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Wikipedia‐ノート:出典を明記する/複数の出典に関して

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出典表示の重要性の再確認と複数付けられた出典表示の保護について

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このページに来られている利用者の方は出典表示の重要性についてよく理解されていると思うので、このページで「出典表示の重要性の再確認」と言っても仕方ないのですが、最近、同一の記述に複数の出典表示が示されている場合に、メンテナンスのつもりなのでしょうが、一つの出典表示で足り複数の出典表示は要らないといった主張をして出典表示を削除する方を見かけます。しかし、同一の記述に複数の出典表示は要らないという主張はWP:REFの趣旨からみて明らかに疑問です。 以下、WP:REFの「はじめに」に書かれている観点と照らし合わせてみます。

  1. 「内容に問題がないか確認できる」 ⇒ 複数のほうが好ましいはずです。
  2. 「読者がさらに調べるときの参考になる」 ⇒ 複数のほうが好ましいはずです。
  3. 「著作権・著作隣接権の遵守」 ⇒ 本文作成の際には参考にされたはずの出典が別の利用者によって出典表示の一覧から突然削除された場合、出典表示から削除された側の「著作権・著作隣接権の遵守」の観点はどうなったのでしょうか。

著作権にも密接に関連した問題であり、このような誤ったメンテナンスが横行することは非常に問題ですので、複数付けられた出典表示の保護についてもガイドラインに明記すべきです。--W-run会話2013年8月23日 (金) 20:47 (UTC)

  • コメント 私も氏の仰る通り、1.2.について、「複数の方が好ましい」と言う観点から、現役時代はその様にしておりました。また、その様になっている記事も多数、拝見致しております。ただし、・・・えーと、何の記事かは忘れましたが、10も20も並べている記事もありまして、さすがにそこまではする必要はなく、通常は権威のあるもの、入手しやすいものを2-3、多くても倍程度に留めるべきと思います(ただし、担保されている内容が全く同一である場合です。そうでない場合、最大数は制限されるべきではないでしょう。ある段落について、10個やそこらの出典を並べるのが自然である場合もあるからです。・・・私ならそんな検証しにくい事はせず、句読点ごとに入れますけど)。3.については結局原著作者が誰か、によります。すなわち引用した文章を書いたのが、誰か、ということであり、3.の観点のみから見れば、出典貼付は適切なものただ一つで構いません。原著作者の著した文献を用いるのが良いでしょう。ただし1.2.の観点から、それを紹介した入手しやすい文献があるのであれば、併せて紹介するのは有益なことです。ただし脚注形式で出典を並べるのではなく、原著作者の著した文献を示しつつ、「○○ (2000)、×× (1981)でも参照可能である」という手でもよいのですけれどもね。もし文言を加えるのであれば以下の様になるでしょうか。どうもすっきりしませんが。
  • 検証または文献入手の容易性に配慮し、同等の内容が記された複数の文献を出典として示しても構いません。その際にはできるだけ権威の高いもの、入手の容易そうなものを選んで、多くなりすぎないようにしてください。
  • 一見上記のように同等の内容が記された文献が列挙されているだけのように見えても、その情報の正確性を担保するには内容の異なる複数の出典を示すことが必要だったのかもしれません。列記された多すぎる出典をやむを得ず除去する時には、見た目だけで判断せず文献を実際に査読し、内容が同等であり除去しても問題無いという事を確認しながら、慎重に行うべきです。
・・・くらいの感じでしょうか?--Hman会話2013年8月23日 (金) 21:46 (UTC)
コメント Wikipedia:脚注過剰 という、出典が多すぎる場合についてのエッセイ(私論)があります。出典は1個よりも2-3個あったほうがたいていはよいでしょうけど、多ければ多いほどよい、とは単純にいえないのでは。よく知られた事実については出典が100個以上存在することもあるでしょうけど、それを全部つけることにはあまり利益がないでしょう。それは極端だとしても、4個以上からは多すぎる、という感じがしてくると思います。しかし、やはり上記 1、2 の観点から、それらを同時に満たすため2-3個出典をつけておくのはよいことだと思います。[1][2][3][4][5]... とくっついているのが可読性を損なう、ということであれば、<ref>(a) 出典1; (b) 出典2; (c) 出典3; ... </ref> のような形式を使うこともできますが。なお 3 については、これは引用、つまり元の文章をそっくりそのまま転載することを指しますので、出典が複数あるということはあまりないと思います。--Calvero会話2013年8月24日 (土) 01:40 (UTC)
(コメント)あまり本題に関係ないかもしれませんが、5個とか10個とか20個といったようなあまりに大量の出典が付いている場合、出典の数が多いことそのものより、多数の「出典」を並べての独自見解を記述することを懸念しています。例として、チェーン店の記事でそのチェーンの別々の店舗に強盗が入った記事を10個並べて「強盗事件が多発している」と記述したり、ある人物の記事で「反日的」と思える行動・言動をした記事を5個並べて「反日的な人物である」と記述したりすることなどです。--Muyo会話2013年8月24日 (土) 01:53 (UTC)
 そうですね、その様なものを時折目にします。とは言え、出典を列挙する問題でなく、Wikipedia:独自研究の話ですね。文面はちょっと、気の効いたモノは思い付きませんが、まあ言うなれば「独自の集計」に該当する独自研究です。実務上の話でしたらそんなものは独自研究として、スパッと除去するか、テンプレートを貼るわけですが。--Hman会話2013年8月24日 (土) 08:44 (UTC)
コメント 皆さんコメントを頂きありがとうございます。WP:REFWP:Vと直結していることを考えると結論としては検証可能性を維持・向上させる方向に出典が付記・調整されるよう配慮することになるかと思います。例えば、Calveroさんが指摘された「よく知られた事実」の問題で言えば出典の増加に対して検証可能性の向上という寄与の度合いが漸減していく点が問題となるわけで、結局はWP:Vの維持・向上に資するように調整するという観点に行き着くのではないでしょうか。「著作権・著作隣接権の遵守」については、後段の「また、引用でない部分についても情報源を明記することで、情報源を違法に丸写ししていないかどうか確認しやすくなります。」との観点から述べました。複数の情報源をもとに文脈上では一文に編集されて複数の出典が文末に表示されていたときに、原典との比較対照が問題になることもあると思います。
可読性の問題ですが、Calveroさんが単に出典の個数ではなく出典の形式という観点に基づいて説明されたことはとても納得できます。単に出典の個数の観点から捉えて可読性と検証可能性を秤にかけるような論法はとるべきでないと思います。現に「出典が多すぎる」として問題になっている事例よりも「出典が無い」として問題になっている事例のほうが圧倒的に多いと考えられ、ウィキペディアの根幹をなすWP:Vを犠牲にすべきではありませんから、可読性の問題は検証可能性を損なわない範囲で出典の形式という観点から解決すべき問題かと思います。ガイドラインには本文中に注釈を入れるinline citationと、末尾に記事全体に関する参考文献として一覧で挙げるgeneral referenceがあると説明されており、個別の注釈が可読性を損なうのであれば一部を末尾に移行するといった工夫もあるはずです。このような配慮もなくメンテナンス名目で一方の記事では「要出典」タグを貼りつけておきながら、一方の記事では一つの出典表示で足りるので複数の出典表示は要らないとして出典表示を削除するといった行為はWP:Vに対する理解が不足していると思います。WP:REFの「はじめに」にある「内容に問題がないか確認できる」と「読者がさらに調べるときの参考になる」の観点から考えれば出典表示はできるだけ多角的になっているほうが好ましく、整理の名を借りるような削除行為は検証可能性を阻害するだけで全く無益です。
Hmanさんの文を次のように整理して追加してはどうでしょう。

