Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源
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歴史学分野において教科書を使用することの是非
[編集]少なくとも私の観測範囲である歴史学分野において、教科書を出典にすることに対して、一部のユーザーは忌避感があるようです。
確認ですが、Wikipedia:信頼できる情報源では「もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです。」とのガイドラインが示されており、むしろ教科書の利用は積極的に推進されるように思います。個人的にも教科書は概説書に該当するものであり、論文に書かれない前提を記すものであるので、必要なものであると強く考えています。
逆に、前掲の井戸端の議論では、Wikipediaの教科書化を懸念する声であったり、その断定的な表現を遠慮する意見を忌避する見解、国益による歴史観の偏りや専門的な見解を入手できないときの次善の策とするべきとの意見があるようです。
ここで歴史における教科書使用の是非の合意を取るべきではないしょうか?私としても、現状の制限を設けず教科書を推奨する記述は良くないと思いますので、以下のように提案します。
- ここで推奨する教科書は少なくとも
高校大学で用いられるものであること(暫定的、概説書として使える最低限度)。 - 主に導入など
基本的な情報いわゆる共有知の確認・研究史の説明に用いること(教科書は断定的な記述が多いため&「教科書化」対応)。 歴史教科書問題については、別個で議論し、推奨の如何を問うこと。大学以上とすることで不問に国益に基づく歴史観の偏りについては、3と同様他の書籍を参考にすることで最小限に抑えること。- なお4については主に日本史や世界史における日本の記述に限定されるものであり、世界史や関連教科では気にする必要は薄い。
- 教科書自体の意見を紹介したいときにはその限りではない。
いかがでしょうか。
草案
「偽の権威に注意」項の後半、専門知識を有する云々を削除し、新たに教科書の使用について、という項目を「分野ごとのアドバイス」内に設けることを想定します。
Wikipediaでは、歴史分野において教科書を使用することは推奨されません。出来得る限りより高度な出典を探すよう努めてください(基本的な考え方を参照)。それでも、時には教科書を出典に用いたいこともあるでしょう。そういった場合は、次に示す事項に従ってください。 まず、使用する教科書は少なくとも大学で用いられるものでなければなりません。中等教育で用いられる教科書は基本的に歴史分野で求められる概説書としての品質を満たしているとは言えないからです。次に、出典として使用する箇所は、導入部や概要などに限ってください。また、その際には共有知の確認に用いるようにしなければなりません。 ただ、教科書自体の意見ないし、教科書における記述の歴史などを紹介したい場合などはその限りではありません。
--デザート(会話) 2024年9月17日 (火) 09:39 (UTC)
コメント基本的には賛成です。そもそも教科書を推奨していることに以前より違和感を感じていました。
- 「もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです。」という文章は初版では英語版からの翻訳(英語版では現在その部分の文章は削除されています)で「もっとも評価できるのはその分野の教科書です。それらの著者たちは幅広く権威のある知識を持っています。一般的に、大学で使われる教科書は頻繁に改訂が行われ、権威を失わないように改良され続けています。しかし、高校や中学校の教科書は権威を保ち続けるような努力はされず、もっぱら政府の認可にのみ従っています。」と書いてあったのものがWikipedia‐ノート:信頼できる情報源/過去ログ2#「偽の権威に注意」の項目についての議論の結果「しかし、高校や中学校の教科書は権威を保ち続けるような努力はされず、もっぱら政府の認可にのみ従っています。」の文章が削られて現在の文章になっているようです。
- 私の意見としては「高校・中学」の教科書は推奨できない。大学の教科書は許容するが、より高度の出典を探す努力をすべきということです。
- 高校・中学の歴史教科書に関しましてはデザートさんがおっしゃられている歴史教科書問題についてももちろんですが、そもそも専門家にとって高校の教科書編纂は本業の研究の傍らに引き受ける仕事に過ぎないと思っています。私の偏見である可能性も高いですが。基本的に出典としては相応しくないと思います。
- ですので「大学以上の教科書」とすればデザートさんが懸念しておられる3・4・5の問題は解決するのではないでしょうか。--らりた(会話) 2024年9月17日 (火) 11:48 (UTC)
コメント (今よりハードルを上げるという)方向性としては賛成。
- そもそもガイドライン本文の「もっとも評価できるのはその分野の教科書」という表現は、翻訳によって持ち込まれたもので、「日本の検定済教科書」を限定的に指示しているわけではないでしょうね。
- 拡大解釈的というか、ある種の屁理屈になりますが、国の検定不合格でも教科書として書かれたものは教科書だ、と言い張ることも可能な感じもしますし。「教科書とはなんぞや」的な定義論争になると不毛ですし。
- まあ、「歴史分野」「教科書」とくると真っ先に、主に日本の近代史あたりで主義主張思想絡みの政治論争が始まってグダグダになるでしょうね。
- 「高校の教科書」と一口にいっても、おそらく「その高校の偏差値レベル」とかによって色々でしょうし、それをいうと「大学のテキスト」でも千差万別でしょうねえ。「高校の」とかの外形から限定していくのはなかなか悩ましい。
- 個人的見解どまりですが、少なくとも現状の「教科書推奨」の文言を改め、らりたさんと同じく「高校レベルの教科書はダメよ」ぐらいまで引き上げてよいと思います。
- 堂々巡り気味ですが、教科書じゃなくっても、歴史系の文献には「トンデモ」系から「思想的な左右の偏り」とかいろいろあるわけで、最終的には一件毎に検討を要するでしょうね。
- 2022年の井戸端にも書きましたけど、文脈次第の面もあり、「○○の教科書ではこうなっている」などの帰属化をすればOK、みたいなこともあるでしょう。「鎌倉幕府の成立を何年とするか問題」を書く時とかね。
- 歴史そのものの記述というよりは、研究史・学説史的な記述の文脈では、まあ教科書はアリという感じもします。--柒月例祭(会話) 2024年9月17日 (火) 14:34 (UTC)
- 変更してみました。いかがでしょうか。--デザート(会話) 2024年9月18日 (水) 00:23 (UTC)
返信 お返事遅れてすいません。基本方針として賛成です。教科書を出典として採用するにあたり「最低限大学の教科書」を「広く共有されている知識を記述するために」使う。「教科書自身の特別な意見を記述するために使う分にはこの限りではない。」ということですよね?そしてこの内容を本文中に反映させるうえでの具体的な文案をお願いします。どこにどのような文面で挿入するかを提示していただきたいと思います。--らりた(会話) 2024年9月29日 (日) 11:16 (UTC)
- 一応の文案です。
- こういった文章を書くのは初めてなのでご指摘あればお願いします。--デザート(会話) 2024年10月4日 (金) 10:39 (UTC)
- またまた返信が遅れて失礼しました。
- 文面について全体としては良いと思うのですが、「歴史教科書の断定的な表現が記述の信頼性を損なうという考えや、国益に基づく歴史観の偏りを懸念する声に基づくものです」という部分は削ったほうが良いかなと思います。上で述べたように「専門家にとって高校の教科書編纂は本業の研究の傍らに引き受ける仕事に過ぎない」ということと関連して、大学の教科書であっても専門家が自分自身が文責をもって書く論文・概説書からは一段下がるものであると私は考えておりり、断定的な記述だから駄目と主張したいわけではありません。また国益云々はあまり相応しくない表現と考えます。そういうことを考えて執筆している専門家もいるかもしれませんが。
- あと「教科書自体の意見ないしはその研究史を紹介する場合などはその限りではありません」の後の例示としての鎌倉幕府開始時期や長篠鉄砲論争はあまり例示としては良くないかも知れません。例示を削った方が良いかと思います。
- この部分を「教科書自体の意見ないし、教科書における記述の歴史などを紹介したい場合などはその限りではありません」
- などと変えたほうが良いように思います。
- 以上が現時点での私の意見となります。よろしくお願いします。--らりた(会話) 2024年10月16日 (水) 11:47 (UTC)
- またまた返信が遅れて失礼しました。
- 返信遅れて大変申し訳ありません。
- らりたさんのご意見を元に文言を削りました。--デザート(会話) 2024年11月8日 (金) 14:22 (UTC)
- またしても御返事が遅れて申し訳ありません。現在の文案で概ね異論はありません。反映されてもよろしいかと考えます。--らりた(会話) 2024年11月20日 (水) 13:01 (UTC)
賛成 改訂された草案(2024-11-08T14:20:23 (UTC)の版)への差し替えに賛成します。日本における高校までの「教科書」を排して、大学で用いられる教科書/textbookを〈Wikipedia:信頼できる情報源〉として明示するご提案、適切だと思いました。 (なお、日本語の「教科書」と、英語版が言及している「textbook」は指示内容がズレているように感じます。また、同じ日本でも「大学レベルの教科書」と言った時にイメージするものが、たとえば歴史学系と数学や物理学ではまったく異なっているようにも思います。)--Yumoriy(会話) 2024年11月20日 (水) 15:22 (UTC)
