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1983年の横浜大洋ホエールズ(1983ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1983年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
1983年の横浜大洋ホエールズは、関根潤三監督の2年目のシーズンである。
関根監督2年目、前年の5位から巻き返しをはかるチームはロッテのレオン・リーや阪神の加藤博一を交換トレードで獲得。さらに大リーガーのジム・トレーシーを加入させるなど、打線の強化を図った。投手陣ではエースの遠藤一彦・平松政次・金沢次男を軸に、守護神には斉藤明夫が控えるなど層が厚く、Aクラスに予想する解説者もいた。しかし、チームは巨人と広島の首位争いに割って入れず、6月以降阪神や中日などとAクラスを争った。5月まで借金生活のチームは6月に5連勝、8月に4連勝するなど徐々に借金を減らしていき9月にヤクルト、10月に中日がそれぞれ脱落すると阪神とのAクラス争いとなったが最終的に引き分けの多い大洋が阪神を0.5ゲーム差で振り切り、4年ぶりにAクラス入りを果たした。投手陣はエース遠藤が18勝で最多勝を獲得し、2年目の金沢が10勝、200勝達成の平松も8勝を記録して先発陣が活躍し、斉藤も22セーブと守護神としてそれなりの成績を収めるも、中継ぎ陣が弱くチーム防御率4.52で最下位。打撃陣ではレオン・トレーシーの外国人コンビのほか、前年首位打者の長崎慶一やこの年レギュラー定着の高木豊や屋鋪要、4番の田代富雄もそれなりの成績を残し、チーム打率.272はリーグ3位と健闘した。正捕手は、辻恭彦、高浦美佐緒、加藤俊夫の併用となり、8月以降は途中入団の若菜嘉晴も加わり、固定出来ずにシーズンを終えた。
1983年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
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広島 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
阪神 |
3.5
|
広島 |
8.0
|
広島 |
5.0
|
巨人 |
0.5
|
広島 |
6.0
|
広島 |
7.5
|
広島 |
6.0
|
3位
|
中日 |
5.0
|
阪神 |
12.5
|
ヤクルト |
12.5
|
ヤクルト |
11.5
|
中日 |
12.5
|
大洋 |
15.0
|
大洋 |
11.0
|
4位
|
広島 |
5.5
|
ヤクルト |
13.0
|
中日 |
14.0
|
大洋 |
12.5
|
大洋 |
13.0
|
中日
|
阪神 |
11.5
|
5位
|
ヤクルト
|
大洋 |
16.0
|
大洋 |
14.0
|
阪神
|
阪神 |
14.0
|
阪神 |
15.5
|
中日 |
18.5
|
6位
|
大洋 |
7.5
|
中日 |
16.5
|
阪神 |
14.5
|
中日 |
14.0
|
ヤクルト |
14.5
|
ヤクルト |
19.0
|
ヤクルト |
19.0
|
[1]
- 斉藤明夫
- 高木豊
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[2]
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |