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Wikipedia:中立的な観点に於ける制限と「その主題」が指すものについて
[編集]Wikipedia:中立的な観点は、その劈頭にあるように「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」とするものですが、一つ制限があります。以下にその一節を引用します。
「重要な制限事項がひとつあります。複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門化や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。しかし、これは少数派の観点が、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきだ、ということではありません。ウィキペディアにはサイズの制限はありません。そのようなページにおいて、その観点が詳細に説明されているかも知れませんが、その観点が真実であるといった形で表現されるべきではありません。」
この「重要な制限事項が~」の一節は少数派意見に関して、広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はないという制限について述べられたものであると思います。また、その中の一文「公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門化や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。」は様々な観点の記述の分量を示す為に挿入された文で、「その主題」が指すものは、争点を形成している事柄であると私は考えております。しかし、一文の「その主題」を個別の記事の事柄について述べたものであるとする見解もあります。その見解に拠れば、「○○×」という名の記事の中に争点のある一節があるが、その「○○×」という記事についての専門家や関係者の意見(つまり、その出典)でなければ、たとえその争点についての専門家や関係者の意見であっても「○○×」に触れられていなければ記述する価値がないとするものです。もしこの制限が後者であったならばWikipedia:中立的な観点に多大な影響を与えかねない制限だと思います。このWikipedia:中立的な観点の制限について皆さんの見解をお伺したく存じます。--廿粁 2009年3月30日 (月) 02:14 (UTC)
- ここでいう「その主題」というのは、現実にある項目に関する論争について叙述する場合のことであって、その文言(たとえば、「大東亜戦争」か「太平洋戦争」か)について、他の記事の中で書かれている場合に、両論を併記せよということではないと思います。ここでいえば、「大東亜戦争」もしくは「太平洋戦争」という記事内において、どういう記事名がふさわしいかの議論に限ったことであって、沢村栄治が戦死した戦争が「大東亜戦争」なのか「太平洋戦争」なのかについて、「沢村栄治」の記事の中で両論併記しろということではないのだと思います。 --ねこぱんだ 2009年3月30日 (月) 13:49 (UTC)
- ねこぱんだ氏に同意。--118.105.225.210 2009年3月30日 (月) 15:48 (UTC)
- ご意見有難う御座います。文脈からいっても記事名ではないと私は考えております。制限については如何でしょうか。--廿粁 2009年4月1日 (水) 01:46 (UTC)
- 廿粁氏の編集履歴から松江騒擾事件での「無条件降伏」という語句をめぐる議論からの派生だと思うけれども、論争がある語句に対して常に「[[無条件降伏]]<ref>ただし無条件降伏には論争がある。[[無条件降伏]]を参照</ref>」と書くのは編集上問題じゃないだろうか。「無条件降伏」に対して論争があることは「無条件降伏」の記事自身に書かれており、リンクも存在する。これを許せば、例えば「進化論」など論争のある語句に対して「[[進化論]]<ref>ただしダーウィンの進化論には宗教上の論争がある。[[進化論]]を参照</ref>」という記述を、たとえば「ミミズ」や「ハト」という記事でいちいち記述されるのもOKとなる。これは「中立的な観点」の問題ではなく百科事典としての可読性の問題ではないだろうか。--Afaz 2009年4月1日 (水) 04:54 (UTC)
- ご意見有難う御座います。Afazさんのご指摘も肯ける所ではありますが、併し乍らWikipedia:中立的な観点の「争いのある主題についての長い記事」に於いてこのご指摘に類する説明があり、「他の記述の説明の妨げにならない程度の説明はよい」又リンクなどについても中立的な観点から触れられています。詳細は当該項目をお読みいただけたらと思います。松江騒擾事件での「無条件降伏」か否かの論争に関する併記については、これに照らして適切な記述ではないかと考えております。--廿粁 2009年4月2日 (木) 01:35 (UTC)
- あの、あなたはいったいここで何がしたいのですか?松江騒擾事件なる個別の記事においていかなる記述をするかについては、ノート:松江騒擾事件が正しい議論場所です。記事中に自分の見解を反映させるために必要なことは、当該記事のノートにおける意見の対立者を説得することであり、対立者の知らないところで勝手な合意もどきを形成するために議論を拡散させることではありません。--122.18.219.134 2009年4月2日 (木) 02:30 (UTC)
- ご意見に対する返答でしたが脇道に逸れた感がありました。以後個別記事や他の話題についてのご意見を戴いても返答は致しかねます。以下、中立的な観点に於ける制限と「その主題」が指すものについて引続きご意見ご議論を戴ければと思います。--廿粁 2009年4月3日 (金) 01:09 (UTC)
- >たとえその争点についての専門家や関係者の意見であっても「○○×」に触れられていなければ記述する価値がないとするものです。もしこの制限が後者であったならばWikipedia:中立的な観点に多大な影響を与えかねない制限
- 別に何の問題も無いと思われます。その争点についての専門家や関係者が「○○×」で争点の内容を記述すれば良いだけの話ですから。--EULE 2009年4月3日 (金) 11:10 (UTC)
- 中立的な観点の趣旨を考えればそう解釈するのが自然だと私も思います。三大方針の一つWikipedia:検証可能性が満たされたとしても制限が後者であったならば、これを理由として記述の削除を行えるという逆さまな状態が発生しうると思いますので。--廿粁 2009年4月7日 (火) 01:09 (UTC)
