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Wikipedia:井戸端/subj/2ちゃんねるでの「祭り」をトピックとして記述すること

2ちゃんねるでの「祭り」をトピックとして記述することについて

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議論1

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ノート:玄倉川水難事故にてどうにも議論に収拾がつかなかった事例ですが、ほかの記事にも波及する可能性が高いと判断してこちらで皆様のご意見をお伺いしたいと考えた次第です。

要旨としては玄倉川水難事故に「2ちゃんねるにおいて当事故を扱ったスレッドの書き込み数が増えて『祭り』となり、現在もスレッドが存在している」という趣旨の記述があったため、私を含めて数人がWP:NORWP:NOTに抵触するとして当該記述を削除したところ、即座に差し戻し(記述の復活)が繰り返された次第です。

で、記述の是非についてノートで議論が行われたのですが、

  • 「祭り、スレッド共に存在する」という客観的事実のみの記載なので「独自研究」でもなければ「ウィキペディアは何でないか」にもあたらない。
  • 客観的事実の記載は2ちゃんねるを宣伝する行為でもない。2ちゃんねるにかかわらず全てとはいわないまでも大部分の物事が、またどの記事に書かれても同様に宣伝(または逆宣伝)とみなされる可能性がある。
  • 「2ちゃんねるでの祭りやスレッドの存在という反響」という意味で記述されたものであり、削除されるべきではない。

という主張と

  • 「祭り、スレッド共に存在する」というだけの記述であれば2ちゃんねるに注目を集める「宣伝行為」にあたり、まさに「ウィキペディアは何でないか」に抵触する。
  • 宣伝と見なされないためにも2ちゃんねるに関する記述はそれ専門の記事(2ちゃんねるの歴史など)や、別個にするのであればそれが外部に影響を与えたきっかけとなった事例(田代祭など)に限定すべきではないか。
  • 過去に類似事例で削除となった案件も存在する。

という主張が平行線をたどったままとなっています。

客観的事実とはいえ「2ちゃんねる掲示板内での出来事」のみを関連するトピックとして記述することの是非について、皆様のご意見をお伺いできればと考えていますので、よろしくお願いします。--Bsx 2007年11月25日 (日) 11:59 (UTC)[返信]

ネオ麦茶くらいのことであれば記述できるかも知れませんが基本的に 2ch 内のことは客観性事実がないとして出典などには使用できない外部サイトですのでダメなんじゃないでしょうか。一部固執する人もいますが、そもそも Wikipedia が何なのかや百科事典の本質を理解していない人が多いように思います。まあ、ぼくも人のこといえた質じゃありませんが。 --Mzm5zbC3 2007年11月25日 (日) 12:10 (UTC)[返信]
お世話になります。まず問題となっている文章です。
日本国内屈指のアクセス件数を持つ電子掲示板2ちゃんねるでは当事故を扱ったスレッドの書き込み数が増え、創設間もない2ちゃんねるにおいて「祭り」と呼ばれる状態となった。また2007年現在においても当事故関連のスレッドは複数存在している。
私の見解を申し上げます。その前にBsx氏が削除推進派で私Poh が反対派という立場です。まず問題の文章については根拠として十分なソースを上記のノートに全て提示しております。これで「Wikipedia:検証可能性」はクリアされたと認識しております。
また上記のBsx氏のご主張に対し「外部への影響を与えたか否か」と「宣伝か否か」とは本来関係がなく、またWikipedia:ウィキペディアは何でないかにもその区別の根拠となる記述はありません。『片方のみを「宣伝」とみなすなら「外部への影響」と「宣伝」との相関関係などを説明してその根拠を示す必要があり、それは主張する側の義務である』と申し上げましたが、根拠を示されないままそのご主張を続けられています。これではPOVではないかと申し上げてる次第であります。--Poh 2007年11月25日 (日) 13:11 (UTC)[返信]
「外部への影響」と「宣伝」との相関関係に拘っておられるようですので改めて説明します。
2ちゃんねる内での事象だけを取り上げたことが宣伝にあたると考えられるという説明はこれまで何度もしてきましたので改めては申し上げません。その上で、この事象が2ちゃんねるの外に何らかの影響を与えたと認められる場合、影響までの一連の動きを説明するのに必要な情報として取り上げることが不可欠なのであれば、それは掲載されてしかるべきだろう(田代祭の場合、2ちゃんねる内で「祭り」があったという事象の説明をなくしてしまうとその後の事象の説明が困難になるというのは想像に難くないと思います)と考えてこのような主張をさせていただいている次第です。この説明では根拠として不十分でしょうか?--Bsx 2007年11月25日 (日) 20:43 (UTC)[返信]
Mzm5zbC3さん、はじめまして。問題の文章を読まれる前のご意見ではごもっとも思いますが、これは2ちゃんねるの情報をソースとしているのでなく、祭りとスレッドの存在のみを記述しているのです。ですから実物の存在をソースとして示せば客観性として十分なのです。--Poh 2007年11月25日 (日) 13:19 (UTC)[返信]
私はあまり祭りの状況について詳しくないのですが、祭りと呼ばれるものが「スレッドの流れが通常よりも速くなっている状態」であるとするならば、小規模な祭りは相当数にあると思います(今回の件がどのレベルかわかりませんが)。それらをいちいち記述していたらキリがありませんので、大規模な祭りでありその出典が明確であることが記述の最低条件だと思います。--Frame 2007年11月25日 (日) 14:03 (UTC)[返信]

Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源で電子掲示板は検証可能性を満たさないと明記されています。そのスレッドでの書き込み数増加がメディアで取上げられたのならまだしも現時点では信頼できる情報源の出典の記載は無く、検証可能性を満たしていません。--BBG 2007年11月25日 (日) 16:31 (UTC)[返信]

祭りと認定する信頼できる情報源がないということは解かりました。スレッドの存在については問題はないでしょうか?それより皆さんにお尋ねしたいのは問題となる文章が「2ちゃんねるの宣伝に当たるか否か」です。Bsxさんは独自の考えからそのように主張されてますが、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかとの整合性があるとは思いません。「ウィキペディアは何でないか」を持ち出すならどの部分にどのような理由で抵触するのか説明する必要があると再三申し上げているのですが、ご本人にその認識がないようなのです。--Poh 2007年11月25日 (日) 21:28 (UTC)[返信]
個人的には、スレッドの存在自体も「それ単独」を記事なりトピックなり本文への組込は難しいのではないかと思います。というのも結局のところ「スレッドがあるという事実」はあるのですが「スレッドの影響」が計れないからです。 計るためには、やはり「掲示板あるいはスレッドを特定して取り上げた」信頼できる情報源が必要になるでしょう。 別件ですが組曲『ニコニコ動画』のように(編集されて主観的な記事になりかけている懸念が出ていますが)、客観性が乏しい情報源でも中立的な観点が満たされていれば存在定義を守る事はできます。 外部基準を不要としるならば、最低でもTeam2ch名義ぐらいは必要でしょうし、WP:NOT#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんの1、『あるイデオロギーを持った人が何を主張しているのか、中立的な観点から客観的に記述することはあります』の中立的な観点が抜けるのであれば宣伝と疑われても仕方ない気がします。--秋月 智絵沙(Chiether) --秋月 智絵沙(Chiether) 2007年11月26日 (月) 08:18 (UTC)(追記)[返信]
「~に対してAという市民団体が連日抗議デモを行った」と書いたとして、これを「Aという市民団体の宣伝になっている」と言う人はあまりいないのでは?なんか2chだから過敏になっているような気がします。出典をきちんと示した上で「祭があった」→「その結果どうだった」ということを書けるのならば記載すべきでしょう。こうすれば宣伝じゃないはず。現時点では「祭があった。だから何?」と言われても仕方ないですし、そんなことを言われるような記述は不必要と考えます。--FOMALHAUT 2007年11月26日 (月) 10:45 (UTC)[返信]

ここまで議論に参加されている多くの方の間で「祭りが存在する」と言うこと自体には異論がないように見えるので、知っている人にとっては常識なのかもしれませんが、ちょっと質問させてください。祭#用語としての祭には「特定のスレッドが異常な盛り上がりを見せ、流れが通常よりも速くなっている状態を(お)祭りという。」とあるのですが、

  • どのような条件を満たせば「祭り」と呼べるのか(あるいは呼べないのか)について、明確な判断基準は存在するのでしょうか。
  • その基準はウイキペディアでの検証可能性を満たすようなものなのでしょうか。

--61.192.109.134 2007年11月26日 (月) 12:51 (UTC)[返信]

簡単に云えば、それを執筆者が判断したら独自研究や主観となってしまい、検証可能性を満たさないということになるんだと思います。なので、その判断は外部に任せましょう。信頼できる情報源に掲載されて初めて客観的に認定することができると思えばいいです。 --Mzm5zbC3 2007年11月26日 (月) 16:28 (UTC)[返信]
今までのところ今回の件を判断可能な記述が記載されているのは。信頼できる情報源だけであり、それ以外の「公式な方針」には判断基準となる記述が掲載されていないと思うのですが皆様のご意見としてはいかがでしょうか?簡単に言えば国語の問題なのですけれど。ノート:玄倉川水難事故でいたずらに議論が長引いたのは判断基準となる記述が明記されているものが提示されていなかったことにあると考えられます。そして該当箇所のないもので判断を下すことはPOVによる判断ということになると思うのですが、皆様のご意見をお伺いしたいのです。よろしくお願いいたします。--Poh 2007年11月27日 (火) 09:37 (UTC)[返信]
当事者として一言だけ。
確かにひたすら理由も論拠もなく判断を下していたらPOVでしょうが、少なくとも今回の件に関してはこれまで過去の事例であるとかWP:NOTWP:Vといった公式な方針を示して記述不適当ではないかとご説明していたのですが、頑なに「本件はこれらには該当しない」と反論されていたので議論が長引いたと考えているのですが。--Bsx 2007年11月27日 (火) 11:20 (UTC)[返信]
該当ノートも見ましたが、Bsxさんをはじめ掲載すべきでないとする方々はきちんと基準となるべき方針文書を示しています。基準は示されており、むしろ掲載すべきだとする方のほうに方針理解の不充分さが見られるようです。--ikedat76 2007年11月27日 (火) 12:50 (UTC)[返信]

当該スレッドが「祭り」状態であることの判断は誰が下したのでしょうか? そしてそれを記述することは本体となるべき水難事故について読者の理解を図る上でどういう重要性があるのでしょうか? 少なくとも本件に関して言う限り、2chのスレッドを載せろという主張は、(方針文書うんぬん以前に)文章の主題に関係のあること・ないことを選り分けるという文章作成技術の基本的な部分に失陥がある主張に思われます。--ikedat76 2007年11月27日 (火) 12:50 (UTC)[返信]