コメント 草案の冒頭部に「Wikipediaでは、歴史分野において学校教科書を使用することは推奨されません。」と「学校」を補うと、排したいのが高校までの日本のいわゆる“検定済み教科書”である旨の改訂意図がより明確になるのかな、と思いました。ご参考までに。--Yumoriy(会話) 2024年11月21日 (木) 05:43 (UTC)
2021年7月24日 (土) 04:20時点における編集を戻します
[編集]- 標記時点の編集[1]について、「概要部の重なり」の整理として編集してあるようですが、ここに移動させてしまうと重要な誤読が発生してしまいますので元に戻します。すなわち信頼できる情報源として参照すべきでない情報は「wikipedianの意見」だけではなく、「wikipedianが独自に調査した事実」も含まれるからです。外部リンクですがこちらも参照してください[2]。2021年7月24日 (土) 04:20編集では、冒頭に移動させたことで、参照してはいけないのはあたかも「意見だけ」のように誤読できます。元のガイドラインには文脈があり、新聞報道などをむやみに「事実」として記述してはいけない、事実認定には信頼できる情報による裏付けが必要である、事実をもとに独自の意見を書くな、という流れですのでこの配置は重要です。2021年7月24日 (土) 04:20編集については、とくにノートでも議論された形跡がありませんので、仮にこの編集を保持しておきたい方がおられるようでしたら、改めてノートで提案してみてください。--大和屋敷(会話) 2025年1月6日 (月) 22:16 (UTC)
日本語以外の言語で書かれた情報源の文面改定を提案します
[編集]【改定案】
日本語以外の言語で書かれた情報源
出典としての使用
日本語版ウィキペディアでは、日本語以外の信頼できる情報源を出典とすることが認められています。しかしながら日本語版ウィキペディアは日本語の読者を想定しています。よって、検証可能であり、かつ同等の品質と関連性があるときには、日本語以外の情報源よりも日本語の情報源を使用することが望まれます(例:日本語の新聞と外国語の新聞が同じ内容を報道しているとき、日本語の新聞を出典として使用する)。なお、日本語以外の情報源の内容について議論が生じた場合、編集者は原文の引用を、記事のノートなどで求めることができます(Template:Request quotationを参照)。
引用と翻訳
日本語以外の信頼できる情報源を(本文でも脚注でも)引用する場合には、原文とともに日本語の翻訳文を記載すべきです。信頼できる情報源が行った翻訳は、ウィキペディアンが行った翻訳よりも優先されます。なお、機械翻訳の出力文をそのまま載せてはいけません(Wikipedia:翻訳のガイドライン#機械翻訳を参照)。また、引用の際には、日本語であるか否かに関わらず著作権を侵害しないよう注意してください(Wikipedia:ガイドブック_著作権に注意#引用の問題を参照)。
【提案理由】 記事品質の向上に寄与するなら外国語文献も活用すべきと考えますが、現ガイドラインは「これはウィキペディア日本語版なので、わたしたちの読者に便利なように、日本語の情報源はできるだけ提供されるべきであり、外国語の情報源より常に優先して使われるべきです(同じ品質と信頼性だと仮定しています)。」のように、あたかも外国語文献の使用を制限するような表現となっており、外国語文献も出典として広く使われている現状との乖離が感じられます。また、文章がこなれていない印象があります。
そこで、2006年時点の英語版en:Wikipedia:Reliable sourcesが基ととなっている現ガイドラインを、現在の英語版の本事項に対応する記述(en:Wikipedia:Verifiability#Non-English_sources)に則した文面に変更することを提案します。
具体的な変更点は以下の通りです。
- 冒頭に「日本語以外の信頼できる情報源が出典として認められていること」を明記<追加>
- 日本語文献を優先するトーンを緩和する(英語版ではmustやshouldではなく、prefer。"However, because this project is in English, English-language sources are preferred over non-English ones when they are available and of equal quality and relevance.")