- 問題が無いのだから、削除しても「問題が無い」でしょう。まあ、良くて一部転記提案を経た後に、然るべき記事への転記となるでしょうけど。
- 例えば、ID論の書籍を用いて、ハトやヘビやカモノハシの記事で、検証可能性を満たして「進化論とID論の対立」(その主題)を記述することはできますよ。しかし、それを削除したって何も問題は無いわけです。それは「進化論」か「ID論」のページで記述すべき話題ですし、まして、既にその話題が当該記事中に記述されているのであれば、なお更、問答無用で削除したってケチを付けられる謂れは無いでしょう。仮に該当記事中に論争の記述が無かったとしても、前に述べたように専門家が該当記事中に論争内容を記述すれば良いだけの話であって、やはり、いくら専門家だからと言ってカモノハシのページで進化論とID論の対立を記述することはすべきではないし、何より意味が無い。また、詳細に書くまでも無く、ただ論争があることを言及することについても、これが例えば、ダーウィンや創造論の記事なら良いでしょうが、やはりカモノハシの記事にまでわざわざ書くのは可読性を落とす以上に意味の無い行為だと言わざるを得ません。--EULE 2009年4月7日 (火) 06:32 (UTC)
- 逆の意味にとってしまったようですみません。後者の制限で問題ないと言うことですね。可読性等の問題は中立的な観点とまた別ですのでEULEさんのご意見としては尊重されるべきだとは思いますが、もし制限が後者であったならば、「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」という中立的な観点の趣旨に反するのではないでしょうか。この一節が、この趣旨を覆すほどの制限を述べているとは思えません。--廿粁 2009年4月8日 (水) 01:03 (UTC)
- では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。あなたの主張している内容は、とどのつまりそういうことです。そして、私が言えることは「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」について調べて見て下さいということだけです。--EULE 2009年4月8日 (水) 01:27 (UTC)
- (追記)一つ語弊があるようなので訂正しますが、「後者の制限で問題ない」ということではなく、「後者の制限でも問題ない」ということです。どのみち、あなたのどの解釈法をとっても、別にwikipediaに与える重大な問題にはならないということです。--EULE 2009年4月8日 (水) 01:40 (UTC)
- それに対する答は既にWikipedia:中立的な観点の「争いのある主題についての長い記事」に於いて述べられています。「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います」とあり、リンクを張ることなどについても書かれていますのでご一読下さい。--廿粁 2009年4月10日 (金) 02:02 (UTC)
(インデント戻す)Wikipediaの方針・ガイドライン等々は、いずれも記事をよりよいものにするためのものです。執筆者は確かにそれに従わなければなりません。しかし、それらの文書を「適用した」「従った」という編集によって作られた記事が、そもそも文章としてダメ(主題がはっきりしない、論旨がブレている、論点が発散している、etc.etc.)で可読性が低く、読者にとって理解困難なものになったとしたら本末転倒です。
なぜなら第1に、百科事典記事の目的はある主題について読者の理解を図るためのもので、そのための唯一の手段は文章しかないからです。この意味で文章がダメでは目的は達せられません。第2に「目的のためのルール」という観点からすれば、「ルールを適用した」「ルールに従った」編集でダメな記事を生むというのは、それはルールを尊重するように見えて、実はルールの精神を最悪の仕方で蔑ろにする行為だからです。
こうした意味で、自明な前提(文章作成の常識)と非自明な前提(この場合はWikipediaの方針)との間でバランスをとることが執筆者に求められているのであり、“ルールに従ったのだから、記事がデグレードしようがどうしようが自分は正しい”という主張は実は、ルールの精神を最もないがしろにする類の主張であると考えなければなりません。そのようなルールの「解釈」なり「従い方」なりにはどこか間違いがあると考えます。
以上から申し上げるべきこととしては、廿粁さんがやろうとしていること、EULEさんの言い方を借りれば「進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記」することは、記事をデグレードさせる編集を正当化するために方針文書を持ち出すルールの悪用でしかありません。「進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記」することは、極めて困難(というかほとんど不可能)な配慮の元でなければ百科事典記事の質・量の向上に寄与することなどないでしょう。思うに、少なくとも本件に関して問題なのは、方針文書の解釈でも何でもない。読み手のために文章を書くという意識が欠けている執筆者がいるということでしかないと思います。
追記 - 類似のトピックとしてWikipedia:井戸端/subj/「公式な方針」をめぐる対話拒否について、Wikipedia:井戸端/subj/2ちゃんねるでの「祭り」をトピックとして記述することを挙げておきます。--ikedat76 2009年4月8日 (水) 16:43 (UTC)
- 個別記事についての回答は致しかねるところですが、「ルールの悪用」であるとして非難されましたのでこれに反論します。松江騒擾事件で私が併記とした部分はたかだか二、三行の記述です。これによってその記事全体の見通しが悪くなり理解が困難となり、ウィキペディアの根本的方針を覆えさなければならないほどの影響を与えているとは到底思えません。たとえそうであったとして個別記事に於いて根本的方針を差置くならば、合意によって根本的方針が覆えす事が出来るかどうかは別として、他の編輯者に明確な説明をするなり合意を形成するなりしなければならないでしょう。又ikedat76さんは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用にあたるとして私を非難していますが、この趣旨は、「方針やガイドライン、あるいは他者の言動や証拠などを引き合いにするときは、その字面だけを追求するのではなく、そこに書かれた本来のルールの精神や意図、さらに必要であればウィキペディアの本来の目的まで立ち返って考えることをお勧めします。また、ルール精神に準じていないルールの悪用は、全て無効です。」とあり、ルール精神や意図に立ち返えなければならないということでしょう。Wikipedia:中立的な観点の「重要な制限事項~」の一節を敷衍し適用するのではなく、中立的な観点のルール精神を考えるのならば、全くこの批判には当りません。中立的な観点の冒頭にあるように中立的な観点はウィキペディアの根本的な方針のひとつであり、すべての利用者が従うべきだと考えられています。説明を尽すべきはこれに対して異議がある人です。ikedat76さんが個別に意見があるのであれば当該ノートへお願いします。追記にあるWikipedia:井戸端/subj/「公式な方針」をめぐる対話拒否についてを一瞥しましたが、これは公式な方針も人それぞれ解釈があるから対話無く編輯を行うことについての議論であり、ikedat76さんの言っている趣旨とは若干異なると思いますが。--廿粁 2009年4月10日 (金) 02:02 (UTC)
