わせてのシーズンベストの順位であった。 イギリスGPではレース開始前にペトロフのエンジンが故障。そのため車をピットに入れてそのままリタイアした。

7月末、本拠地をノーフォークからリーフィールドに移転した[38]。ここはアロウズTWR)が設立し、その後スーパーアグリが拠点とした施設である。

最終戦ブラジルGPはペトロフがマルシャのシャルル・ピックを上回る11位(チーム新記録)となり、チームはコンストラクターズの10位を獲得した。

2013年

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シャルル・ピックの駆るCT03

2012年11月23日、マルシャからシャルル・ピックが複数年契約で移籍してくることが発表された。 チームメイトはルーキーで前年サードドライバーのギド・ヴァン・デル・ガルデ。 2013年3月1日、チームはアレキサンダー・ロッシと馬青驊が2013年シーズンのリザーブドライバーに就任したことを発表した。 2013年4月17日、チームはヘイキ・コバライネンとリザーブドライバー契約を結んだことを発表した。 彼は車の技術開発を担当し、新規作成パーツのテストを担当する。このため、馬は結果的にリザーブドライバーのシートを喪失した。ベルギーグランプリにて、ヴァン・デル・ガルデがケータハムの予選最高位である14位を獲得するなど健闘を見せる。

しかし、ライバルであるマルシャよりマシンは速いものの、マルシャが第2戦マレーシアGPで獲得した13位を最終戦まで抜くことが出来ず、ピックが同戦と第14戦韓国GP、そして第10戦ハンガリーGPにてヴァン・デル・ガルデが獲得した14位がチームにとっての最高順位となってしまい、全チーム中の最下位であるコンストラクターズ11位となった。

2014年

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小林可夢偉の駆るCT05

2014年1月21日、レースドライバーに小林可夢偉マーカス・エリクソン、リザーブドライバーにロビン・フラインスとアレキサンダー・ロッシというラインナップが発表された。

今シーズンも苦戦が続き、モナコグランプリでマルシャが初めてのチャンピオンシップポイントを獲得する中で11位(最下位)に低迷。F1からの撤退報道も流れる中で、7月にスイスと中東の投資家グループへの売却を発表。ミナルディスパイカーF1でドライバーをしたクリスチャン・アルバースがチーム代表に就任したが、2ヶ月後のイタリアGP直後に辞任し、ゼネラルマネージャーだったマンフレディ・ラヴェットが後任に就いた[39]。この売却については、HRT F1の代表だったコリン・コレスのアドバイスにより進められた[40][41]

チーム売却から2週間後、リザーブドライバーのロッシがチームからの離脱を発表された[42]ベルギーGPは小林に代えてアンドレ・ロッテラーを起用した[43]

チーム消滅

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その後、元オーナーのトニー・フェルナンデスとの間に論争が生まれ、10月23日、チームは管財人の管理下に置かれることになり[44]アメリカGPブラジルGPを欠場。最終戦アブダビGPクラウドファンディング(ファンからの資金提供)などの資金調達により出場することができた[45]ものの新たな買い手は見つからず、翌2015年2月にチームの資産売却が決まった[46]ため、2015年シーズンの出場を断念した。

ロータスとしての戦績

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シャーシ エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ポイント ランキング
2010 ロータス・T127 コスワース CA2010 V8 B BHR
バーレーンの旗
AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
CHN
中華人民共和国の旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
TUR
トルコの旗
CAN
カナダの旗
EUR
欧州連合の旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
KOR
大韓民国の旗
BRA
ブラジルの旗
ABU
アラブ首長国連邦の旗
0 10位
イタリアの旗 ヤルノ・トゥルーリ 17† DNS 17 Ret 17 15† Ret Ret 21 16 Ret 15 19 Ret Ret 13 Ret 19 21†
フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン 15 13 NC 14 DNS Ret Ret 16 Ret 17 Ret 14 16 18 16† 12 13 18 17
2011 ロータス・T128 ルノー RS27-2011 V8 P AUS
オーストラリアの旗
MAL
マレーシアの旗
CHN
中華人民共和国の旗
TUR
トルコの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
EUR
スペインの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
KOR
大韓民国の旗
IND
インドの旗
ABU
アラブ首長国連邦の旗
BRA
ブラジルの旗
0 10位
フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン Ret 15 16 19 Ret 14 Ret 19 Ret 16 Ret 15 13 16 18 14 14 17 16
イタリアの旗 ヤルノ・トゥルーリ 13 Ret 19 18 18 13 16 20 Ret Ret 14 14 Ret 19 17 19 18 18
インドの旗 カルン・チャンドック 20