Yahoo!ニュースなんかで「祭になっている」とでも出れば検証可能性は(たぶん)満たされます。その上でその祭が発生したから何なのかを書く必要があると思います。祭があったからといって何人が騒いでいるのかは分かりませんからね。祭があって、これを国会で取り上げた議員がいて、議論が国会にまで飛び火した…とか、そこまで書ければ文句はありません。「祭があった」という客観的事実の記載が宣伝になるとは思えませんが、無意味な記述であると言われれば反論できません。--FOMALHAUT 2007年11月27日 (火) 17:56 (UTC)[返信]
2chのスレッドが「祭」になっているかいないかというのは、敢えて言えば、本質的にはどうでもいい問題です。件の記事は、ある特定の水難事故についての記事であって、他のものではない。まさにその一点に対して、掲示板のスレッドがどうこうという記述を盛り込むことにどういう意味があるのか、ということが肝ではないでしょうか。2chで当の水難事故のスレッドが当の事故に対して(FOMALHAUTさんのあげた例のような)何らかの重要性なり関連性なりを持つというなら、その関係を(もちろん検証可能な形で)指摘したうえで記述することはあるいは出来るかも知れません。しかし、そうした試みの形跡は“議論”の中には見当たりません。そうでないならば、2chは「日本国内屈指のアクセス件数を持つ」(この文言もWikipedia:大言壮語をしないに照らしてアウトでしょう) そうですから、ほとんどどんな事柄についてでも“2chのなんとかスレッドで…”と書けてしまうでしょう。そんな不条理なことがしたいのでしょうか?。載せろという主張は、スレッドの存在や祭り状態が検証可能であるという点の主張には熱心ですが(それすら失敗しているわけですが)、そのスレッドが当の事件に対して重要性をもつということの・検証可能な形での挙示は試みてすらいません。
検証可能性の文書をよく読んでください。ある記述を記事に盛り込み、維持するにあたっての説明責任は、維持したい側がもつとはっきり明記されています。失礼ながら、Pohさんの主張は二重三重に破たんしています。--ikedat76 2007年11月28日 (水) 03:53 (UTC)[返信]
「Wikipedia:信頼できる情報源」がWP:Vに記載およびリンクがあったことを見逃していたのは私の初歩的なミスでありますが、「2ちゃんねるの宣伝になる」という名目で削除することはいかがなのでしょうか?WP:NOTには宣伝は掲載できないということは記述されてますが、宣伝かどうかの判断は人が行うものです。特に「外部への影響がなければ宣伝とみなす」「外部への影響があれば宣伝とみなさない、または宣伝とみなされても免除する」という判断基準が記述された方針文書(または信頼できる情報源)は存在するのでしょうか?これは件のノートでも申し上げていたことです。ちなみに「日本国内屈指のアクセス件数を持つ」は今回の議論以前から現在まで記事:2ちゃんねるに掲載されています。もちろん私はこれを維持したいとは思いませんが。--Poh 2007年11月28日 (水) 10:37 (UTC)[返信]

議論2

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Pohさんのの推す編集は記事の主題に関係のないことを盛り込もうとすることにほかなりません。それがあなたが反対される理由の核心にあるということをまず理解することが必要です。

その上で言うと、そうした行為は、二重の意味で問題があるのです。第1は、百科事典記事を書く=ある事柄について読者の理解を図るための文章を書くという行為からの逸脱であること。ウィキペディアは「紙の百科事典ではない」とWP:NOTは述べていますが、ここでの「ない」は「紙」にかかっているのであって「百科事典」にかかっているわけではありません。その意味で、そもそも百科事典(記事)を書くというプロジェクトの目的に対する理解度を疑問視する発言をされていると見なさざるを得ません。はっきり言いましょう。ただ単に、2ちゃんねるのスレッドがどうのこうの、と書きたいだけじゃないのか…ということです。

第2に記事の主題や文脈を壊乱していることです。すなわち、何の関係もない事柄を脈絡もなく持ち込み、際立たせようとする行為であるということです。これが宣伝でなければ何なのでしょうか。このサブページはたしかに「2ちゃんねるでの…」と題されています。しかし、ここで問われているのは、関係のないこと・脈絡のないことを書いて記事を壊さない、という方針文書よりはるかに以前の常識をもって参加せよということなのです。

確かに方針文書は厳然としてあります。しかし、文書が明文によってカバーしうる範囲は限度があるのであって、それ以前の問題にまでいちいち言及していられないのです。--ikedat76 2007年11月28日 (水) 12:31 (UTC)[返信]

ikedat76さんはBsxさんが主張された宣伝の判断基準が方針文書に無いとご判断されて「文書が明文によってカバーしうる範囲は限度がある」と言われていると受け取ってよろしいのでしょうか?私は公告関係の仕事に携わっておりまして、この基準が公告・宣伝の常識からかけ離れたものであることは一目瞭然なのです。方針文書を読むまでもなくそのような記述があるわけないことは分かっていたのです。ですから最初に宣伝を削除理由とすることは違うと申し上げてましたし、方針文書にも該当しないからBsxさんの削除基準は無効ですよと何度も申し上げていたのです。それをご理解されない理由が、方針文書を削除理由にするためには、議題に挙ってる文章と方針文書とを照合して、抵触している部分をご自分で確認するということをご存じないのだなと思い途中でそれも申し上げました。最初にそれをされていれば書く必要ないことは解かっていたと思います。照合する模範的な例はMzm5zbC3さんがこちらで示されています。ikedatさんもそのご認識をお持ちであることは昨日のコメントからも分かります。あとikedat76さんは「主題に関係ない」という論点を出発点として昨日のコメントをされてますが、その部分が絶対的に正しいかということには疑問があります。念のため私は2ちゃんねるの存在の賛否については中立的な立場です。今回の件を様々な角度から検証することは、むしろ2ちゃん反対派の方にとって理論武装するために重要ではないかと思います。最後に昨日の大言壮語ですが「日本国内屈指のアクセス件数を持つ」のアクセス件数は数値で評価できるものですから方針文書にある例とは少し違うように思います。--Poh 2007年11月29日 (木) 12:32 (UTC)[返信]
あまり長々と続けると本題からそれそうですので手短にコメントします。
“釈迦に説法”とは思いますが、公告広告)と宣伝その言葉を用いるシチュエーションによって明確に意味合いが異なります。私は「宣伝行為にあたる」とは申し上げましたが「公告(広告)にあたる」とは申し上げておりません。Wikipediaにおける「宣伝行為」についてはWP:NOT#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんにもかかれていますし、『この基準が公告・宣伝の常識からかけ離れたものであることは一目瞭然』とのコメントは(客観的論拠がない限り)PohさんのPOVに基づく判断だと言わざるを得ませんが、この点についてはいかがでしょうか。--Bsx 2007年11月29日 (木) 13:04 (UTC)一部加筆--Bsx 2007年11月29日 (木) 13:19 (UTC)[返信]
“何を宣伝と見なすか”はBsxさんがある程度まで指摘している通り、文脈依存的です。しかし、方針文書にないから何をしても良いと考えるならそれは大きな間違いだし、方針文書の様な規則というものはあらゆるケースに対して即時に回答を与えてくれるようなものではありません。それゆえにこそ、Wikipediaにはノートページが設けられていて、ユーザー同士が編集方針について議論をすることが出来るようになっているのです。少なくとも本件に関して、Pohさんの“載せるべき”という主張は、誰を説得することも出来ていません。また、関連性の有無ですが、関連性が“ある”ことを(もちろん検証可能な仕方で)示せば、私は納得します。しかし、そうした試みは全くなされておらず、また、それを反対する側が補足する必要はない以上、関連性はないと見られて然るべきです。繰り返し指摘しますが、説明責任は“載せるべき”とする側にあります。--ikedat76 2007年11月29日 (木) 13:36 (UTC)[返信]
Bsx様、私はノートでは公告という言葉は一度も使わずに宣伝(行為)として方針文書に抵触する箇所はないと申し上げています。また「WP:NOTに宣伝がいけないとは書いてあっても、記事の文章が宣伝に当たるか否かを判断するのは人であり、その判断基準となる記述が他の文書も含む方針文書になければ、方針文書を削除理由の根拠にすることは出来ない」とも申し上げております。例をあげれば「1.いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)も擁護もする場所ではありません。」に中立的な観点が示されてますが、2ちゃんのメリットのみを記載すれば宣伝とみなされるとしても、件の文章はただ2ちゃんでの事象を取り上げただけで中立性を欠き宣伝とみなされるものとは考えられません。これではWP:NOTを持ち出されても、ご自身であらためて抵触する箇所はないことを示されたにすぎないのではないでしょうか。Bsxが主要される「宣伝にあたる理由」ご自身で方針文書には無いご自分の理論で書かれているもので、WP:NOT#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんには「ノートページにおいても演説や個人的な理論について議論することは、あまり歓迎されないでしょう。」と書かれています。
ikedat76様、私はノートでは削除理由が方針文書に抵触するかを中心に検証してきましたし、こちらではそれに加え修正により抵触を避ける方法はあるかどうかを考えているところです。公式方針に抵触するか否かを検証している段階で“載せるべき”という主張をしても意味のないことと考えているからです。なお記事の主題との関連性ということでは、2ちゃんでの件の事象が玄倉川水難事故のもたらした反響の一つである、ということでノートにおいて合意は得られています。--Poh 2007年11月30日 (金) 11:38 (UTC)[返信]

もう言うべきことを言い尽くしてしまっているので、新たに言うべきことはありません。すでに述べたことの中から強調したいポイントのみを繰り返すにとどめます。すなわち、方針文書にないから何をしても良いと考えるならそれは大きな間違いだし、方針文書の様な規則というものはあらゆるケースに対して即時に回答を与えてくれるようなものではありません。それゆえにこそ、Wikipediaにはノートページが設けられていて、ユーザー同士が編集方針について議論をすることが出来るようになっているのです。 今回の件では、何を指して(そもそも存在することが不適切な)広告とするか判断基準がないのであれば、それはユーザー同士の議論にゆだねられますし、またそうしなければなりません。Pohさんによる“問題のスレッドについての記述を載せることは宣伝行為に該当しない”という主張は、まさにこのユーザー同士の議論において説得力を持つことが出来ていない、という事実を指摘しておきます。--ikedat76 2007年11月30日 (金) 16:24 (UTC)[返信]