- それは「争いのある長い記事」について述べられたものでしょう?全く関係の無い話題から、自分の主張に合いそうな一文を持ってきたって反論になんかなってませんよ。
そこに馬の例が載ってますが「(直接関係無い)馬の記事に進化論と創造論の論争があることを手短なら記述してあっても良い」なんて書いて無いでしょ?「馬の進化」が主題なのと、「馬」が主題なのは違いますからねまして、あなたが根拠とした例は「馬の進化」について、「創造論側にも意見があるならば、」と言う前提であり、「進化論」と言う言葉があったら、併記すべきだなどとは言っておりません。 - もうちょっと具体的に説明させてもらいますとね、記述するに適する場所と、適せない場所があると私は言いたいんですよ。先の例なら「ダーウィンや創造論の記事にならあっても問題は無い」と言ってるでしょう?それを「中立的視点が~」と述べて、「カモノハシ」も含めて全てに併記すべきだみたいなのは、一件正論のようである屁理屈なんですよ(あなた本人はそこまで言ってるつもりは無いのかもしれないが、あなたが主張する内容とはそういうことです)。そういうことを皮肉ったのがスパゲッティモンスター教団なのですが(まあ、それは置いといて)。あなたが問題としていることは、中立的視点だとか検証可能性がどうとか以前の問題なんです。しいて言えば百科事典として間違ってる。極論を言えば、例え検証可能性を満たそうが、中立的視点を満たそうが、ヒルベルト問題の中で「アンパンマンはつぶあんである(しかし、○○はこしあんと述べている)」と記述すれば削除されるわけですよ。ちなみに「アンパンマンがつぶあん」なのは事実ですよ。だけど、それを数学分野のページに記述するのはおかしいし、何より意味が無い。そういうレベルなんです。適した場所に適した記述を行う。当たり前の話です。あなたはikedat76氏の意見にも反論していますが、逆に「論争があることを一々併記しないことは中立的視点の精神に反している」かどうか考えてみてください。多くの人間は反しているとは思わないでしょう。現に、ブリタニカでも日本大百科でも何でも、百科事典に、一々論争があるなどと併記されてますか?そして、この百科事典は見方に偏りがあるなどと思いますか?(まあ、思ったら御免なさいね。多くの人は思わないでしょうけど)。
- まして、あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。とてもそんなのは認められませんよ。--EULE 2009年4月10日 (金) 06:03 (UTC)
- 直上の意見に完全に同意かな。本当に右より人たちは、同じ編集傾向だねぇ。--118.105.213.99 2009年4月10日 (金) 14:09 (UTC)
- それは「争いのある長い記事」について述べられたものでしょう?全く関係の無い話題から、自分の主張に合いそうな一文を持ってきたって反論になんかなってませんよ。
- EULEさんはWikipedia:中立的な観点を通して読んだのでしょうか。「「争いのある長い記事」について述べられたものでしょう?」としていますが、それはただ字面を追っただけでしょう。EULEさんが自ら取消した部分を見るとそのことがよくわかります。中立的な観点には「――ある事柄について、複数の、長い記事を書く場合には」ともありますね。何回も読返すことをお勧めします。EULEさんは譬えとしてヒルベルト問題の中でアンパンマンについての記述を持出していますが、抑もこれが譬になっていません。私が問題として提議しているのは、ヒルベルト問題とアンパンマンに敢て譬えて言うならば、ヒルベルト問題で「アンパンマンはつぶあんである」或は「アンパンマンはこしあんである」と云う記述が削除されず事実上容認された状態にある場合に、「アンパンマンはつぶあんである(しかし、○○はこしあんと述べている)」或は「アンパンマンはこしあんである(しかし、○○はつぶあんと述べている)」という観点を加筆するにあたって中立的な観点にある制限の一節をどうするかです。ヒルベルト問題でアンパンマンのくだりを記述するかどうかを言っているのではありません。EULEさんは相手の考えを推測して押広げて、これに「そういうレベル」などと批評を勝手に加えていますが、それはEULEさんの考えた一部にしか過ぎないでしょう。又、他の百科事典の方針は知りませんが、ウィキペディアという百科事典の目的及び方針はWikipedia:基本方針とガイドラインに書かれていますね。他の百科事典がそうだからここもそうだとEULEさんが考えるのは勝手ですが、それを振回すのはどうかと思います。さらにEULEさんの憶測が端的に表れているのが「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。」です。私は全くこの様な考えを言ってはいません。明確な説明を求めます。これはWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「ルールの悪用」にある「印象操作」に当ると指摘せざるを得ません。--廿粁 2009年4月14日 (火) 01:12 (UTC)
- >それはただ字面を追っただけでしょう
- それはあなたの方でしょう・・・。そこで述べられているのは、(記述するのに)長い論争がある場合に、直接は関係の無い記事(そこの例だと「進化論」「創造論」以外のもの)で記述が必要な場合に、論争を全て記述する必要がありますか?と言う問いに対して「注釈程度でも構いませんよ」と述べられている部分なんです(さらに言えば、重要な物であるなら新たに項目を立てても良いよ、と書いてある)。「論争があるなら、注釈しろ」なんて書いてない。私が「注釈その物が不適当だ」と述べているならば、それは反論の余地になりますが、そんなこと言ってませんから。この「記述が必要な場所かどうか」が、私の論旨なのに。そもそも、2009年4月8日 (水) 01:40 (UTC)の私の意見に対する反論として、その一文を持ってくるのがおかしい。あそこで妥当な反論は、「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」と言う部分に対してのはずです(あるいはこれまでの類似の部分)。ここに反論していないということは、この推測は正しいということだ。これに反論してないのに、今さら、それは憶測だ、印象操作だと非難されても困ります。