「以上のように出典を明記することには、検証可能性を確保し、読者がさらに深く調べる際の参考に資するという目的があります。出典の表示を設定し編集する際には検証可能性が維持・向上されるように配慮しなければなりません。

この趣旨から出典の表示を設定する際には、同等の内容が記された複数の文献を出典として示しても構いません。編集の際にはできるだけ権威の高いもの、入手の容易そうなものを選択しましょう。出典が多くなる場合には出典の示し方を変えるなど調整してください。周知の事実については出典の存在が検証可能性の維持に相応しい範囲となるように設定してください。

既にある出典表示に編集を加える場合には記述の検証可能性を低下させないよう配慮してください。同等の内容が記された文献が複数列挙されているだけのように見えても、その情報の正確性を担保するには内容の異なる複数の出典を示すことが必要だったのかもしれません。列記された多すぎる出典をやむを得ず除去する時には、見た目だけで判断せず文献を実際に査読し、内容が同等であり除去しても問題無いという事を確認しながら、慎重に行うべきです。

以上の文を「出典なき記載の扱い」の節の下に新たに節を作成して設けてはどうでしょうか。なお、Muyoさんが指摘された問題についてはある記述が出典からの情報としてみたときに相当でない場合ということになるかと思われ、WP:SYNなどの観点で判断することになろうかと思います。ただ、WP:SYNの例を見ると複数の文の組み合わせが「特定の観点を推進」になる場合が挙げられていますが、Muyoさんが指摘されているように出典の組み合わせが「特定の観点を推進」になる場合については例が見当たらないので何らかの対応をすべきなのかもしれません。--W-run会話2013年8月24日 (土) 05:55 (UTC)

提案

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節分けしました。--ikedat76会話2013年8月25日 (日) 03:55 (UTC)

提案 Hmanさんの文をベースに皆さんの御意見を整理して節の名称を「三大方針との兼ね合い」として現在ある「出典なき記載の扱い」の節の下に新設してはどうでしょうか。文面は次の通りです。

以上のように出典を明記することには、検証可能性中立的な観点を確保するとともに、読者がさらに深く調べる際の参考に資するという重要な目的があります。出典の表示を新たに設定したり後に編集する際には検証可能性や中立的な観点が維持・向上されるように配慮しなければなりません。

出典の表示を設定する際には、同等の内容が記された複数の文献を出典として示しても構いません。編集の際にはできるだけ権威の高いもの、入手の容易そうなものを選択しましょう。複数の出典を表示することは検証可能性や中立的な観点を維持し向上させる上でも理想的なことですが、出典が多くなる場合にはinline citationの一部をgeneral referenceへ移行するなど出典の示し方を変えて調整してください。また、出典を付ける対象が検証が容易な周知の事実である場合には出典の表示についても記述内容に見合ったものになるよう配慮が必要です。

既にある出典の表示に編集を加える必要がある場合には記述の検証可能性や中立的な観点を低下させないよう配慮してください。同等の内容が記された文献が複数列挙されているだけのように見えても、その情報の正確性を担保するには内容の異なる複数の出典を示すことが必要だったのかもしれません。列記された多すぎる出典をやむを得ず除去する時には、見た目だけで判断せず文献を実際に査読し、内容が同等であり除去しても問題無いという事を確認しながら、慎重に行うべきです。

また、個々の記述に出典を設定しそれを編集する際には、記述の内容が出典の内容と明示的に付合する状態になるようにし、出典にはない意図を取り込むことによって独自研究に陥ることのないようにしてください。

以上を提案致します。--W-run会話2013年8月24日 (土) 10:50 (UTC)

検討には時間を要しますが、とにかく、一点だけ。「inline citationの一部をgeneral referenceへ移行するなど」は、誤解・誤用・悪用され検証可能性が低下する危険があります。ついでに申し上げれば、general referenceからinline citationへ移行することは常にあります(というか推奨すべきです。まあ、今語る問題ではないですが)。私はその様なことを行ったことは有りませんし、一線級の執筆者がそれをやっているのを見た事もありませんし、恐らくW-runさんも行った事など無いのではありませんか?その題材について造詣のある一線級のベテラン執筆者が、どうしてもそれが必要だ、こうした方が誰の目にも明らかに良い、と強い確信のもとに判断するのであれば、そういったこともあり得るのかもしれませんが(そして門外漢が事情も知らずに批判すべきではありませんが)、これを敢えて文書で推奨する事には強い懸念を抱かざるを得ません。単純に、「多くなりすぎないように配慮してください」的なニュアンスの文を入れておけば良いのでは。--Hman会話2013年8月24日 (土) 11:14 (UTC)

Hmanさんの仰る通りgeneral referenceからinline citationへの移行が検証可能性を高めることになるということは私も含めて多くの方の意見かと思います。問題の部分ですが出典が多くなりすぎて可読性に著しい支障を生じる場合という実際には極めて稀にしか発生していないであろう場合であり対応が難しいのですが、「除去」よりは「出典の表示方法の変更」のほうが検証可能性を阻害しないのではと考え盛り込んだものです。「出典の示し方」にしても「出典の個数」にしてもガイドラインの文言の選び方を間違えると誤解・誤用・悪用の危険があると思っており慎重に対応すべきかと思います。正式なガイドラインであるWikipedia:信頼できる情報源は「情報源は可能な限り提供されるべきです。」と冒頭で明言しており、その原点に戻りたいと思います。

以上のように出典を明記することには、検証可能性中立的な観点を確保するとともに、読者がさらに深く調べる際の参考に資するという重要な目的があります。出典の表示を新たに設定したり後に編集する際には検証可能性や中立的な観点が維持・向上されるように配慮しなければなりません。

出典の表示を設定する際には、同等の内容が記された複数の文献を出典として示しても構いません。編集の際には信頼できる情報源の中から、できるだけ権威の高いもの、入手の容易そうなものを選択しましょう。複数の出典を表示することは検証可能性や中立的な観点を維持し向上させる上でも理想的なことです。出典が付けられている対象が検証の容易な周知の事実である場合には出典の表示についても記述内容に見合った規模になるよう配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。

また、既にある出典の表示に編集を加える必要がある場合にも記述の検証可能性や中立的な観点を低下させないよう注意してください。同等の内容が記された文献が複数列挙されているだけのように見えても、その情報の正確性を担保するには内容の異なる複数の出典を示すことが必要だったのかもしれません。列記された多すぎる出典をやむを得ず除去する時には、見た目だけで判断せず文献を実際に査読し、内容が同等であり除去しても問題無いという事を確認しながら、慎重に行うべきです。

個々の記述に出典を設定しそれを編集する際には、記述の内容が出典の内容と明示的に付合する状態になるようにし、出典にはない意図を取り込むことによって独自研究に陥ることのないようにしてください。

少し文を改めてみました。--W-run会話2013年8月24日 (土) 20:50 (UTC)