ikedat76さんへのレスで抜けていたため誤解されたままになってると思われることを書きますと、私は11月28日のコメントで既に「(または信頼できる情報源)」と書いておりまして、宣伝の判断基準を方針文書のみに頼っている訳ではありません。ikedat76さんは方針文書にBsxさんの主張される判断基準がないことをご理解されてると思われますが、Bsxさんが未だそれをご理解されていない現段階では、私が自分の意見を主張することよりその部分を解決し議論に載せられる状態にすることを優先するしかないのです。このことをご理解いただけるでしょうか?
Bsxさんと意見のすり合わせをするために私の意見を細分化して番号を付けましたので、よろしければご同意いただける部分を番号で教えていただけますでしょうか?「①宣伝か否かの判断基準は人が行うものですから②それが個人的な理論か否かを区別するためには③方針文書④または信頼できる情報源に⑤判断基準の根拠が⑥記載されているかどうかの⑦確認が必要であり⑧判断基準の根拠が方針文書に記載されていない⑨または判断基準の根拠が記述されている信頼できる情報源が示されていない場合は⑩個人的な理論による判断とみなされる」です。必要があれば更に細分化や条件付けされても結構ですし、他の視点からご意見があればそれもお願いします。よろしくお願いいたします。--Poh 2007年12月1日 (土) 10:26 (UTC)[返信]
議論の方向性を確認するために一つ質問させてください。
今までのPohさんのコメントを読むとPohさんはこの項に於いて「Bsxが『宣伝である』としている主張は全くの個人的理論に基づくものであり根拠がない」と主張をされておられるようですが、逆にPohさんが削除すべきでないと主張されている文章が「2ちゃんねるを宣伝するものではない」と判断されている基準はどのような根拠に基づくものでしょうか。--Bsx 2007年12月1日 (土) 11:51 (UTC)[返信]
判断基準は第一に方針文書に宣伝理由として抵触する箇所がないということです。次に方針文書で公告宣伝とみなされると書かれている根拠から宣伝とは考えられる理由はないということです。現時点で方針文書から宣伝として抵触箇所および抵触理由を提示された方はおられません。さらに判断基準となる記述がなされている「信頼できる情報源」も提示されていません。これらの理由から宣伝と判断することは不可能と考えてます。その他に私の個人的に思うこともありますが公式方針に則った理由が優先されるべきだ考えてます。--Poh 2007年12月2日 (日) 10:58 (UTC)[返信]
了解しました。では宣伝理由に関して方針文書に明確な表記がないとの認識で改めてお伺いしますが、Pohさんが今回の文書を「是非残すべき」「特筆すべき」だとお考えの理由はどのようなものでしょうか。私以外も含めて、コメント欄に理由を明記して削除を行ったものを差し戻したということは当然「玄倉川水難事故を説明する上で2ちゃんねるのスレッドの存在は是非特筆すべき」との考えの上での行動でしょうが、これを判断された基準はどのようなものですか。それは信頼できる情報源に基づいたもので、中立的な観点に則って、独自調査でもなく、百科事典的にふさわしいとの判断理由でしょうか。お聞かせいただければと思います。--Bsx 2007年12月2日 (日) 13:18 (UTC)[返信]

議論3

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まず議論中の文章の前半部分を公式方針に抵触しない形に修正します。必要があれば更なる修正も考えます。当時開設間もない電子掲示板2ちゃんねるでは当事故を扱ったスレッドが立てられ、事故への批評が書き込まれた。また2007年現在においても当事故関連のスレッドは複数存在している。
差し戻しでは「祭り」の部分の判断に誤りがあることは後に解かりましたが、その時点ではご質問にある公式な方針上問題はないという認識でした。件の文章を最初に編集した時点で既に方針文章も確認し問題はないだろうと判断してました。「独自の研究」との理由がついた時に「この事故のネットにおける関心の高さを示している」の部分は取り去りました。その時に議論になることを期待していました。現時点では全文削除の必要はなく問題箇所のみの削除で方針上の問題は解決できると考えています。(大言壮語でご指摘された「日本国内屈指のアクセス件数を持つ」は記事2ちゃんねるにも同様の記述があり多分抵触はないと思ってますが、2ちゃんねるの修飾であり記事議題としては不要と判断し今回取り除きました。)
あらためて特質すべき理由として、記事の主題に即している内容であるので百科事典として掲載する条件は満たしていると考えてます。中立的観点については他の反響との併記ということで問題はないと考えています。私見になりますが2ちゃんねるは990万人のユーザーがいる掲示板なので、その人数からいってニーズはあると思われ、これを情報として提供することは百科辞典としてあって好いと考えています。削除すべきでない理由は別にありますが長くなるので別の機会にします。--Poh 2007年12月3日 (月) 15:20 (UTC)[返信]

「記事の主題に即している内容」という判断をPohさんはされているわけですが、私ikedat76も(おそらくも)Bsxさんも、「即している」というのが一体如何なる意味でのことなのか理解しかねています。

「990万人のユーザー」がいて「日本国内屈指のアクセス件数を持つ」掲示板ならおそらくどんなトピックについてでもスレッドを見つけられるでしょう。ただ単にあるスレッドがある事柄をトピックとしていさえすれば“主題に即している、だから記事に加筆できる”のだ、という論法で行けばほとんどどんな事柄についてでも「2ちゃんねるでは…」と端から書けてしまいます。