- 外国語文献の内容に疑問がある際は原文の引用を求めることができる<追加>
- 外国語文献を引用する場合は、日本語の翻訳文を載せる<追加>
- 引用時の機械翻訳は禁止(機械翻訳が許容されている英語版と異なる)<追加>
- ショートカットWP:NONJPNの新設
- 翻訳には誤りがつきものであり、翻訳検証の機会を持つべきという記述の除去(現英語版になし。本項目に限らず、他言語版記事からの翻訳全般にも言える話であり、ここに書く必要も無いでしょう)
--Iso10970(会話) 2025年2月14日 (金) 00:17 (UTC)
- 「日本語で記述された信頼できる情報源」と「外国語で記述された信頼できる情報源を匿名のwikiepdianが翻訳した記述」では前者を優先するのは当然なので反対いたします。前者と後者が意見として対立している場合に存在の事実を紹介する目的で、あるいは「日本語で記述された信頼できる情報源」がまったく発見できない場合には過渡的に後者が採用されることもあるでしょう。--大和屋敷(会話) 2025年2月14日 (金) 23:24 (UTC)
改定の趣旨には賛同しますが、改定案の細かい点でコメントがあります
- 「検証可能であり、かつ同等の品質と関連性があるときには、日本語以外の情報源よりも日本語の情報源を使用することが望まれます(例:日本語の新聞と外国語の新聞が同じ内容を報道しているとき、日本語の新聞を出典として使用する)」→ 「関連性」という語が指すところがあいまいです。またこれだと、内容・意見Aの日本語情報源と内容・意見Bの非日本語情報源が存在するとき、前者しか書けないというようにも読み取れます。つまり、出典の取捨選択の話だけでなく、内容面に対する規制になりかねない。内容面に対する規制まで踏み込むならば、それはWP:NPOVなどとも関連したもう少し複雑な判断になるでしょう。「共に検証可能な信頼できる情報源であり、なおかつ同等の内容であるときには、日本語以外の情報源よりも日本語の情報源を使用することが望まれます」のようにしたほうがよいと思います。
- 「日本語以外の情報源の内容について議論が生じた場合、編集者は原文の引用を、記事のノートなどで求めることができます(Template:Request quotationを参照)」 → 非日本語情報源を出典にしているという理由だけで、引用の掲示を安直に要求されたら迷惑です。引用を要求する側には、同じ主題を説明した他情報源には記載がなかった、出典としている非日本語情報源を一通り見たが記載が見当たらなかった、などを引用を要求する根拠を説明する義務を与えるようにお願いします。
- ショートカットのNONJPNはNon-Japaneseの略っぽいですが、本ガイドライン以外の文脈でも使われそうな言葉なので、NJRS = Non-Japanese Reliable Sources とかのほうが他と被りがなくてよいと思います。
--Yapparina(会話) 2025年2月15日 (土) 03:21 (UTC)
- 「外国語文献を引用する場合は、日本語の翻訳文を載せる」「引用時の機械翻訳は禁止」の追加についてですが、翻訳記事の場合、翻訳元の言語と出典に用いられている言語が異なることも少なくないように思います。こうした場合、両ルールは翻訳者の能力を超過するものとなりかねないように思います。--Nux-vomica 1007(会話) 2025年2月20日 (木) 07:28 (UTC)
コメント 全体としては、「日本語以外の言語で書かれた情報源」に書かれるべき事柄って、「Wikipedia:信頼できる情報源」に掲載するというよりは、「検証可能性」や「Wikipedia:翻訳のガイドライン」に書くべきことなんだろうな、と思います。
- (ほかの方もおっしゃるとおり)趣旨はわかるんですが、現実的な実効性や具体的な行動に落とし込むのは難易度高いですね。結局のところ、実際上の問題は「機械翻訳」の「乱造」タイプが中心的で、これに対して強い実効性をもつ対策を打つのはいいんですが、そういう利用者は顧みないだろうな、っていう。
- 翻訳記事における情報源の検証は、現実的にはかなり難易度が高いでしょう。ネット情報源ならともかく、紙の文献の場合には、ほとんど100%に近い確率で検証不可能でしょうねえ。