まず、第1段落に出典を明記することの目的として「読者がさらに深く調べる際の参考に資するという重要な目的があります」と記され、読者のためだということが明記されることに賛意を表明します。いくつか気になる点がありました。

第2段落。複数の出典を示すことについての一文から段落が始まっています。たしかに複数の出典に関するトピックから派生してきた提案だけにそうしたものが出てくるのはもっともなことですが、いくつか問題があるように思います。

  1. WP:V文書全体から言えば、単一/複数はどちらかと言えば派生的なものであり、まず最初に「…複数の文献を出典として…」と始まるのは違和感があります(また、同段落の第3文でも繰り返されて冗長とも思えます)。
  2. 出典と単一/複数と情報源としての信頼性を天秤にかけるなら、後者に比重があるべきです(信頼できない情報源をいくつ出典として羅列しても…)。今の構成では、複数>信頼性とミスリードする余地があるように思います。大事なことは一番先頭に置きたいと考えます。
  3. 第3文で複数の出典を「理想的」とまで言うのは言いすぎです。Wikipedia:信頼できる情報源#査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックするの第3段落にあるように、学会のコンセンサスを示すものとしての総説論文1本があるのであれば、かならずしも個々の論文を掘り起こす必要が無い場合もあり得ます。
  4. 前項や、ご提案の文案の第3段落、利用者:Calveroさんのご指摘とも関係しますが、複数挙げるにしても実質的に意味がなかったり、en:Wikipedia:Masking the lack of notabilityのような誤用・悪用を導くことも懸念されるところです。

こうした観点で第2段落を次のように修正してみました。

出典として明記する情報源は、信頼できる情報源の中から、できるだけ権威の高いもの、入手の容易そうなものを選択しましょう。同等の内容が記された複数の出典を明記することにより、検証可能性や中立的な観点を維持し向上させることに役立つことがあります。ただし、同等の内容が記された複数の出典が過度に多数におよぶような場合には、信頼性のある情報源であることを前提として、検証可能性や中立的な観点を損なわないように注意しつつ、出典を精選することも検討してください。出典が付けられている対象が検証の容易な周知の事実である場合には出典の表示についても記述内容に見合った規模になるよう配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。

第3段落。1つ目。(細かいことですが)「列挙」と「列記」が混在していますが、どちらかに揃えたほうがよろしいかと思いました。2つ目。「文献を実際に査読し」てはダメです。ウィキペディアンがそんなことをしていい訳がない。趣旨として「文献を実際に読んで」ということなのでしょうから、その通り平易に書けばいいのではないでしょうか。--ikedat76会話) 2013年8月25日 (日) 03:55 (UTC)追記。--ikedat76会話2013年8月25日 (日) 04:11 (UTC)

Ikedat76さんありがとうございます。なるほど今回の問題提起は出典の個数という問題からスタートしたので、私も核心部分を見失っていたようですが、信頼できる情報源という前提条件が常に優位にあるわけですね。特に第2段落については文言の選択や配置が難しかったのですが、Ikedat76さんのお示しになった文面は情報の信頼性という要素が全面に反映されたことによってより安定的になった印象を持ちました。提案内容全体がわかりやすくなるように以下に全文を示して反映させてみました。なお、節の名称ですが前日に申しましたように「三大方針との兼ね合い」として現在ある「出典なき記載の扱い」の節の下に新設するという提案となっております。

以上のように出典を明記することには、検証可能性中立的な観点を確保するとともに、読者がさらに深く調べる際の参考に資するという重要な目的があります。出典の表示を新たに設定したり後に編集する際には検証可能性や中立的な観点が維持・向上されるように配慮しなければなりません。

出典として明記する情報源は、信頼できる情報源の中から、できるだけ権威の高いもの、入手の容易そうなものを選択しましょう。同等の内容が記された複数の出典を明記することにより、検証可能性や中立的な観点を維持し向上させることに役立つことがあります。ただし、同等の内容が記された複数の出典が過度に多数におよぶような場合には、信頼性のある情報源であることを前提として、検証可能性や中立的な観点を損なわないように注意しつつ、出典を精選することも検討してください。出典が付けられている対象が検証の容易な周知の事実である場合には出典の表示についても記述内容に見合った規模になるよう配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。

また、既にある出典の表示に編集を加える必要がある場合にも記述の検証可能性や中立的な観点を低下させないよう注意してください。同等の内容が記された文献が複数列挙されているだけのように見えても、その情報の正確性を担保するには内容の異なる複数の出典を示すことが必要だったのかもしれません。列挙された多すぎる出典をやむを得ず除去する時には、見た目だけで判断せず文献を実際に読んで、内容が同等であり除去しても問題無いという事を確認しながら、慎重に行うべきです。

個々の記述に出典を設定しそれを編集する際には、記述の内容が出典の内容と明示的に付合する状態になるようにし、出典にはない意図を取り込むことによって独自研究に陥ることのないようにしてください。

皆さんに検討を重ねていただいておりますことに感謝申し上げます。--W-run会話2013年8月25日 (日) 06:23 (UTC)
コメント Wikipediaの方針・ガイドライン文書は実例を挙げる場合と挙げない場合が有りますが、挙げないパターンとしては、特に問題の見あたらない文書で、大変結構であると思います(もうちょっとコンパクトなら、とも思いますが、それは高望みでしょう)。また、「出典を明記する」と言うガイドライン全体の精神から見れば、今回の案件は比較的些事に分類される事項であるため、挿入位置が下の方になることも、妥当であると思います。節名については非常に悩ましいところです。直接的に行くなら「列挙された出典の取り扱い」に類する名前にする事も考え得るのですが、そんなに急ぐ事もありませんし、意見が出そろうのを待ってからでよろしいでしょう。また、一応こちら、従来の、それももの凄く重要な正規のガイドライン内において、特殊なケースの扱いについてのガイドラインを新設する提案であり、今ここにいる数名で新設を決して良いものかどうかに関して、不安がございます。Wikipedia:お知らせを使うほどではないとは存じますが、Wikipedia:コメント依頼にて、合意形成のため、と言うかたちで呼びかけを行ってはいかがでしょうか。よりよいご意見が、寄せられるかもしれません。ただしこんなに大事なガイドラインですから、少なからざる方がこのノートをウォッチなされているはずで(少なくともノートに登場なされている方のほとんどは!)、なのにここまで特に反対意見が出ていないと言うことは、まあ、黙認・消極的賛成と言ったかたちで、まァいいんじゃないかと思われているとも解釈できます。このため、コメント依頼を強く求めるものではありません。--Hman会話2013年8月25日 (日) 16:30 (UTC)

報告 Hmanさんコメント依頼について御助言いただきありがとうございます。私としても幅広いコンセンサスを重視したいのでWikipedia:コメント依頼(合意形成のためのコメント依頼)へコメント依頼を行いました。信頼できる情報源に基づく出典表示は、WP:REFの「はじめに」にあるように「内容に問題がないか確認できる」という観点からみても、「読者がさらに調べるときの参考になる」という観点からみても最大限の尊重が払われるべきかと思います。今回の提案に至った経緯の詳細については最初に述べたとおりですが、これまでにも具体的な提案やコメントをいただいておりまして皆さんに改めて感謝致します。今回のコメント依頼を通じてWP:REFの趣旨を再確認する機会になればと思っています。--W-run会話2013年8月25日 (日) 20:12 (UTC)