- そもそも根本的なことは、既にノート:松江騒擾事件にてZERO氏に散々指摘されているはずなんです。「もし廿粁さんが当初からこうした解釈の持ち主ならば、編集したのが「無条件降伏」だけではすむはずがないんです。あらゆる語句に「~には争点がある」と書いていたはずです。」と。結果、何が起こるかといえば「争点があったならば、その一つ一つについて脚注を付けなければならなくなりますよ?もちろんその説明文にも語句があるでしょうから、それについてもさらに同様の作業を繰り返さなければならなくなります。いつ完成するとも知れませんが、いくらサイズの制限はないとはいえ、できあがったものはもはや松江騒擾事件を理解するにはとんでもなくバランスの悪い何かへんなカタマリの文章の完成です。」となるでしょう。それは別に「松江騒擾事件」に限った話ではなく、ここで氏が主張する内容を是とすれば、起こりうる、いやむしろ、起こさなくてはならないことです(これを憶測だ、印象操作だと非難しても、あたなはここを反論して無いのだからしょうがない)。
- 一見正論であるような屁理屈を見つける方法は簡単です。現実に当てはめれば良い。例えば、ゼノンがいくらアキレスは亀に追いつけないと主張しようが、アキレスは亀を追い抜くんです。いくら、あなたが条文の解釈から中立的視点の重大な問題だと主張しようが、それを適応するとZERO氏が指摘したような実に馬鹿ばかしいページが出来上がるだけなんです。ならば、それは思考過程、理論が間違っていたなんて自明のことです(さらにikedat76氏が指摘するように、wikipediaでは「ルールに従ったのだから、記事がデグレードしようがどうしようが自分は正しい」は認められないわけで、なお更、現実と乖離するなら、仮にその解釈が正しかろうと守る必要性なんて無いです。法律家ごっこはするなと)。
- もっとも、ノート:松江騒擾事件と違い今回の議論は「その主題」が指す物をねこぱんだ氏などが「論争があることを記述すること」と解釈していますが、ZERO氏は「その記事の内容のこと」と解釈しているなど、相違があることは認めざるを得ません(ちなみに私はどちらが正しいかは判断しません。どちらの解釈が正しかろうと、氏が懸念する中立的視点の重大な問題にはなら無いからです)。しかし、前提はどうであれ、それが記述するに適する場所かどうかの判断基準として、ZERO氏がおしゃったことは十分参考になるでしょう。つまり、その記事のことの専門家(ないし専門書)で、ある語句や概念に特に論争があることに言及が無ければ、その論争について記述する必要性は無いということです。だって、それがその記事にとって重要な意味を持つなら、触れられているはずですから。触れられていないということは、その記事の内容を理解する上では必要の無い情報ということになります。
- あとわざわざ記述を削除した部分で揚げ足を取って来ても困るのですが、当初は、そこに乗っている馬の例を引き合いに書いたわけです。これは間違ってはいないんだが、しかし、それだとあなたは勘違いすると思った。現に勘違いしてる。だから、書き直したんですよ。誤解を招かないように。そしたら、わざわざ削除した部分を持って批判してくるとは思いもよりませんでした。また、アンパンマンにしても、ただでさえ極論と断っている自論の例え話であって、つまり「記述に適さない場所なら削除されますよ」と言う私の例えに対して「私(廿粁)はそんなこと言ってない」と返されたって困るんですよ。だって、それは私の自論に対する例えなんだから当たり前でしょう?「私(廿粁)が言っていることはこうだ!」と私の例を引き合いに返されても、全然反論になっておりません。苦言を呈しますが、あなたはどうでも良い部分は(その是非は別として)具体的に批判して、肝心な部分は読みが足りないだの、わかってないだの、具体性に欠ける。頼みますから、論旨に対して反論してください。それをしない結果、印象操作だなんだ言われても困りますんで。--EULE 2009年4月14日 (火) 05:26 (UTC)
- EULEさんはWikipedia:中立的な観点を通して読んだのでしょうか。「「争いのある長い記事」について述べられたものでしょう?」としていますが、それはただ字面を追っただけでしょう。EULEさんが自ら取消した部分を見るとそのことがよくわかります。中立的な観点には「――ある事柄について、複数の、長い記事を書く場合には」ともありますね。何回も読返すことをお勧めします。EULEさんは譬えとしてヒルベルト問題の中でアンパンマンについての記述を持出していますが、抑もこれが譬になっていません。私が問題として提議しているのは、ヒルベルト問題とアンパンマンに敢て譬えて言うならば、ヒルベルト問題で「アンパンマンはつぶあんである」或は「アンパンマンはこしあんである」と云う記述が削除されず事実上容認された状態にある場合に、「アンパンマンはつぶあんである(しかし、○○はこしあんと述べている)」或は「アンパンマンはこしあんである(しかし、○○はつぶあんと述べている)」という観点を加筆するにあたって中立的な観点にある制限の一節をどうするかです。ヒルベルト問題でアンパンマンのくだりを記述するかどうかを言っているのではありません。EULEさんは相手の考えを推測して押広げて、これに「そういうレベル」などと批評を勝手に加えていますが、それはEULEさんの考えた一部にしか過ぎないでしょう。又、他の百科事典の方針は知りませんが、ウィキペディアという百科事典の目的及び方針はWikipedia:基本方針とガイドラインに書かれていますね。他の百科事典がそうだからここもそうだとEULEさんが考えるのは勝手ですが、それを振回すのはどうかと思います。さらにEULEさんの憶測が端的に表れているのが「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。」です。私は全くこの様な考えを言ってはいません。明確な説明を求めます。これはWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「ルールの悪用」にある「印象操作」に当ると指摘せざるを得ません。--廿粁 2009年4月14日 (火) 01:12 (UTC)