- 私自身は、自分の趣味興味の範囲で、翻訳記事に使用されている外国語文献をアマゾンで入手したりしましたけど、リアルマネーかかりますし、ふつうの感覚としてそこまでするかね、ってとこ。私はその分野に、Wikipedia内の活動を抜きにして、現実世界でも関心があるのでそこまでやりましたけど、多くの「粗雑な翻訳記事の量産」をするタイプの利用者がそこまでやるわけないし、「問題」のボリュームゾーンはそこだし。
- その手の翻訳記事にありがちな問題は、「(a)機械翻訳的」→「(b)文意がおかしい」「(c)専門的術語・用語の訳語の選択がおかしい」あたり。これに「(d)そもそも翻訳元で用いられている情報源が信頼できない」パターンも。(b)(c)あたりは、結局その分野の専門知識がないと「おかしな点があることに気づかない」となりがち。
- 情報源が日本語かどうかも、ケースバイケースでしょうね。たとえば「青森市の文化」みたいな場合にはそりゃまあ日本語情報源のほうが、質・量・アクセスの容易さは上でしょう。でも「スウェーデンの歴史」みたいな場合、日本語情報源があったとしても、スウェーデン語情報源のほうが質・量とも上なのがふつうでしょうから。
- そして「原文の引用」云々については、今でも「求める」こと自体はふつうにできるわけで、新たに「求めることができます」と明記したところで、実情としては何も変わらないでしょう。むしろ「原文の提示を求めたが、提示されない」場合にどうするのか、を定めないと。極論をいうと「原文提示を求めたが、提示されない場合、除去可能」、もう少し穏当だと「要検証」あたりを付すとか。なんですが、これも程度問題の面があり、いずれにしても「機械的にそればかりやる」系の新たな遊び場になる懸念も。--柒月例祭(会話) 2025年2月20日 (木) 08:43 (UTC)
遅くなりなりましたが、みなさんご意見ありがとうございました。私は歴史関係の記事を書くことが多いので外国語文献も参照しますが、外国語文献を使うかどうかというのはケースバイケースというのもよく理解できるところです。あと原文記載要求など英語版から取り入れてみたものの、人手も少ない日本語版の状況からみて、ご指摘の通り現実的ではないですね。
ところで調査不足で今更ながら気づいたのですが、Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源に本ガイドラインとほぼ重複した記述がありました。
Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源
- これはウィキペディア日本語版なので、わたしたちの読者に便利なように、日本語の情報源はできるだけ提供されるべきであり、外国語の情報源より常に優先して使われるべきです(同じ品質と信頼性だと仮定しています)。例えば、相当する記事が日本語の新聞にないような場合以外は、外国語の新聞を情報源として使ってはいけません。しかし外国語の情報源は、検証可能性や、日本語の情報源と同じ基準に従うという観点では受け入れられます。
- ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用すべきです。これは、情報源の資料が正しく使用されていることを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。
(同じ品質と信頼性だと仮定しています)といった留保なしに「常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用すべき」が日本語版の「方針」というのは驚きでしたが、仮に改定するのであれば、Wikipedia:検証可能性と本ガイドラインをセットで変えなければならないですね。微妙に表現が違う点の整合や、柒月例祭さんコメントにあるように、そもそもどこに書くべきかも含めて議論が必要なんでしょう。ちなみに、10年以上前にWikipedia‐ノート:検証可能性/Archive10#日本語の情報源と日本語以外の情報源について文章の変更の提案で同じような議論がされていました。
方針まで変えるとなると大がかりな議論になることから、一旦、本提案は取り下げることにします。--Iso10970(会話) 2025年2月22日 (土) 01:44 (UTC)