情報 コメント依頼を行いましたので混乱のないよう情報を加えますが、問題提起後に意見交換や提案があり、数回にわたる修正を経て現時点での案は直近の2013年8月25日 (日) 06:23 (UTC)のものになっています。--W-run会話2013年8月25日 (日) 20:32 (UTC)
コメント「学会のコンセンサスを示すものとしての総説論文1本があるのであれば、かならずしも個々の論文を掘り起こす必要が無い場合もあり得ます。」: 通常は、最初に報告した原著論文+最近の総説にしたほうがベターだし、学会コンセンサスを示すにも、立場のちがう複数の書き手による総説を示すほうが望ましいでしょう。とはいうものの、結果として出された文案は良くできているので、議論の途中にあった上記の文を理由に過度に削る人がいないように注意していただきたいことを確認しつつ文案には賛意を表します。--T6n8会話2013年8月25日 (日) 23:14 (UTC)
コメントT6n8さんコメントありがとうございます。自然科学など学術的な記述については、これまでの研究の経過や現時点で学者間に存在する見解の相違といった状況が適切に文脈に反映されるような配慮をすべきという趣旨かと思います。御指摘のWikipedia:信頼できる情報源#査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックするの第3段落を考慮しての文言の調整についてですが、個別の事例での情報源のとり方・出典のあり方というよりは、ガイドライン相互間でのすり合わせに主たる目的があったものと考えています。つまり、Wikipedia:信頼できる情報源#査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックするの第3段落との関係で「このような出典の示し方をとりうる場合があると考えられており、追加するガイドラインの文言でも配慮が必要」という趣旨での議論であったと理解しています。個別の事例での情報源のとり方・出典のあり方については、Wikipedia:信頼できる情報源#査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックするの第3段落のほか、例えばそれに続く第4段落の「支配的な観点が1つになっていない場合」や、第5段落の「不確実性や論争がある場合」においても情報源のとり方・出典のあり方についての明文の規定があり配慮が必要になることは改めて確認しておきたいと思います。したがって、個別の事例での情報源のとり方・出典のあり方については、これらの要素を含めた諸々の方針やガイドラインとの観点から総合的に判断されることになりますので、T6n8さんが心配されていると思います恣意的な削除行為についても各規定の本来の趣旨から対応し得るものと考えています。--W-run会話2013年8月26日 (月) 12:44 (UTC)
念のため。T6n8さんの懸念されるような行為を認める趣旨は一切含んでいません。自然科学に限らず原著論文+総説論文が総説論文のみよりベターであるのもその通り(必須とまではいえない)。にもかかわらず「議論の途中にあった上記の文を理由に過度に削る」行為は、今回の提案の部分でケアする問題ではなく、単純に品質を劣化させる行為として扱えばいいと考えます。--ikedat76会話2013年8月26日 (月) 13:25 (UTC)
コメント 一応私からも。T6n8氏の仰る様に「総説論文1本」あればOKと言うケース、随分ございますでしょう。ところが世の中には、そうではない、複数併記しておいた方が好ましいと言うケースも多数ございます。この改定案の骨子は各分野の各書き手が、自身の専門知識と手持ちの文献に合わせ、まさしくケースに応じてベストなかたちで(特に検証可能性・容易性に留意して)記事を紡ぐ事許容すると、敢えて明言するところにあると思います。もし「必ず複数の出典が必要だ」との誤読を招く部分がございましたら、ご遠慮なく修正案をご提示頂ければよろしいかと思いますが、私個人の感想では、特に問題は感じておりません。困った事に、明記しておかないと「一文に多数の出典など不要」と、勝手に出典を消して回る利用者が存在することが、W-run氏によって示されてしまいました。このままではかの如き利用者はこれからも多数登場しかねないと認識せねばならず、またこれまで併記について何ら言及もガイドラインも無かったため、これもいい機会でもあるから、と言う意味もございまして、私はW-run氏の提案の趣旨に賛意を示させて頂いております次第です。--Hman会話2013年8月26日 (月) 21:43 (UTC)
コメント T6n8さんの御指摘は「総説論文1本」あればOKという場合そのものについて述べられたものではなく、それが議論の過程で俎上に載ったことを受けて念のために「議論の途中にあった上記の文を理由に過度に削る人がいないように注意していただきたい」と述べられたものと理解しています。いずれにしても、その後の議論において出典の表示を恣意的に過度に削ってしまう行為は品質を劣化させる行為であるという共通認識について確認できたものと思っております。現時点では皆さんから提案内容について賛意をいただいており、Hmanさんが仰っておられる問題認識についても共通の理解を得られるのではないかと考えています。今回の提案は信頼できる情報源に基づいて出典の追加などに相当の努力が払われている状態を無視して、これらの出典を恣意的に消去するような行為は検証可能性の観点からも中立性の観点からも問題であるという趣旨によるものですのでよろしくお願いいたします。--W-run会話2013年8月27日 (火) 01:38 (UTC)

記事の品質を向上させることにつながるよう信頼できる情報源に基づいた情報が適切な形で提供されることは歓迎されます。良質な記事に選ばれたページなどを拝見しながら考えるのは、出典の追加などに相当の努力が払われていることについても理解しなければならないということです。ここでは出典の表示の恣意的な削除行為が問題となっていますが、こういった記事の品質を向上させるための過程を無にするような行為に対してどのような態度で臨むかという問題にほかなりません。出典の表示の恣意的削除といった品質を劣化させる行為は何ら容認されるものではないということについて、ここで皆さんとともに再確認したいと思います。--W-run会話2013年8月26日 (月) 20:22 (UTC)