- 日本語を斜体にするのはお止め下さい。表示環境によっては斜体として表示されない場合があります。それと鉤括弧「」で他人の発言があったかの様に演出しないで下さい。では本題に入ります。個々の記事については回答いたしかねるところですが、EULEさんがノート:松江騒擾事件とそのZEROさんの発言を借りて反論していますので、これに反論します。EULEさんの発言は支離滅裂で何が言いたいのか分りませんね。ZEROさんは中立的な観点の制限についての文脈の中でEULEさんが引いた発言をしています。EULEさんの「wikipediaでは「ルールに従ったのだから、記事がデグレードしようがどうしようが自分は正しい」は認められないわけで、なお更、現実と乖離するなら、仮にその解釈が正しかろうと守る必要性なんて無いです。」との発言とは真逆です。さらにここは中立的な観点に於ける制限についての議論の場です。「ちなみに私はどちらが正しいかは判断しません。」なら建設的な議論は望めそうもないのでお引取り願うしかありません。他者の発言や方針の一部を拾ってきて自説を開陳しているだけですから。私が言っているのは観点を記述するということです。語句の解説をやりたければ他でやるべきでしょう。中立的な観点の趣旨はこうです。劈頭に「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」とありこれが前提です。「例えば進化論について書く時には、進化説と創造説(人間も他の動物も神が創造したとする説)の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?」に対して「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います。」とあります。この「よい」は手短にしてもよいの「よい」です。EULEさん分りますでしょうか。松江騒擾事件とごちゃ混ぜにして批判しているようですが、個々の記事に意見があるのでしたら当該ノートへお願いします。EULEさんの発言「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。」の説明がありませんね。出来ないのであれば、訂正なり取消すなりして下さい。--廿粁 2009年4月16日 (木) 02:39 (UTC)
- (インデント戻します)そもそもご自身が説明責任を果たしてない結果なのに、私の説明責任を問うと返されてもね。これ以上、現状の切り口から続けても、誤解し続け無用な論点の輪を広げてしまうので、一旦置いといて、別の切り口から見ましょう。「ノート:松江騒擾事件は関係ない」「私はあくまで条文の内容を問うている」と言うなら、あくまで条文の解釈のみに絞って見てみましょうか(私自身はこういう端から解釈の違いで空中戦をやるようなのは嫌いなんですけどね、法律家ごっこですし)。
- あなたが引用した文には最初の方に重要な一節があります。「複数の観点を比較する記事では」。つまり、この条文は、前提として既に「複数の観点を比較する記事」がある物として見ています。そして勘違いしていけないのは、これは「複数の観点が乗っている記事」ではなくあくまで「複数の観点を比較する記事」だということです。これが「複数の観点を記述する際には」と言う文言であるならば、確かに氏の主張にも一理あるように感じられるかもしれませんが、残念なことにこれは該当記事中にあるテーマに関する比較(=その主題)が記述されている時に発生する制限だと読み取れるわけです。
- すなわち、ここで言う制限がいかなる物であっても、当該記事中において比較が行われてない物については適応されないと言うことになります。例えば「松江騒擾事件」について言うのであれば、この記事の中で無条件降伏だったかどうかについての論点の比較は行われていないので、この時点でこの条文の制限は適応されません。よって「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」と矛盾は起きません。次に進化論とID論の対立が書かれているような「比較する記事」について考えると、この条文が効力を発揮し、ここで言う制限がかかります。しかし、この場合は「すべての記事は特定の観点に偏らず~(略」を前提(既に進化論側と創造論側の観点がある)とした制限なので、やっぱり矛盾が起きません。という訳で何も問題はありません。
- 結論として、ただ純粋に「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」をどう適応していくかどうかと言う話になります。ここで、一般の事典・書物ならばその話題に直接関係の無い観点からの記述はわざわざ書かないでしょう(あなたはウィキペディアとは関係ないとおっしゃるが)。逆に、あなたが言うように関係の無い観点からも平等に描写しなければならないとなれば、ZERO氏が指摘したことになるでしょう。もっとも、『「すべての記事は特定の観点に偏らず~(略」をどう適応するかどうか』は今回の案件とは関係が無い話題なのでこれ以上論じる必要は無いと思いますが。
- (追伸)斜線するなとか鍵カッコを使うなとか言われますが、それが引用であるとわかるようにしているので抗議されても困ります。あと私はZERO氏じゃないので彼と意見が違うのは当然です(私とZERO氏の意見が同一だと思って勝手に勘違いしないでください)。引用って自分と全く同一の思想・意見を持っているからするわけじゃないんですよ?--EULE 2009年4月16日 (木) 03:23 (UTC)
- 鉤括弧「」について、斜体にして引用と思われる「」の内容とEULEさんが加工した「」の内容の区別がつかない状態ですのでそれを指摘したまでです。次に本題について。支離滅裂で何を言いたいのか意味不明ですが、制限については何も問題がないことを主張したいということだけは分りました。EULEさん長々と有難う御座いました。又EULEさんは「結論として、ただ純粋に「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」をどう適応していくかどうかと言う話になります。」と言っているそばから、「『「すべての記事は特定の観点に偏らず~(略」をどう適応するかどうか』は今回の案件とは関係が無い話題なのでこれ以上論じる必要は無い」と言うなど矛盾も甚だしく、自己完結していると見られことから、EULEさんとの議論が成立するかどうかも危ぶまれる状態です。Wikipedia:基本方針とガイドラインに賛同頂けないのでしたらウィキペディアへの執筆をご遠慮いただくしかありません。「ご自身が説明責任を果たしてない」を理由として「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。」の説明を拒否するのでしょうか。EULEさんははっきり断言した上で「とてもそんなのは認められませんよ」と非難しているわけですから説明が求められるのは当然です。EULEさんの態度は非常に不誠実であると指摘せざるを得ません。--廿粁 2009年4月17日 (金) 02:57 (UTC)
- 誤解して、互いの論点が噛み合ってないから区切りを付けたのに、わざわざ戻すんですか?(まあ、構いませんけど)