完走扱い

ケータハムとしての戦績

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シャーシ エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 ポイント ランキング
2012 ケータハム・CT01 ルノー RS27-2012 V8 P AUS
オーストラリアの旗
MAL
マレーシアの旗
CHN
中華人民共和国の旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
EUR
スペインの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
KOR
大韓民国の旗
IND
インドの旗
ABU
アラブ首長国連邦の旗
USA
アメリカ合衆国の旗
BRA
ブラジルの旗
0 10位
20 フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン Ret 18 23 17 16 13 18 14 17 19 17 17 14 15 15 17 18 13 18 14
21 ロシアの旗 ヴィタリー・ペトロフ Ret 16 18 16 17 Ret 19 13 DNS 16 19 14 15 19 17 16 17 16 17 11
2013 ケータハム・CT03 ルノー RS27-2013 V8 P AUS
オーストラリアの旗
MAL
マレーシアの旗
CHN
中華人民共和国の旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
KOR
大韓民国の旗
JPN
日本の旗
IND
インドの旗
ABU
アラブ首長国連邦の旗
USA
アメリカ合衆国の旗
BRA
ブラジルの旗
0 11位
20 フランスの旗 シャルル・ピック 16 14 16 17 17 Ret 18 15 17 15 Ret 17 19 14 18 Ret 19 20 Ret
21 オランダの旗 ギド・ヴァン・デル・ガルデ 18 15 18 21 Ret 15 Ret 18 18 14 16 18 16 15 Ret Ret 18 19 18
2014 ケータハム・CT05 ルノー Energy F1-2014 1.6 V6 t P AUS
オーストラリアの旗
MAL
マレーシアの旗
BHR
バーレーンの旗
CHN
中華人民共和国の旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
AUT
オーストリアの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
RUS
ロシアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
BRA
ブラジルの旗
ABU
アラブ首長国連邦の旗
0 11位
9 スウェーデンの旗 マーカス・エリクソン Ret 14 Ret 20 20 11 Ret 18 Ret 18 Ret 17 20 15 19 19
10 日本の旗 小林可夢偉 Ret 13 15 18 Ret 13 Ret 16 15 16 Ret 17 Ret 21 Ret Ret
45 ドイツの旗 アンドレ・ロッテラー Ret
46 イギリスの旗 ウィル・スティーブンス 17

ギャラリー

[編集]
  • ロータス(2010年 - 2011年)
  • ケータハム(2012年 - 2014年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b “F3チーム、ライトスピード、ガスコインと組み2010年F1にエントリー提出へ”. オートスポーツweb. (2009年5月15日). http://www.as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=20184 2012年1月17日閲覧。 
  2. ^ a b “ロータスの名がF1に復活か”. F1-Gate.com. (2009年6月7日). http://f1-gate.com/other/f1_3795.html 2012年1月17日閲覧。 
  3. ^ “ロータス社 「ライトスピードのF1エントリーとは無関係」”. F1-Gate.com. (2009年6月11日). http://f1-gate.com/other/f1_3832.html 2010年5月22日閲覧。 
  4. ^ Jim / Kay Tanaka (2010年2月13日). “マイク・ガスコイン独占インタビュー”. ESPN F1. http://ja.espnf1.com/lotus/motorsport/story/8694.html 2012年1月17日閲覧。 
  5. ^ “ロータスF1チームとは”. F1-Gate.com. (2009年9月15日). http://f1-gate.com/lotus/f1_4864.html 2010年5月22日閲覧。 
  6. ^ "2010 FIA Formula One World Championship - New Entries" (Press release) (英語). FIA. 15 September 2009. 2012年1月18日閲覧
  7. ^ “ロータスF1チーム代表(トニー・フェルナンデス):インタビュー”. F1-Gate.com. (2009年9月26日). http://f1-gate.com/lotus/f1_4968.html 2010年5月22日閲覧。 
  8. ^ "2010 FIA Formula One World Championship Entry List" (Press release) (英語). FIA. 3 November 2009. 2012年1月18日閲覧
  9. ^ "FIA Formula One World Championship - Entry List" (Press release) (英語). FIA. 3 March 2010. 2012年1月18日閲覧
  10. ^ “ロータスF1、リアド・アスマットがCEOに就任”. F1-Gate.com. (2009年10月30日). http://f1-gate.com/lotus/f1_5424.html 2010年5月22日閲覧。 
  11. ^ “ユーン、幹部としてロータス入り”. ESPN F1. (2009年12月7日). http://ja.espnf1.com/lotus/motorsport/story/4637.html 2012年1月18日閲覧。 
  12. ^ “チーム・ロータス、ケーターハムの買収を正式発表”. F1-Gate.com. (2011年4月27日). http://f1-gate.com/lotus/f1_11539.html 2012年2月4日閲覧。 
  13. ^ “ロータス、F1マシンの製造を開始”. F1-Gate.com. (2009年11月7日). http://f1-gate.com/lotus/f1_5540.html 2010年5月22日閲覧。 
  14. ^ “ロータスがF1復帰”. GPUpdate.net. (2009年9月15日). http://f1.gpupdate.net/ja/news/2009/09/15/219686/ 
  15. ^ Prime Minister announces Lotus F1 Racing 2010 drivers
  16. ^ “ロータス、歴代F1マシンを揃えてF1参戦500戦を祝う”. F1 Gate.com. (2010年6月19日). http://f1-gate.com/lotus/f1_8035.html 
  17. ^ “コスワース、ロータスとの契約終了に合意”. F1 Gate.com. (2010年9月13日). http://f1-gate.com/cosworth/f1_9146.html 2010年9月13日閲覧。 
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関連項目

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外部リンク

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