報告 議論を経て提案が具体化されていますのでWikipedia:出典を明記するのページ冒頭にも告知を行いました。なお、本節での趣旨説明などの際にWikipedia:出典を明記するの「はじめに」にあった各文ですが、その後、冒頭部に統合されていますのであわせて御報告します。--W-run会話2013年8月26日 (月) 21:07 (UTC)
今回の件での各方面へのご尽力に敬意を表します。通常、合意に要する期間は1週間で十分とされる場合が多いですが、今回はものがものであるだけに、目立った反対が無かったとしても一週間で合意と見なす、などは少々早計としたもの、しかし無制限に時間をかけるわけにも参りません。今回のケースではコメント依頼提出から大体二週間を見ておけば、告知が不足だ、尚早に過ぎる、などと、後でトラブルとなる虞も少ないのではないかと存じます。もちろんより優れたご意見が寄せられれば、または別の可能性が提案されるのであれば、期限に捕らわれずに、存分に知恵を絞って参りましょう。--Hman会話2013年8月26日 (月) 21:43 (UTC)
コメント わかりました。出典表示の重要性の再確認の機会とも捉えておりますので、Hmanさんの仰るように提案期間についてもひとまずコメント依頼提出から2週間としたいと思います。--W-run会話2013年8月27日 (火) 01:38 (UTC)
  • 決まりかけているところを横槍で申し訳ないのですが気になりましたので指摘させてください。第二パラグラフなのですが
出典として明記する情報源は、信頼できる情報源の中から、できるだけ権威の高いもの、入手の容易そうなものを選択しましょう。同等の内容が記された複数の出典を明記することにより、検証可能性や中立的な観点を維持し向上させることに役立つことがあります。ただし、同等の内容が記された複数の出典が過度に多数におよぶような場合には、信頼性のある情報源であることを前提として、検証可能性や中立的な観点を損なわないように注意しつつ、出典を精選することも検討してください。出典が付けられている対象が検証の容易な周知の事実である場合には出典の表示についても記述内容に見合った規模になるよう配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。
下線箇所についてはとりわけ現実の編集検討のさいに競合しやすい論点でして、我々名無しのどこの誰ともしれないWikipedianが「できるだけ権威の高い」情報源を認定するのは困難です。何が「できるだけ権威の高い」情報源なのか確定させることはWikipedianのステイタスでは非常に困難だということです。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価の記述のように「できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい」といった表現に修正して頂けませんでしょうか(類似の議論[1])。すなわち
出典として明記する情報源は、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から幅広く選ぶようにして下さい(Wikipedia:信頼できる情報源)。また入手の容易そうなものを選択しましょう。同等の内容が記された複数の出典を明記することにより、検証可能性や中立的な観点を維持し向上させることに役立つことがあります。ただし、同等の内容が記された複数の出典が過度に多数におよぶような場合には、信頼性のある情報源であることを前提として、検証可能性や中立的な観点を損なわないように注意しつつ、出典を精選することも検討してください。出典が付けられている対象が検証の容易な周知の事実である場合には出典の表示についても記述内容に見合った規模になるよう配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。
元の文案でも「文脈を解釈すれば通じる」とは思うのですが、「できるだけ」「できるかぎり」as much as possible は非常に主観的な基準を表現していますので、十分条件で補足するべきと考える次第です。--大和屋敷会話2013年8月27日 (火) 05:31 (UTC)

コメント 大和屋敷さんコメントありがとうございます。御指摘の箇所についてですが、この文言が盛り込まれた当初の段階では出典の個数に関連した可読性について議論されていました。御指摘を受けてWikipedia:出典を明記するの本来の趣旨に立ち戻って考えてみましたが、Wikipedia:出典を明記するというガイドラインの名称からみても「出典の示され方」に関連する問題を直接的には扱うことになりますので、今回の追加する文言の範囲については提案(2013年8月25日 (日) 06:23 (UTC)のもの)の第1段落にあるように「出典の表示を新たに設定したり後に編集する際の方向性を示すための文書」という観点から考えることになります。そこで、情報源そのものの信頼性の問題になるわけですが、確かに一定の関連付けが必要と考えられるのですが、ガイドラインの名称からみても本来的にはWikipedia:出典を明記するの領域ではなくWikipedia:信頼できる情報源の領域で扱われるべきと思われ、現に御案内いただきました議論([2])もWikipedia‐ノート:出典を明記するではなくWikipedia‐ノート:信頼できる情報源のほうで議論され過去ログ化されています。したがって、今回追加される文言上に情報源の信頼性の判断に関連した一定の懸念があるということであれば、こちらでは大きく踏み込まずに情報源の信頼性の判断についてはWikipedia:信頼できる情報源で定められている基準のほうに完全に委ねるような文言へと改めるべきかと思います。大和屋敷さんが御指摘されたような「現実の編集検討のさいに競合しやすい論点」であるとするならば、異なる2つのガイドラインで別々に扱われていることによって、将来的にガイドライン間で内容に乖離が発生するような事態は避けるべきということも考慮に入れる必要があります。まずは皆さんの意見をうかがってみたいと思います。--W-run会話2013年8月27日 (火) 06:52 (UTC)

コメント 大和屋敷さんから問題提起がありました第2段落についてですが、(1)出典として明記する情報源にはWP:RSの基準に適合するものが用いられるべきこと、(2)情報源は入手の容易そうなものが好ましいこと、(3)同等の内容が記された複数の出典を明記することによって検証可能性や中立的な観点を維持し向上させることに役立つことがあることと各要素が並んでいますが、(1)は前提的な条件であり(2)や(3)とはレベルが大きく異なりますので、構成としては(1)+(2)、(3)ではなく(1)、(2)+(3)にした上でWP:RSの領域で考慮・決定されるべき事象に対応するために次のようにしてはどうでしょうか。

出典として明記する情報源はWikipedia:信頼できる情報源に定められた基準に適合するものを選択しましょう。また、より入手の容易な情報源を選択したり、同等の内容が記された複数の出典を明記することが検証可能性や中立的な観点を維持し向上させることに役立つことがあります。ただし、同等の内容が記された複数の出典が過度に多数におよぶような場合には、信頼性のある情報源であることを前提として、検証可能性や中立的な観点を損なわないように注意しつつ、出典を精選することも検討してください。出典が付けられている対象が検証の容易な周知の事実である場合には出典の表示についても記述内容に見合った規模になるよう配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。

御意見をお願い致します。--W-run会話2013年8月27日 (火) 07:35 (UTC)

  • W-runさんの文案[3]、整理が効いておりシンプルで良いと考えます。--大和屋敷会話2013年8月27日 (火) 08:35 (UTC)
  • 結局は言っている事は同じですし、よりシンプルになり、かつ他の文書との用語の統一が図られるかたち(と言うか丸投げですが)となっているとなっては、現在のところ、反対する理由は全くございません。他の方が特に違和感を感じないのであれば、好ましい改良であるかと存じます。--Hman会話2013年8月27日 (火) 15:02 (UTC)

皆さんありがとうございます。WP:REFWP:RSで将来的に矛盾が生じないような形に整理しました。現時点で提案中の文書を全文に反映させました。「三大方針との兼ね合い」として現在ある「出典なき記載の扱い」の節の下に新設するという提案となっております。

以上のように出典を明記することには、検証可能性中立的な観点を確保するとともに、読者がさらに深く調べる際の参考に資するという重要な目的があります。出典の表示を新たに設定したり後に編集する際には検証可能性や中立的な観点が維持・向上されるように配慮しなければなりません。

出典として明記する情報源はWikipedia:信頼できる情報源に定められた基準に適合するものを選択しましょう。また、より入手の容易な情報源を選択したり、同等の内容が記された複数の出典を明記することが検証可能性や中立的な観点を維持し向上させることに役立つことがあります。ただし、同等の内容が記された複数の出典が過度に多数におよぶような場合には、信頼性のある情報源であることを前提として、検証可能性や中立的な観点を損なわないように注意しつつ、出典を精選することも検討してください。出典が付けられている対象が検証の容易な周知の事実である場合には出典の表示についても記述内容に見合った規模になるよう配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。

また、既にある出典の表示に編集を加える必要がある場合にも記述の検証可能性や中立的な観点を低下させないよう注意してください。同等の内容が記された文献が複数列挙されているだけのように見えても、その情報の正確性を担保するには内容の異なる複数の出典を示すことが必要だったのかもしれません。列挙された多すぎる出典をやむを得ず除去する時には、見た目だけで判断せず文献を実際に読んで、内容が同等であり除去しても問題無いという事を確認しながら、慎重に行うべきです。

個々の記述に出典を設定しそれを編集する際には、記述の内容が出典の内容と明示的に付合する状態になるようにし、出典にはない意図を取り込むことによって独自研究に陥ることのないようにしてください。