- 「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」を始めとする、論争がある語には何でもかんでも論争があるなんて書いたら問題だと言う私の推測に対して何も答えないのであれば、そう思われても仕方が無いでしょう?引用の件は現に、あなたは、松江騒擾事件では引用の中に注釈を用いようとしたことがあるじゃないですか。そう言った点に対して反論してる、根拠は無くとも「私は論争がある語や概念は必ず争点があると補足しなければならないとは思ってない」とはっきりと答えてくれれば良いのに、論旨とは全く関係の無い反論をする(注釈すれば問題ないと)。その結果、今更、私はそんなこと言ってないと言われても困るわけですよ。別に最初だって「~ということですね」とわざわざ尋ねてる(つまり確定させてない)のに答えないんですから。
- また、最後のくだりを矛盾だと言うが、これまでの議論を踏まえて2009年4月16日 (木) 03:23 (UTC)の主旨と交えて説明しただけですよ。で、掘り下げることはできるが、元々、今回の主旨とは関係が無いからこれ以上掘り下げる必要は無いでしょうって述べただけなのに、これを矛盾だと言われても、、、それに、2009年4月16日 (木) 03:23 (UTC)の発言はあくまで条文を一字一句解釈した場合の話です。こういう法律家ごっこによる結論は、ましてある記事を巡る議論になった場合には無視されてもwikipedia上は何の問題も無いです。あくまで、条文を尊ぶあなたの前提で合わせたらそういう結果になりました、という話です。もし、今回の議論を元に松江騒擾事件に捲土重来するおつもりでしたら、簡単に蹴散らされるだけでしょうから止めておいた方が宜しいと存じ上げます(そんなつもりが無かったらごめんなさい)。
- 斜線部はあくまでZERO氏の発言でしょう?それこそ単に「」では私の過去の発言なのかどうか混同するじゃないですか。何を言ってるんですか?それにあなたが最初に斜線を止めてくれと言った理由と変わってますよ。
- 個人攻撃はいけないのですが、自己完結がどうとか、議論ができないとか言われてることからお互い様ということで今回に限り、初めて拝見した時から思っていたことを述べたいと思いますが(しょせん、何の意味も無いことですし、今回限りで再反論もしない内容なので無視されても構いません)。どうもあなたは、自分の直感(ないし前提とする考え)は正しいと思ってたりとか認知バイアスが強く掛かっているように見えます。最初の勘違いにしても、ノート:松江騒擾事件で「あなたは自分が正しいと思ってる」とか言っちゃうところとか、相手の論旨よりも相手の属性を見てしまい、結果、相手が何を言っているか理解できなくて、最悪、明確な反論ではないと自分にとって都合の良い発言だと思い込んでしまう。私もこういうタイプ(相手の属性を見るところだけ)なので、多少、投影してるようにも見えますね(議論ができないなど、全部あなたに返ってくる事象ですよ)。(今回、こう強気に出たのも、議論線を変えたのは旗色が悪いと考え逃げたに違いない、よし、ここで押してやれとか何とか考えてませんか?)--EULE 2009年4月17日 (金) 04:12 (UTC)
- 鉤括弧「」について、斜体にして引用と思われる「」の内容とEULEさんが加工した「」の内容の区別がつかない状態ですのでそれを指摘したまでです。次に本題について。支離滅裂で何を言いたいのか意味不明ですが、制限については何も問題がないことを主張したいということだけは分りました。EULEさん長々と有難う御座いました。又EULEさんは「結論として、ただ純粋に「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」をどう適応していくかどうかと言う話になります。」と言っているそばから、「『「すべての記事は特定の観点に偏らず~(略」をどう適応するかどうか』は今回の案件とは関係が無い話題なのでこれ以上論じる必要は無い」と言うなど矛盾も甚だしく、自己完結していると見られことから、EULEさんとの議論が成立するかどうかも危ぶまれる状態です。Wikipedia:基本方針とガイドラインに賛同頂けないのでしたらウィキペディアへの執筆をご遠慮いただくしかありません。「ご自身が説明責任を果たしてない」を理由として「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。」の説明を拒否するのでしょうか。EULEさんははっきり断言した上で「とてもそんなのは認められませんよ」と非難しているわけですから説明が求められるのは当然です。EULEさんの態度は非常に不誠実であると指摘せざるを得ません。--廿粁 2009年4月17日 (金) 02:57 (UTC)
- (追伸)あなたが私の論旨を理解できずに、誤解を起こしている点については、私の議論線にも問題があることは認めます。それは私自身が「相手の属性を見てしまう」と認めるように、そこから派生した部分が一因となっておそらく誤解しているのでしょう。ここはあなただけではなく、私にも非があるので、議論を円滑にするために、その原因について述べさせてもらいます。
- 最初からはっきり言えば、あなたの最初の文面からではあなたが問題視している制限とは何なのか全くわからない。主旨はおろか、「後者」が何を指すかすら非常にわかり辛い文章です。おそらく「制限」について私以外の発言が無かったのはそのためだと思われます。で、それでも何となく理解できたのは、ノート:松江騒擾事件におけるZERO氏との一連のやり取りを見たからです。そこでやっとあなたが何を問題としているかがわかった。だから、当然、私の解釈には望むと望まざるとに区別無く、ノート:松江騒擾事件が前提となる。ところがあなたは「ノート:松江騒擾事件」は関係が無い(もっと言うならあくまで条文の解釈+中立的観点のページのみを議論線とする)と言うのが確固たる前提としてあるせいで、それに少しでも関わるとその部分を無視しようとする。結果、論旨に関わる重要な部分ですら少しでも関係すれば見ないわけだから、当然、相手の論旨なんか理解できるはずが無いんです。
- そもそも、こういう無機質的な条文の解釈を論じるというのは宙に浮いた議論になりやすい。地に足を付いた議論にするには、当然、地が必要になる。これは、ガイドラインで禁止されている法律家ごっこをしないためにも重要なことです。だから、具体例が必要になり、別に松江騒擾事件じゃないとしても、私は進化論を持ち出しました。が、あなたは前提として、ここで言う「地」を認めようとしない。だから、こちらの論旨を理解できずに「争いのある主題についての長い記事」の部分が反論になると思い込んでしまっている。