それに(話を戻すようですが)“宣伝の基準がない”という前提が正しいのだとすれば、宣伝ではないという判断もまたPohさんの「個人的理論」になります。矛盾した主張をされているように思われます。反対論に説得を試みられるのであれば、もう少し論理的整合性のあるやり方をされた方が良いでしょう。--ikedat76 2007年12月4日 (火) 14:02 (UTC)[返信]

ikedat76さんは話せば解かる方だと思っていたので去られたのは残念だと思ってましたが、戻って来られて正直うれしいです。ikedat76さんの利用者ページで「2ちゃんねるの存在に反対する立場」だと明言されてますが、その立場からのご意見はWikipediaでは勿論認めらるものではありますが、ただそれでけでは中立性を欠くものとして逆の立場を含む他の利用者との合意が得られてはじめて受け入れられるものとなります。ikedat76さんの今までのご発言は、2ちゃん反対の立場からのご意見や、ノートや井戸端での議論を読み落とされているかまたは2ちゃん反対の立場から拒絶されていると見られるものが多かったように思います。過去2ちゃんねる関連のトピックが記事に書かれたことは何度もありますが、Bsxさんがノートに示されたように削除された例もありますし、「田代まさし」事件の2ちゃんねるへの影響のように現存しているものもあります。その両者を区別するものが「公式な方針」に違反しているか否かなのです。それと方針文書に宣伝と決定づける記述がなく判断材料となる信頼できる情報源の提示がなければ個人の理論による判断となり「公式な方針」による削除は適用できないのです。これはWikipediaのルールです。今削除が議論されている元の文章にあった「祭り」の判断についても同様で、あなたのご意見はこれを基準がないから祭りと記載できないという判断が「個人的理論」だというのと同じことです。--Poh 2007年12月5日 (水) 11:06 (UTC)[返信]
Pohさんの主張に対しては大きな疑問点があります。
まず、ikedat76さんもおっしゃっていますが、2ちゃんねるのスレッドの存在が「記事の主題に即している」という判断の根拠がよくわからないというのが1つの大きな疑問です。ikedat76さんもおっしゃっていますし私も以前申し上げましたが、この論拠が認められるのであれば、ほとんどすべての時事項目に「2ちゃんねるのスレッドが存在して…」という記述が書けることになります。「中立的観点については他の反響との併記ということで問題はない」との主張もよくわかりません。
さらに、2ちゃんねる関連で削除された案件について「その両者を区別するものが『公式な方針』に違反しているか否かなのです。」とおっしゃっていますが、当該削除依頼をよく読んでいただきたいのですが、削除を決定づけた論拠は『百科辞典的ではない』という、まさにPohさんがここまで何度もおっしゃった“公式な方針には明文化されていない基準”に基づくものです。
この際、敢えてもっと突っ込んだ話を言えば、ここまでのPohさんの主張は(多分に私見が含まれますが)「2ちゃんねるのスレッドを新聞やマスメディアの報道と同列に扱おう」「ネット上における2ちゃんねるの存在を特別視しよう」という個人的論拠に基づく働きかけにしか思えないと言うことなのです。個人的なスタンスで言えば、私もどちらかというと2ちゃんねるに否定的な見方をしていますが、それは2ちゃんねるの存在を否定したいのではなく、2ちゃんねるの存在が日本におけるネット上で特別視されることを嫌うだけなのです。もっと言えば、私の「ネット上でのスレッドなりツリーなりコミュニティが存在することだけについて特筆すべきではない」という主張は2ちゃんねるに限ったことではなく、Yahoo!掲示板だろうがしたらばJBBSだろうがmixiだろうが同じ事なのです。
ここまでPohさんが、反対意見を『公式な方針にはない』『個人的理論』で『中立性に欠ける』としておきながら、自らの論拠もまた『公式な方針にはない』『個人的理論』に基づくことをお認めいただいていないのは残念としか言いようがありません。--Bsx 2007年12月6日 (木) 12:26 (UTC)[返信]
今は議論をしているのであって、私は出来る限り方針文書に則って議論を進めています。「残念」となどと感傷的なことを言う前に、私の誤りや議論中の文章の抵触箇所を指摘すれば済むことなのです。私は自分の意見が全面的に正しいなどとは思ってませんし、間違いや抜けがないか確認するために議論の場で皆さんのご意見を聞いているのです。具体的な間違い箇所を指摘できず「根拠がよくわからない」であれば『個人的理論』か否かの判断すら出来ないはずです。それでは議論の土俵にさえ上がっているとは言えないでしょう。例えばWikipedia:削除依頼/用土問題にしてもソースが信頼できる情報源に記載されていないという具体的根拠があったため『百科辞典的ではない』と判断されているのです。明文化されていないものによって『百科辞典的ではない』判断され削除されたというわけではないのです。そう思われるのはただ抵触箇所を見つける力量がないからに過ぎません。Bsxさんがどの程度の人生経験や社会経験をお持ちかは存じませんが、「方針文書を持ち出すには双方の抵触箇所の照合が必要である」という基本中の基本を今までご存知なかったのですから、そのテクニックはを身につけるには時間を要するかもしれませんが、Bsxさんが挙げられた他の削除例ついても調べてみると練習になると思います。議論に参加されている方は皆さん当然の事としてされているのです。されてない方はご意見を「~と思う」という程度にとどめておられるのも、そのことをご存知の上からなのです。(両論)併記というのは中立的にするためにWikipediaではよく使われている方法で、かつて管理人の方も言われてました。Wikipedia:中立的な観点で「中立的な観点についての声明(オリジナル)」から来ているものと思われます。文中にも「記事ではそのような見方を持つ人々の議論を、それに賛同しない人々の議論と併せて紹介するべきです」とあります。私は議論を複雑にしないために他の反響と併記されているところまででよしとしました。もし議論中の文章や分中にある対象物がどの点で中立性を欠き、また反対意見は何なのかまで判断材料にすることは複雑すぎて本心文章内では判断不能と考えたからです。議論されたければこちらでされてもかまいませんが相当な困難が予想されると思います。再度申し上げますが2ちゃんやYahoo!などのスレッドの存在が掲載不可能な事実を方針文章から見つけることが出来れば、Bsxさんのご心配はなくなりますし議論中の文章も削除されることになります。--Poh 2007年12月8日 (土) 11:26 (UTC)--Poh 2007年12月8日 (土) 13:01 (UTC)一部訂正[返信]