以上です。--W-run会話2013年8月27日 (火) 15:52 (UTC)

Hmanさんからコンパクトにという御要望もあり、私も一部気になる点を生じましたので、第2段落と第3段落を一つにし整理してみました(「三大方針との兼ね合い」として現在ある「出典なき記載の扱い」の節の下に新設するという提案はそのままです)。

以上のように出典を明記することには、検証可能性中立的な観点を確保するとともに、読者がさらに深く調べる際の参考に資するという重要な目的があります。出典の表示を新たに設定したり後に編集する際には検証可能性や中立的な観点が維持・向上されるように配慮しなければなりません。

出典として明記する情報源はWikipedia:信頼できる情報源に定められた基準に適合するものを選択しましょう。新たに出典を示す段階でより入手の容易な情報源を選択することや、同一の記述に複数の出典を設定することが検証可能性や中立的な観点の維持や向上に結び付くことがあります。同等の内容の複数の出典の表示が過度に多数に及ぶような場合や記述の対象が検証の容易な周知の事実である場合には、出典の表示も記述内容に見合った規模になるよう出典の精選を検討するといった配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。列挙された多すぎる出典をやむを得ず除去するときにも、見た目だけで判断せず文献を実際に読んで、記述の検証可能性や中立的な観点を低下させることがないということを確認した上で慎重に行うべきです。信頼できる情報源にあたって出典が設定される過程には相当の努力が払われていることを尊重しなければなりません。

また、個々の記述に出典を設定しそれを編集する際には、記述の内容が出典の内容と明示的に付合する状態になるようにし、出典にはない意図を取り込むことによって独自研究に陥ることのないようにしてください。

お手数をおかけし申し訳ありませんが、ご検討をお願いいたします。--W-run会話2013年8月28日 (水) 07:15 (UTC)--W-run会話) 2013年8月28日 (水) 07:44 (UTC)--W-run会話) 2013年8月28日 (水) 07:45 (UTC)。 細部の修正を繰り返すことになってしまい、一括して御提示できなかったことをお詫び申し上げます。--W-run会話2013年8月28日 (水) 08:01 (UTC)

だいぶ時間が経ってしまっているのですが、1点気になることがあります。「新たに出典を示す段階でより入手の容易な情報源を選択することや」で入手性に言及していますが、これ要りますか?
  • 入手性に言及した部分と、次の読点の後に続いている内容は論理的に全く結びつきがありません。むしろ、安易に入手性を重要視させると、NPOVやen:Wikipedia:Masking the lack of notability(特筆性の無いものを有るかのように偽装する)という行為に結びつきえます。
  • 過去の井戸端のトピックであったと記憶するのですが(今のところ探し出せていません…)、絶版になっている出版物だから、近隣の図書館で手に入らないから(!)、国会図書館へ行かないと閲覧できないから(!!)そういう文献は検証可能性ではないとかいうトンデモ意見を持ち出した御仁がいて、いうまでもなくいわゆるフルボッコで退散したということがあったかと。言い方は悪いのですが、文書を整備するのであれば、バカに刃物を与えないように最低限の注意は払いたいと思うのです(入手性が悪くても主題と関連して必ず取り上げられなければならない文献というのも世にはあります)。
というわけなので「より入手の容易な情報源を選択することや」という部分はまるごと取り除くべきと考えました。--ikedat76会話2013年9月2日 (月) 17:12 (UTC)
我々が共通認識として持っておかねばならぬことは、この文書は主に初心者が参照すると言うことです(Ikedat76氏の言葉を借りれば、そもそもバカ相手に書いていると言う訳です。ですがバカバカと言っていてはちょっとjawpの品性的にアレですので、私は「小中学生も参加している」と言い換えましょう)。中堅以上だのFA/GA執筆者だのはこんな文書、参照するまでもない。明らかですね。その点、Ikedat76氏のご意見には説得力があります。ですが、複数の同等の出典を並べること = 入手の容易性がうp、これは良く使われる手だろう → だから1文節に出典が多くついていても軽々に除去すべきじゃない、と言うのがここまでの共通認識な訳で、この文書は元もと、そんなことも解らない小中学生が軽々な出典の除去を行った事例が発端となっており、今後その様な事例が起こるコトを防止するためのものです。ですから、ばっさり除去してしまってもいけない。それじゃあ、どうバランスを取るか。どうすればこのTOPIC本来の懸念と、Ikedat76氏の懸念を同時に払拭できる文章となるか。具体的に見てみたいので、もしお時間があれば、Ikedat76氏にリライトして頂きたいです(ばっさり除去した結果の想像が、氏の意図した通りとの保証がなく、ちょっとコメントしにくい状態なのです)。なんなら小中学生向けと割り切って、迂遠な文体ではなく、どストレートで書いてしまってもいいのかもしれませんね・・・。相手には「常識で考えればわかるだろう」は通用しないと思わねばなりません。相手は初心の方や、小中学生なのですから。--Hman会話2013年9月2日 (月) 17:32 (UTC)

Hmanさんご指摘の点も踏まえて、第2段落のみリライトしてみます。リライトした範囲に下線を引きます。

出典として明記する情報源はWikipedia:信頼できる情報源に定められた基準に適合するものを選択しましょう。新たに出典を示す段階で、同一の記述に複数の出典を設定することが検証可能性や中立的な観点の維持や向上に結び付くことがあります。同等の内容の複数の出典を追加する場合には、読者の参考になりやすいように入手の容易な情報源を選択することも検討してみることもよいかもしれません。同等の内容の複数の出典が過度に多数に及ぶような場合や記述の対象が検証の容易な周知の事実である場合には、出典の表示も記述内容に見合った規模になるよう出典の精選を検討するといった配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。列挙された多すぎる出典をやむを得ず除去するときにも、見た目だけで判断せず文献を実際に読んで、記述の検証可能性や中立的な観点を低下させることがないということを確認した上で慎重に行うべきです。信頼できる情報源にあたって出典が設定される過程には相当の努力が払われていることを尊重しなければなりません。

単純除去ではなく、論理的なつながりのない書き方をやめることに力点を置くことにしました。--ikedat76会話2013年9月2日 (月) 18:24 (UTC)

コメント まずこの文書の性格について。Hmanさんの仰るように基本的には初歩段階で参照され以後編集を重ねるとともに理解されてしかるべきはずで私もそう思うのですが、現実には今回の提案理由がそうであるようにメンテナンス名目で行われた検証可能性を低下させる行為への対応という観点も汲んでいただけるとうれしいです。というのも各方面の記事で現在も出典の新たな要求が行われていますが、そのような状況で現存する出典の表示の保護という観点が軽視されているのではないかという事後的編集に対して憂慮しています。出典の表示の恣意的な排除の問題について検討していますが、方針やガイドラインに従って適切に明記されている出典の表示の保護が有効に行われないままに他方では出典の要求が続けられているという状態は全く理解不能です。いったいどういう状態を目指しているのかとため息が出ます。方針やガイドラインにそって適切に明記した出典の表示が簡単に消されるような事態が横行すれば新たに出典にあたるといった気にならなくなるのは当然であり真摯な参加者を遠ざける結果になるだけで極めて悪影響です。そういう意味で今回の追加案は「方針やガイドラインに従って出典が明記されている状態の保護」という観点も含まれており有意義なものと考えています。前回の提案では、「選択」という文言が事後的・恣意的な取捨選択を認めるというような解釈のないよう「新たに出典を示す段階」の文言を加えました。また、前回の提案での「同一の記述に複数の出典を設定することが検証可能性や中立的な観点の維持や向上に結び付くことがあります。」という文章なのですが、「現存する出典の表示の保護」に対する懸念からいうと「同一の記述に複数の出典を設定されていることによって検証可能性や中立的な観点の維持や向上に結び付いていることがあります。」という文言にしたかったのですが調整が難しくやめました。ikedat76さんの案に賛成です。--W-run会話2013年9月3日 (火) 00:23 (UTC)

  • コメント 先ずは私のリクエストにお応え頂けました点、Ikedat76氏に深く感謝申し上げます。お考えが、良く把握できました。(1).検証容易性を向上させるため複数の文献を並べることはありえる(行っても良い)。(2).その文節・段落の内容を担保するため複数の脚注を並べる事が有る(行っても良い)。(3).よって知識の無い人や小中学生は、ただ多いからと現物の検証もなく出典の除去に手を出してはいけない。以上の事は伝わる内容であると思います(本当に小中学生程度向けにするなら今私が行った様に箇条書きも用いるべきですが、それを言い出すと文書全体をリライトしないと、ですからね。細かいところでは
出典として明記する情報源はWikipedia:信頼できる情報源に定められた基準に適合するものを選択しましょう。 は、
出典として明記する情報源は必ずWikipedia:信頼できる情報源に定められた基準に適合するものを選択しましょう。
とすることで、刃物を一つ取りあげることができると思います。W-run氏にもご賛同頂いていますし、T6n8氏、大和屋敷氏におかれましてもももし大方の面で問題がない、とお考えであれば、この方向で詰めていく感じでよろしそうな気がします。なお、コメント依頼提出は8/25に行って頂いておりますので、順調に進むのであれば2週間後となる大体9/9が目処となります予定です。もし反対意見・代替意見をお持ちの方は、その時期までにご表明頂きませんと、話がややこしくなりますので、ツッコミをお急ぎ頂く様、をお願い申し上げます。--Hman会話2013年9月3日 (火) 08:54 (UTC)

コメント Hmanさんから御指摘がありましたように遵守なのか推奨なのか要求されているレベルがわかりにくい部分が他にもあるようにもみられ、文章の流れの配慮もあるので細部を調整してみました。

以上のように出典を明記することには、検証可能性中立的な観点を確保するとともに、読者がさらに深く調べる際の参考に資するという重要な目的があります。出典の表示を新たに設定したり後に編集を加える際には検証可能性や中立的な観点が維持・向上されるようにしなければなりません。

出典として明記する情報源には必ずWikipedia:信頼できる情報源に定められた基準に適合するものを選択しましょう。新たに出典を示す段階で、同一の記述に複数の出典を設定することが検証可能性や中立的な観点の維持や向上に結び付くことがあります。同等の内容の複数の出典を追加する場合には、読者の参考になりやすいように入手の容易な情報源を選択することも検討してみることもよいかもしれません。同等の内容の複数の出典が過度に多数に及ぶような場合や記述の対象が検証の容易な周知の事実である場合には、出典の表示も記述内容に見合った規模になるよう出典の精選を検討するといった配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。列挙された多すぎる出典をやむを得ず除去するときにも、見た目だけで判断せず文献を実際に読んで、記述の検証可能性や中立的な観点を低下させることがないということを確認した上で慎重に行うべきです。信頼できる情報源にあたって出典が設定される過程には相当の努力が払われていることを尊重しなければなりません。

また、個々の記述に出典を設定したり既に出典の表示されている箇所を編集する際には、著作権を遵守しつつ、その記述が出典の内容によって明示的に裏付けられる状態になるようにし、出典にはない意図を取り込むことによって独自研究に陥ることのないようにしてください。

第1段落ですがWP:VWP:NPOVは遵守すべきであり「配慮」をやめました。また、第3段落の「付合」がWP:DCPSとの関係などで誤った解釈をされるおそれがあるのでやめました。御意見をお願い致します。--W-run会話2013年9月3日 (火) 10:01 (UTC)

コメント Hmanさん、合意形成の判断時期についてですが、コメント依頼から2週間を確保すると同時に最終提案からも少なくとも1週間は確保できればと思いますので宜しくお願いいたします。なお、WP:REFの実効性を阻害し悪影響を及ぼす動向に対して改めて対応が必要とみられる場合には再度提議を行うことを同時に確認したいと思います。皆さんから有益な御提言をいただいており深く感謝いたします。--W-run会話2013年9月3日 (火) 18:51 (UTC)
賛成 W-runさんの 2013年9月3日 (火) 10:01 (UTC) の文面に賛成します。実は私、cite系のテンプレをようやく使いこなせるようになったかな...というレベルの執筆者ですが、脚注を付け過ぎだと怒られたことがありますので(もっとも、そのユーザーは逆に全然出典を付けない人なのですが)、なるべく1箇所につき3個以内にするようにしていますが、最近はほぼ句読点毎に付けています(逆にそうしないと不安)。複数の脚注を付ける場合、「複数のソースで微妙に違うことを言ってるので、何が正しいかは読者が判断して下さい」とか、「ほら、立場の異なる複数の人が同じことを言ってるでしょ」とか、同じソースをref nameで使いまわしてるとかいう場合があるので、出典の除去には本当に慎重になってもらいたいと、私も強く望みます。ところで、配慮が足りない削除をするユーザーの中にはたぶん、方針・ガイドラインの類をあまり読まないか、または当該ガイドラインがどこに書いてあるかわからないという人たちもいるでしょうから、そういうユーザーにとってわかりやすい場所にあり、かつ「これをきちんと読まなきゃいけない」とわかってもらうための啓蒙活動も同時に必要なんじゃないかと思います。(これからウィキブレイクに入りますので、ともかく賛成票を先に入れさせてもらいます。) --Nandaro会話2013年9月3日 (火) 20:16 (UTC)
W-run氏の文案については重々査読の上で、後日コメントさせて頂きたいと思います(勿論その骨子になんら問題がないことは、言うまでもありません。ツッコミがあり得るにしても細かい内容になるでしょう)。Nandaro氏、それは災難でしたね。何かツッコんでくる利用者、多いですが、そのツッコミが誤っている、WPのルール的には論外・イチャモンと言って良い場合も当然あり得ます(私も何度理不尽な中傷を受けたことか)。句読点ごとに出典を付けるのは、私の経験上、実はかなり正解に近いです。昔昔に私の書いた記事に辻 (那覇市)と言うものがございまして、これは「辻について本を読めば誰にでもわかることはGeneralReferenceで、ピンポイントで文献を特定せねばならぬものはInlineで、というコンセプトでしたが、明らかに誤りでした。どの情報がどの文献の何ページに載っているのかの紐付けが凄まじく曖昧で、沖縄県立図書館にアクセスできる方以外による検証は極めて困難です(何十冊も仕入れなければいけない!・・・検証可能ですが、全く容易ではない!)。心底後悔しています。当時私はアクセスできましたが、現在はアクセスできません。書いた本人さえ修正できない!最悪です。よって結局私も割と最近の、三式戦闘機如意ヶ嶽乳房再建利用者:Hman/Bf110の様に、ほとんど句読点ごとに打つ事に落ち着いています。私は将来的にはGeneralは原則非推奨としてInlineを強く推奨するかたちに各種文書を改めるべきであると考えて居ます。そもそもGeneralだとデタラメを加筆されてもただちに察知することができないのです。なお、その様な啓蒙活動については現在、Wikipedia:井戸端#速報に関する措置についてでも、若干の話題となっております。実際の改善は時期を改めて、となると思いますが、何かお知恵がございましたら、是非お言葉添えを。以上、脱線・お目汚し失礼致しました。--Hman会話2013年9月3日 (火) 20:34 (UTC)
Hmanさん、いろいろお心遣い頂き恐縮です。1つ言い忘れたのですが、「一応、日本語の資料があるけど、それの元になったとされる英語資料を見ないと正確な事情把握がしにくい」という場合に両方付けることがあります。例えば洋画・海外ドラマ関連ですと、日本語版ニュースは「米国『EW』誌によると、ああだこうだ」という感じで英語版からの受け売りが多く、しかも一部だけ抜き出して書いてあるので、きちんとした説明を書こうと思ったら、その『EW』誌の元記事を探して実際に読む必要があり(今はたいていWebで見つかります)、読者に大局的な理解を促すためにも、やはり最低2つ(日本語+英語)の出典を併記することになります。そういう場合、仮に「日本語だけで十分だろう」と判断されて英語版出典を削除されると困ったことになります。--Nandaro会話2013年9月3日 (火) 22:08 (UTC)
はい、そのケースにおきましても、全く氏の仰る通りです。原典も同時に示せればそれに越したことはありません!大体、現代日本で「現役世代」に分類される分別有る大人であれば、英語文献の入手も読解も全く問題はないのですから。それで確かに[2][3]など、見た目数バイト増え若干は読み難くなり、かつその脚注の中身の何十バイトも増えるのですが、検証可能性の確保に比べれば些細なコストです。私の例にしても氏のご提示の例にしても、それで検証可能性・容易性がめたくそになってしまっては、これはもう記事破壊と申し上げてよろしい。今回の事に限りませんが、こういった、相応に記事執筆・方針の精神を把握しなければ不適切とわかりにくい行為を文書として明文化して禁止しておく事は非常に効果的です。そうしておかないと、先方も「どこにやっちゃいけないって書いてあるんだよ!」と、ごねるのです(明文化しておけば内部リンクを示して「熟読してください」で済みます。いちいち各人に方針の精神からの説明を・・・述べ何十年、何千人に対して・・・行うのは、ばかげています)。今後ともこう言ったケースについて今回の様に禁止或いは許可の改めての明記が求められるケースが有るかもしれませんが、必要なことです。もしその時お時間がございましたら、議論への参加の程、よろしくご検討下さい。--Hman会話2013年9月4日 (水) 08:53 (UTC)