- この追伸の部分をあなたが理解し、納得してくれるとは微塵も思ってませんが、せめて「制限」の部分についてもっとわかりやすく、何が問題なのかと言う点を説明すれば、あなたが嫌な私とのみの議論をしなくてすむようになると思いますよ。--EULE 2009年4月17日 (金) 06:35 (UTC)
- 再度言います、Wikipedia:基本方針とガイドラインを袖にする発言はお止め下さい。EULEさんの発言「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」への返答は何度も「争いのある主題についての長い記事」を引いて懇切丁寧に説明していますよね。抽象的な説明だと分らないみたいなので、例えで説明します。私は進化論とID論について詳しくはありませんが、もし進化論とID論が同じ事柄についての異なる観点であるならば中立的な観点により記述されなければなりません。Wikipedia:中立的な観点の「中立的な観点についての声明(オリジナル)」には「百科事典の記事を書く際には、中立的な観点以外のどのような特定の立場をとることも、可能な限り明確に避けるべきです。」とあります。次に、EULEさんの発言「それにあなたが最初に斜線を止めてくれと言った理由と変わってますよ。」はEULEさんとは話が通じないという疑念が湧きました。これは噛合わない処の話ではないと思います。日本語として通じていないということでしょうか。次に、EULEさんへ質問です。中立的な観点にある「重要な制限事項がひとつあります。」の一節に重要な制限事項が一つある事が述べられていますが、これは一体何なのでしょうか。EULEさんが援用した説を採ると制限が一つかどうか疑問が湧きます。お答下さい。ノート:松江騒擾事件を無視しているとのご指摘ですが、この議論を最初からお読みいただければ疑問は解消されるでしょう。ノート:松江騒擾事件と議論を絡めたいのであれば当該ノートで議論しましょうか。EULEさんの発言「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。とてもそんなのは認められませんよ。」の説明として「引用の件は現に、あなたは、松江騒擾事件では引用の中に注釈を用いようとしたことがあるじゃないですか。」だと思いますが、松江騒擾事件ですら全くそのようなことはありません。EULEさんのやっていることは所謂捏造に値するかと思いますが如何でしょう。--廿粁 2009年4月20日 (月) 01:42 (UTC)
- 埒が開かないので1つ1つ検証しますね。
- あなたの答弁するところによるなら「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」を認めるということで宜しいんですね?それこそ「カモノハシ」だろうが難だろうが、進化論の語句が登場するなら、それは争点があることを併記しなければならないと。それは、中立的観点を満たすためであり、「争いのある主題についての長い記事」によって「注釈」で対処すれば何も問題は無いという解釈ってことで宜しいんですね?進化論は良く知らないと言われてますが、元々は例えですから。「論争のある語句や概念については、それが登場するならば、必ずその論争があることを併記しなければならない」と言う立場であると考えて良いんですね?
- (蛇足)斜線についてですが、ほら、また何の根拠も述べず、ただ間違ってると決め付けるしかしない(それも、2つある意見のどっちでも良い方に対してで、肝心な方には反論してない)。これじゃあ、確かに噛み合う以前の問題ですね。--EULE 2009年4月20日 (月) 03:56 (UTC)
- 再度言います、Wikipedia:基本方針とガイドラインを袖にする発言はお止め下さい。EULEさんの発言「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」への返答は何度も「争いのある主題についての長い記事」を引いて懇切丁寧に説明していますよね。抽象的な説明だと分らないみたいなので、例えで説明します。私は進化論とID論について詳しくはありませんが、もし進化論とID論が同じ事柄についての異なる観点であるならば中立的な観点により記述されなければなりません。Wikipedia:中立的な観点の「中立的な観点についての声明(オリジナル)」には「百科事典の記事を書く際には、中立的な観点以外のどのような特定の立場をとることも、可能な限り明確に避けるべきです。」とあります。次に、EULEさんの発言「それにあなたが最初に斜線を止めてくれと言った理由と変わってますよ。」はEULEさんとは話が通じないという疑念が湧きました。これは噛合わない処の話ではないと思います。日本語として通じていないということでしょうか。次に、EULEさんへ質問です。中立的な観点にある「重要な制限事項がひとつあります。」の一節に重要な制限事項が一つある事が述べられていますが、これは一体何なのでしょうか。EULEさんが援用した説を採ると制限が一つかどうか疑問が湧きます。お答下さい。ノート:松江騒擾事件を無視しているとのご指摘ですが、この議論を最初からお読みいただければ疑問は解消されるでしょう。ノート:松江騒擾事件と議論を絡めたいのであれば当該ノートで議論しましょうか。EULEさんの発言「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。とてもそんなのは認められませんよ。」の説明として「引用の件は現に、あなたは、松江騒擾事件では引用の中に注釈を用いようとしたことがあるじゃないですか。」だと思いますが、松江騒擾事件ですら全くそのようなことはありません。EULEさんのやっていることは所謂捏造に値するかと思いますが如何でしょう。--廿粁 2009年4月20日 (月) 01:42 (UTC)
- 分らないみたいですね。私が斜体と言っているのにEULEさんは「斜線」と言う。同じ概念を指すのに言葉が違うわけですから通じない。EULEさんの言葉は日本語に似て非なるものと言っていいでしょうね。EULEさんの発言「「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」を認めるということで宜しいんですね?」について、認める認めないという話であるなら認めないとしか回答できません。これまでの議論は一体何だったのでしょうか。正に通じない。私の質問「次に、EULEさんへ質問です。中立的な観点にある「重要な制限事項がひとつあります。」の一節に重要な制限事項が一つある事が述べられていますが、これは一体何なのでしょうか。EULEさんが援用した説を採ると制限が一つかどうか疑問が湧きます。」にもお答下さい。EULEさんの発言「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。とてもそんなのは認められませんよ。」、「引用の件は現に、あなたは、松江騒擾事件では引用の中に注釈を用いようとしたことがあるじゃないですか。」の説明がありませんね。これでは捏造でっち上げの類であるとの指摘は免れ得ないでしょう。--廿粁 2009年4月22日 (水) 00:34 (UTC)