いろいろ申したいこともありますが、「議論のための議論」は私は望みませんので、Pohさんが文案に対する公式な方針に書かれた記述に基づく反論をお望みのようですので、公式な方針に記載された文章をお示しして改めて説明します。
公式な方針である「Wikipedia:独自研究は載せない」での冒頭における概要の説明には、
  • ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません
  • 記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです
  • 特定の立場を推し進めるために、都合の良い材料を寄せ集めて作成した内容を、記事に加えてはいけません
と記されています。さらに、「Wikipedia:信頼できる情報源」には以下のような翻訳が割り当てられています。
権威の詐称に注意してください。高い学位は、その学位の専門分野において権威を与えます。脚注が多数あるウェブサイトは全く信頼できないかもしれません。まず自問すべきなのは「ウェブサイトに責任を持つ人々の資格証明や専門知識はどのようなものか」ということです。ウェブ上には誰でも好きなことを投稿できます。
ここで、現在Pohさんが提案なさっている文章について考察してみると、その主題は「2ちゃんねるで事故を扱ったスレッドが立った」「現在もスレッドが存在している」という2点でよろしいかと思います。これはどちらも「2ちゃんねるのスレッドの存在」と言うことが重要視されています。その上で確認しておきたいのですが、2ちゃんねるにおいては“誰でも匿名でスレッドを立ち上げることができる”“誰でも匿名でスレッドに参加できる”ということでよろしかったかと思います。すなわち、いくらスレッドが存在していても誰がスレッドを立ち上げたかと言うことを確認することができませんし、だれがスレッドに参加しているかを確認することもできません。また、誰でもスレッドを立ち上げることができると言うことは、全く根拠のない批評であってもスレッドを立ち上げ、スレッドを延ばすことができるということでもあります。
このことは「ウェブサイト(このケースでは「2ちゃんねるのスレッド」)に責任を持つ人々の資格証明や専門知識はどのようなものか」を検証できないばかりか、そもそもウェブサイトに責任を持つ人々がいるかどうかすら検証できないということでもあります。
すなわち、いくらスレッドが存在することのみを触れようとしても、スレッドの存在そのものが信頼できる情報源の要件を満たさず、スレッドの妥当性についての検証も不可能であり、独自研究の疑いを免れません。以上の点が、私が本件に於いて「掲載すべきではない」としている一つの論拠です。
なお、あるいは私の読解力がないせいかもしれませんが、前回私やikedat76さんが申し上げた『「記事の主題に即している」という判断の根拠がよくわからない』という疑問点に対して、Pohさんから明快なお答えをいただいていないと考えています。根拠がよくわからないから根拠のない主張、すなわち『個人的理論』ではないかとの疑念を申し上げていたのですが、その点についてご理解いただけなかったのでしょうか。あくまでも記事の主題はある河川で起こった水難事故についてであり、それと2ちゃんねるのスレッドの存在がどう結びつくのかがよくわからないと考えているのですが。--Bsx 2007年12月8日 (土) 14:51 (UTC)[返信]
誤解されているようですが私が方針文書に基づく反論を望んでいるのではなく、方針に則った主張の方が個人の理論に基づく主張よりWikipediaでは完全優位にありますよと申し上げているのです。まずスレッドについてですが、議論中の文章ではスレッドの存在を記述しているので、スレッドを情報源としてではなく対象物として扱っています。ですからスレッドの存在をそのものが一次情報源となります。記事主題との関連についてはスレッド内の情報源を判断材料にせざるを得ないところがありますが、例えば「祭り」のように人が判断とするものと異なり、スレッドの主題が黒倉川で起こった水難事故という客観性のあるものであるため認められるものだと考えていますが、この件については他の方のご意見もお聞きする必要があると思っています。--Poh 2007年12月10日 (月) 09:05 (UTC)[返信]
スレッドの主題が記事の主題と重なるから関連性がある、だから記事に載せてよい - そういうロジックを突き詰めていくと非常に理不尽な帰結を導くことになると再三にわたって指摘しています。そうした理不尽な結論を導く以上、単に“スレッドの主題が…”という以上のものを提示する必要と説明責任がPohさんの側にあるとも再三にわたって指摘しています。この点についてPohさんが説明を避け続ける限り、Pohさんの主張は説得力を欠き続けるでしょう(現にここにいるわずか2人のユーザーでさえ説得できていないわけです)。未だ草案段階ですが、WP:SNOWを読むようお勧めします。勝ち目のない強弁はお互いのために無駄というものです。--ikedat76 2007年12月10日 (月) 12:42 (UTC)[返信]