コメント 出典の表示の恣意的削除の最大の問題点は出典の充実に努めている参加者を遠ざけてしまうことではないかと考えます。私は記事を拝見することが中心なのですが、今回のような事案は出典の充実に向けて貢献している方を失望させる問題行為であり、実際にこのような問題行為がきっかけで各方面での執筆から退いてしまった方もいるのではと心配しています。ガイドラインは内容として執筆時を中心に組み立てたものが多いですが、事後的な管理にも目を向けないと目的を達成できないものがほとんどです。WP:REFにある「内容に問題がないか確認できる」「読者がさらに調べるときの参考になる」「著作権・著作隣接権の遵守」の観点も同様で、執筆時だけ守られていても、整理やメンテナンスという名目で恣意的に削除されたりすると目的が達成できません。こういう問題行為があるとメンテナンス行為に対する信頼を一気に低下させます。ひとまず今回の追加に一定の効果があればと考えますが、Hmanさんの仰るようにWP:REFの実効性を阻害しWP:Vの維持などに悪影響を及ぼしているとみられる行為が横行するような場合には対応を検討する必要があると思います。--W-run会話2013年9月5日 (木) 03:44 (UTC)

コメント依頼から2週間以上にわたって議論が進められてきましたが、2013年9月10日 (火) 10:01 (UTC)に最終の提案後7日間が経過致します。ガイドラインであることや議論のこれまでの推移などを考慮し、合意形成のための期間を最終の提案から10日間としますので、ここ3日間、特にご意見が無いようでしたら最終案で合意が形成されたものと判断し反映させたいと思いますので宜しくお願い致します。--W-run会話2013年9月9日 (月) 17:29 (UTC)
賛成 当方には全く異議はございません。文面の端々については、将来的に改められていくこともあるかもしれませんが、それはその時に考えましょう。--Hman会話2013年9月9日 (月) 18:06 (UTC)
賛成 遅ればせながら賛成いたします。節のタイトルはもうちょっと何とかと思ったのですが、適当な代案を思いつきませんでした。これで進めましょう。--ikedat76会話2013年9月10日 (火) 12:47 (UTC)
節のタイトルについてはWP:Vの「他の原則との兼ね合い」という節のタイトルを参考にしました。追加案の文書は三大方針との兼ね合いを示しつつ全体を総括的にまとめるような形式・内容となっており、他のガイドラインとの関係を見ながら今後の内容の展開などに合わせつつ調整が図られればと考えている次第です。--W-run会話2013年9月11日 (水) 00:15 (UTC)

報告 コメント依頼から2週間以上にわたって議論が進められましたが、議論の過程で全く反対意見は出されませんでした。議論を経て取りまとめた最終案の提示から7日間が経過するにあたり、先日、最終案での合意形成の判断時期について念のため最終案の提示から10日間とすることを再確認していましたが、この間、最終案に対しては賛成意見のみでしたので合意が形成されたものと判断して反映させました。皆さんから御意見をいただき最終的に合意形成できたことを感謝しております。ありがとうございます。--W-run会話2013年9月13日 (金) 13:09 (UTC)

大変お疲れさまでございました。これでさし当たり無思慮な出典除去を行う輩に対して、誰でも(弁が立つ人・口喧嘩の強い人ばかりじゃないのです!)方針文書を示し、記事の破壊を防ぐ為の警告が行える様になりました。同時に「つけすぎ」にも一定の配慮を求められる様になりました。WPの各種方針全体から見れば細かな部分でしょうが、確実に前進であるかと、存じます。問題はどうにかしなけりゃならないコトが、恐らくあと300件くらいは山積されていること、なのですが(苦笑)。--Hman会話2013年9月13日 (金) 14:29 (UTC)

ありがとうございます。当初の基本的な流れの構想としては、出典を新規に設定する場合出典がない場合の対応は既に明確な規定が設けられていたので、今回の追加は出典が既にある場合の対応(既存の出典の表示の尊重)という場面での追加になると考えていたのですが、最終的には三大方針との関係という形になりました。Hmanさんが仰るように色々と残されている問題点もあるようですが、前にも述べましたが、一連の過程の特定の観点(出典の新規設定時・追加時)から光を当てるとガイドラインの核心部分(WP:REFの場合には「内容に問題がないか確認できる」「読者がさらに調べるときの参考になる」という機能)が見失われて今回のような事案が生じるのかなとも思いました。--W-run会話2013年9月14日 (土) 08:20 (UTC)