- 「認めない」んですね?始めから、そうはっきりと言って下さい。話が通じないというなら、そもそも相手の質問にちゃんと答えないからこういうことになるんですよ、としか言いようが無いです。詭弁の手法の1つとして「結論をはっきり言わない」と言うのがあります。はっきり言わないことで、議論線をぼかし空中戦をやって議論を誘導する。あなたが意図的にこれをやっているかは知りませんが、その結果、あなたが想い描く結論と外れたとしても、そんなのは私の知ったこっちゃ無いです。とは言え、「認めない」のであるならば、「検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ」は私の勇み足だったようなので撤回します。あなたが望むなら、2009年4月10日 (金) 06:03 (UTC)の発言の該当部分に打ち消し線を入れることも考えます。
- しかし、そうであるなら「争いのある主題についての長い記事」の項目が反論になる、ということは疑問符が付かざるを得ません。特に「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います」を引用していますが、これが何故「認めない」場合の反論になるか教えていただきたい。あなたは説明したと言ってるが、「認めない」ならば、なおさら全く反論にはならないです。先に少し述べましたが「結論をはっきり言わない」タイプは、自分の頭の中で自己完結してるのが多いです。自分はちゃんと言っているつもりでも、それは頭の中に過ぎず、実際には言えてない。後半になると、自分はちゃんと説明してきたつもりだから、まともな反論もせず、ただ話が通じないとか、今までずっと説明してきた、などで反論した気になるのも特徴です。もし、これが個人攻撃、中傷であると言うのならば、「私は既に説明した」ではなく、改めてちゃんと説明してください(もしくは既に述べたというなら、その既に述べた場所を引用するなり指し示すなりしてください)。私が次に望むのは、『「認めない」場合に、「争いのある主題についての長い記事」しいては「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います」が何故反論になるのか?』と言うことです。
- 斜体を斜線と書いたのは誤字でした。すみません。でも斜体でも言いたいことに変わりは無いですし、現に斜体に直して見ても意味は通ってます。むしろ、誤字だとわかってること(同じ概念と言ってるのだから誤字だとわかってるのでしょう)を今更、持ち出して相手を批判するのは揚げ足取りでしか無いです。それで2009年4月17日 (金) 06:35 (UTC)の1つ目の方にはいつ反論してくれるのでしょうか?(上段の質問の回答を優先してくださるなら、今回は別にこっちは回答しなくても良いです)--EULE 2009年4月22日 (水) 03:45 (UTC)
- (追伸)私は、原則的に少なくとも今はあなたの質問に答えません。その理由は、先に述べたように噛み合ってないから、前提段階から1つ1つ検証していくためです。ここが出来てないなら、ほかの事をやっても無意味でしょう。現に「認める」か「認めない」かで大きな乖離があったことがわかりましたから。噛み合わなかったのも必然と言えるでしょう。もっとも「EULEさんが援用した説を採ると制限が一つかどうか疑問が湧きます」に関しては今、答えられることに答えておきたいと思います。それは、最初の話ですか?それとも法律家ごっこの方ですか?--EULE 2009年4月22日 (水) 03:56 (UTC)
- 分らないみたいですね。私が斜体と言っているのにEULEさんは「斜線」と言う。同じ概念を指すのに言葉が違うわけですから通じない。EULEさんの言葉は日本語に似て非なるものと言っていいでしょうね。EULEさんの発言「「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」を認めるということで宜しいんですね?」について、認める認めないという話であるなら認めないとしか回答できません。これまでの議論は一体何だったのでしょうか。正に通じない。私の質問「次に、EULEさんへ質問です。中立的な観点にある「重要な制限事項がひとつあります。」の一節に重要な制限事項が一つある事が述べられていますが、これは一体何なのでしょうか。EULEさんが援用した説を採ると制限が一つかどうか疑問が湧きます。」にもお答下さい。EULEさんの発言「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。とてもそんなのは認められませんよ。」、「引用の件は現に、あなたは、松江騒擾事件では引用の中に注釈を用いようとしたことがあるじゃないですか。」の説明がありませんね。これでは捏造でっち上げの類であるとの指摘は免れ得ないでしょう。--廿粁 2009年4月22日 (水) 00:34 (UTC)
- 誹謗中傷、個人攻撃は止めて下さい。--廿粁 2009年4月24日 (金) 00:15 (UTC)
- 元々、私に対して基本方針を守ってないとかおしゃられているので、あなたがそう思うならブロック依頼なり適切な手段に訴えれば良いでしょう?それとも口先だけなら、そんな返答はいらないので早く質問に答えてください。--EULE 2009年4月24日 (金) 03:15 (UTC)
- そのような誹謗中傷、個人攻撃は止めて下さい。--廿粁 2009年4月25日 (土) 00:21 (UTC)
- ですから、そう思うなら適切な手段に訴えれば良いでしょう?これで質問に答えてくださいと言っても答えないなら、埒が明かない。--EULE 2009年4月25日 (土) 03:01 (UTC)
- 利用者‐会話:EULEでも触れましたが、止めて下さい--廿粁 2009年4月27日 (月) 01:35 (UTC)
- ですから問題があると言うなら「利用者行為についてのコメント依頼」をしてください。その上で私も弁明なりできますから。逆に、これらの手段を取らないということは、対話拒否のための方便と見られても仕方がありません。まだこのような直接関係の無い水掛け論を続けたいというのであれば、対話拒否のための方便であると判断し、私が氏についてコメント依頼を出さなければなりません。--EULE 2009年4月27日 (月) 03:37 (UTC)
この話題とは直接関係しませんが、話題の元となっているようであるノート:松江騒擾事件で文中に無条件降伏の語句を使用する事が妥当であるかどうか再提起しましたので一報致します。--yasumi 2009年4月30日 (木) 10:06 (UTC)