1997年の横浜ベイスターズ
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1997年の横浜ベイスターズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ2位 | |
72勝63敗 勝率.533[1] | |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県横浜市中区 |
球場 | 横浜スタジアム |
球団組織 | |
オーナー | 中部慶次郎 |
経営母体 | マルハ |
監督 | 大矢明彦 |
« 1996 1998 » |
1997年の横浜ベイスターズ(1997ねんのよこはまベイスターズ)では、1997年の横浜ベイスターズの動向をまとめる。
この年の横浜ベイスターズは、大矢明彦監督の2年目のシーズンである。
概要
[編集]大矢監督1年目を5位で終え、2年目に向けて巻き返しを図るチームは投手陣再建のため権藤博をチーフ投手コーチに招聘。投手部門を権藤が担当し、野手部門を弘田澄男ヘッドコーチが担当するなどコーチ陣を再編した横浜は5月まで不振だったものの、投手陣の再編や打線の活性化が噛み合い、6月以降の猛反撃で借金を返済。マシンガン打線とあだ名された強力打線を武器に前年とはうってかわって夏場以降快進撃を見せ、7月に13勝5敗、8月に20勝6敗の驚異的ペースで勝ち星を積み上げて優勝戦線に食い込んだものの天王山となるヤクルトスワローズとの2連戦の初戦となる9月2日、石井一久にノーヒットノーランを喫してしまい[2][3][4]、これをきっかけに失速したものの大洋時代の1979年以来18年ぶり、そして横浜ベイスターズとなって初の2位でシーズンを終える。チームはこの年2位で終わったものの、大矢監督はこの年限りで辞任し弘田ヘッドコーチも辞任した。大矢の後任には権藤チーフ投手コーチが昇格し、1998年の38年ぶり優勝へとつながることになる。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]選手名 | 年数 | 年齡 | ||
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1 | 遊 | 石井琢朗 | 9年目 | 26歳 |
2 | 中 | 波留敏夫 | 4年目 | 26歳 |
3 | 右 | セルビー | 1年目 | 26歳 |
4 | 二 | ローズ | 5年目 | 30歳 |
5 | 一 | 駒田徳広 | 17年目 | 34歳 |
6 | 三 | 進藤達哉 | 10年目 | 27歳 |
7 | 左 | 佐伯貴弘 | 5年目 | 26歳 |
8 | 捕 | 谷繁元信 | 9年目 | 26歳 |
9 | 投 | 盛田幸妃 | 10年目 | 27歳 |
※年数はNPB所属年数、年齡は開幕時
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- |
2位 | 広島 | 2.0 | 広島 | 3.0 | 広島 | 8.0 | 広島 | 9.5 | 横浜 | 3.5 | 横浜 | 11.0 |
3位 | 阪神 | 3.5 | 中日 | 4.5 | 阪神 | 10.5 | 横浜 | 10.0 | 広島 | 8.0 | 広島 | 17.0 |
4位 | 中日 | 4.5 | 阪神 | 5.0 | 中日 | 12.5 | 中日 | 12.0 | 阪神 | 15.5 | 巨人 | 20.0 |
5位 | 巨人 | 横浜 | 6.0 | 横浜 | 14.0 | 阪神 | 12.0 | 中日 | 17.5 | 阪神 | 21.0 | |
6位 | 横浜 | 6.5 | 巨人 | 8.5 | 巨人 | 15.0 | 巨人 | 16.5 | 巨人 | 18.5 | 中日 | 24.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 83 | 52 | 2 | .615 | 優勝 |
2位 | 横浜ベイスターズ | 72 | 63 | 0 | .533 | 11.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 66 | 69 | 0 | .489 | 17.0 |
4位 | 読売ジャイアンツ | 63 | 72 | 0 | .467 | 20.0 |
5位 | 阪神タイガース | 62 | 73 | 1 | .459 | 21.0 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 59 | 76 | 1 | .437 | 24.0 |
オールスターゲーム1997
[編集]→詳細は「1997年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
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できごと
[編集]選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
鈴木尚典 | 首位打者 | .335 | 初受賞 |
三浦大輔 | 最高勝率 | .769 | 初受賞 |
佐々木主浩 | 最優秀救援投手 | 41SP | 3年連続4度目 |
島田直也 | 最優秀中継ぎ投手 | 24.75RP | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
ローズ | 二塁手 | 2年ぶり3度目 |
石井琢朗 | 遊撃手 | 初受賞 |
鈴木尚典 | 外野手 | 初受賞 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
駒田徳広 | 一塁手 | 5年連続8度目 |
進藤達哉 | 三塁手 | 初受賞 |
ドラフト
[編集]→詳細は「1997年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | 守備 | 所属 | 結果 |
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1位 | 谷口邦幸 | 投手 | 町野高 | 入団 |
2位 | 新沼慎二 | 捕手 | 仙台育英学園高 | 入団 |
3位 | 関屋智義 | 投手 | 愛知高 | 入団 |
4位 | 田中充 | 外野手 | 西京商業高 | 入団 |
5位 | 宮内洋 | 内野手 | 元住友金属 | 入団 |
出典
[編集]- ^ “年度別成績 1997年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年9月22日閲覧。
- ^ 【復刻】石井一が横浜戦で無安打無得点
- ^ 【9月2日】1997年(平9) 最後がMAX!石井一久、優勝引き寄せたノーヒットノーラン
- ^ 横浜旋風を止めたツバメの左腕【1997年9月2日】 - 野球:週刊ベースボールONLINE
- ^ “プロ野球10万号まであと「4」本 メモリアル弾には賞金100万円”. スポーツニッポン. 2017年9月29日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | ヤクルトスワローズ | 2位 | 横浜ベイスターズ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | オリックス・ブルーウェーブ |
3位 | 広島東洋カープ | 4位 | 読売ジャイアンツ | 3位 | 近鉄バファローズ | 4位 | 日本ハムファイターズ |
5位 | 阪神タイガース | 6位 | 中日ドラゴンズ | 4位 | 福岡ダイエーホークス | 6位 | 千葉ロッテマリーンズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||