(Pohさんへ)Wikipedia:独自研究は載せないにおける一次資料と二次資料にはこのように記載されています。
一次資料を直接ウィキペディアで公表すること、たとえば投稿者自身の体験の記述や、投稿者が行ったアンケートやインタビューなどを掲載する事は独自研究にあたり許されません。ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です。
Pohさんの主張によれば、現在Pohさんが文書として記述しようとしていることは「スレッドという一次資料が存在する」という記述だけであり、一次資料に対して何らかの整理を行ったものでも、考察を加えたものではありませんし、そもそも(誰にでも匿名で容易に改竄できる)電子掲示板のスレッドという存在自体が「考古学的な人工遺物・映画・ビデオ・写真、日記・国勢調査・公聴会の議事録や裁判の記録・インタビューのような歴史的文書、アンケートや調査の結果一覧、実験室での分析・観察の記録、実地調査の記録といった、情報やデータ」(一次資料と二次資料における一次資料の定義)とは全く異質なものです。スレッドの主題は客観性のあるものに基づいているかもしれませんが、スレッドの存在だけでは記事の主題に対して何の意味も持ちません。--Bsx 2007年12月10日 (月) 12:58 (UTC)一部加筆--Bsx 2007年12月10日 (月) 13:09 (UTC)[返信]
ikedat76さんは初めて「理不尽な結論」という言葉を使われましたが、これは何のことを指すのでしょうか?もしそれがBsxさんの言われる「2ちゃんのスレッドでもYahoo!でも何でも掲載できる・・」のことでしたらそれを理不尽と感じるのは個人の主観であり、それを解決するために私が何かを説明する義務はありません。Bsxさんが挙げられた一次資料とはそのままでは掲載できないものの例の一部であり、トピックがこれらに限定されなければならないというものとは全く別の次元のことのように思えるのですがいかがでしょうか?しかも議論中の文中のスレッドは研究の資料や結果などではなく客観的に存在している対象物です。--Poh
前のコメントで掲げた「一次資料」に関する記述は公式な方針に記載された“定義”です。そもそも2ちゃんねるのスレッドはこの要件すら満たしていませんし、誰でも起草し改竄できるものである事を否定できず、そのスレッドが客観的に評価されていない以上は、存在自体が「客観性を持つ」とは言えません(Wikipedia:検証可能性#但し書きもご覧ください)。繰り返しになりますが、客観的評価のないスレッドの存在だけでは記事の主題に対して何の意味も持ちません。--Bsx 2007年12月12日 (水) 14:00 (UTC)[返信]
「Wikipedia:独自研究は載せない」の中に抵触箇所を見つけました。今日は時間がないので明日書きます。--Poh 2007年12月14日 (金) 14:17 (UTC)[返信]
一日遅れましたが「一次資料を直接ウィキペディアで公表すること」が禁止徐行に当たることですね。その前に再び申し上げますが、Bsx「2ちゃんねるのスレッドはこの(一次資料の)要件すら満たしていません」とその一次資料の例と「異質である」という考えは「方針文書」にはない記述で「個人の理論」になると思います。それで抵触に当たるのは「それがウィキペディアで最初に発表されることになるのであれば、掲載を拒否せざるを得ないのです」という部分に対してです。スレッドの存在という客観的事実であっても、紹介されたのが他のウェブサイトや2ちゃんねる内の他スレッドであれば信頼できる情報源にはならないので、ウィキペディアで最初に発表されたということになります。これでとりあえずは田代祭りのようなメディアに取り上げられた例を除けば、スレッド等の存在の大部分はブロックされるということになります。よって議論中の文章は掲載不可ということになります。あくまでも私の考えですので間違いがあればまた違った結果になりますし、これだけでは不安だと思われる方は他の抵触箇所を探されるのもよろしいかと思います。--Poh 2007年12月16日 (日) 11:03 (UTC)[返信]
この点については基本的にはPohさんの解釈でいいのではないかと考えています。2ちゃんねるのスレッドをはじめとする電子掲示板の項目(の存在)については(例外的に掲載できる一次資料の要件である)「誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」でも「分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事」でもないですし、そもそもメディアや専門家による客観的な視点による評価ができない以上は百科事典に掲載すべき資料に値するかどうかの判断ができません。
なお、念のため再度書きますが、Pohさんが『「方針文書」にはない記述で「個人の理論」になると思います』と書かれている、斜体で示した一次資料の例(定義)は、方針文書であるWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料に明示されたものですので、お間違いのないように。--Bsx 2007年12月17日 (月) 14:08 (UTC)[返信]


了解しました。ただ私が『「方針文書」にはない記述で「個人の理論」になると思います』と書いたのは『そもそも(誰にでも匿名で容易に改竄できる)電子掲示板のスレッドという存在自体が「斜体字部分除く」(一次資料と二次資料における一次資料の定義)とは全く異質なものです。スレッドの主題は客観性のあるものに基づいているかもしれませんが、スレッドの存在だけでは記事の主題に対して何の意味も持ちません。』の部分のことですよ。ここを区別しないと文字通り公私混同になってしまいます。--Poh 2007年12月18日 (火) 12:44 (UTC)[返信]