1974年南アフリカグランプリ
レース詳細 | |||
---|---|---|---|
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日程 | 1974年シーズン第3戦 | ||
決勝開催日 | 3月30日 | ||
開催地 |
キャラミ![]() | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 4.104 km (2.550 mi) | ||
レース距離 | 78周 320.112 km (198.908 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ)[1] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | |||
タイム | 1:16.58 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー |
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タイム | 1:18.16(58周目)[W 1] | ||
決勝順位 | |||
優勝 |
| ||
2位 | |||
3位 |
1974年南アフリカグランプリ (英: 1974 South African Grand Prix、正式名称: XX Lucky Strike Grand Prix of South Africa) は、1974年のF1世界選手権第3戦として、1974年3月30日にキャラミで開催された。
概要
[編集]カルロス・ロイテマンが初勝利を挙げた。アルゼンチン人ドライバーとしては1957年ドイツグランプリのファン・マヌエル・ファンジオ以来17年ぶりの勝利であり、ブラバムにとっては1970年南アフリカグランプリ(ジャック・ブラバム)以来4年ぶりの勝利であった。
背景
[編集]前年10月の第四次中東戦争に端を発したオイルショックの影響で、南アフリカはアラブ諸国から石油配給を拒否された[2]。この煽りを受ける形で国内のモータースポーツが全て中止に追い込まれた[W 2]ことで本GPの開催も危ぶまれたが[3]、キャラミサーキットを保有しレースの主催者でもあるアレックス・ブリノー[注 1]らの当局への働きかけにより、レース開催にこぎつけた[W 2][4]。
レース前
[編集]非選手権レース
[編集]前戦ブラジルGPから2ヶ月のブランクがあり、その間に2つの非選手権レースが開催された[W 3]。
ブラジルGPから1週間後の2月3日、新設されたブラジリア・サーキットで開催されたプレジデンテ・メディチ・グランプリは、マクラーレンのエマーソン・フィッティパルディが優勝した[5]。
3月17日にブランズ・ハッチで開催されたレース・オブ・チャンピオンズは、このレースから投入されたヘスケス初のオリジナルF1マシン308を駆るジェームス・ハントがポールポジションを獲得し、ロータスのジャッキー・イクスが雨の中で行われたレースを制した[6]。
ピーター・レブソンの死
[編集]本GPの開催1週間前にキャラミでテスト走行が行われ、その最中であった3月22日にシャドウのピーター・レブソンがターン2の「バーベキューベンド」でサスペンションの故障に見舞われ[W 3]、ガードレールにクラッシュして亡くなった[7]。レブソンがクラッシュした地点には3重の金網が急遽設置された[8]。
エントリー
[編集]ドライバー
[編集]シャドウはピーター・レブソンの事故死により本GPを撤退した[W 3]。ウィリアムズ(イソ・マールボロ)は2台目のドライバーとしてデンマーク出身のF5000ドライバーであるトム・ベルソを起用した[W 3][9]。マーチはイタリアの工具メーカー「ベータ (Beta)」がスポンサーに付いたことにより、ハウデン・ガンレイに代わって36歳の新人ヴィットリオ・ブランビラを起用した[W 4][W 3][9](ガンレイはマキに移籍した[10])。
この年も南アフリカのローカルドライバーが追加でエントリーされた。スクリバンテ・ラッキーストライク・レーシングからデイヴ・チャールトンがマクラーレン・M23で[11]、チーム・ガンストンからイアン・シェクター(ジョディー・シェクターの兄)とパディ・ドライバーがロータス・72Eで[11]、前述したアレックス・ブリノー率いるブリノー・エンバシー・レーシングSAはエディ・ケイザンがティレル・004(ブリノーが保有[W 2])をそれぞれ走らせる[11]。
新車の投入
[編集]ロータスは72に代わる新車として、4ペダルと電磁クラッチの新機構を備えた76[11][注 2]を投入した[W 4]。BRMはP142エンジンの進化版P200エンジンが搭載されたP201を1台投入し、エースのジャン=ピエール・ベルトワーズに与えた[W 4]。ヘスケスは初の自製マシン308を持ち込んだ[W 3]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
[編集]当初は水曜日と木曜日の2日間で予選を行い、金曜日は休養日としていたが、ピーター・レブソンの事故死による安全対策と大雨の影響により水曜日のセッションは行われず、木曜日の1日と金曜日の午後に行われた[8]。
ニキ・ラウダが初のポールポジションを獲得した[W 3]。グッドイヤータイヤが高温多湿のコンディションに合わず[12]、ファイアストンタイヤを使うカルロス・パーチェ(サーティース)が2番手[12]、同じくアルトゥーロ・メルツァリオ(イソ・マールボロ)が3番手[9]と、カルロス・ロイテマン、エマーソン・フィッティパルディ、クレイ・レガツォーニといった有力ドライバーを抑える大健闘を見せた[W 3]。新車76を投入したロータスのロニー・ピーターソンはマシントラブルが多発していいところがなく、スペアカーの72Eで出したタイム(1分17秒46)を上回れず[9][1][注 3]、16番手に沈んだ[W 3]。
予選結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 12 | ![]() |
フェラーリ | 1:16.58 | - | 1 |
2 | 18 | ![]() |
サーティース–フォード | 1:16.63 | +0.05 | 2 |
3 | 20 | ![]() |
イソ・マールボロ–フォード | 1:16.79 | +0.21 | 3 |
4 | 7 | ![]() |
ブラバム–フォード | 1:16.80 | +0.22 | 4 |
5 | 5 | ![]() |
マクラーレン–フォード | 1:16.82 | +0.24 | 5 |
6 | 11 | ![]() |
フェラーリ | 1:16.85 | +0.27 | 6 |
7 | 9 | ![]() |
マーチ–フォード | 1:16.98 | +0.40 | 7 |
8 | 3 | ![]() |
ティレル–フォード | 1:16.99 | +0.41 | 8 |
9 | 6 | ![]() |
マクラーレン–フォード | 1:17.11 | +0.53 | 9 |
10 | 2 | ![]() |
ロータス–フォード | 1:17.18 | +0.60 | 10 |
11 | 14 | ![]() |
BRM | 1:17.34 | +0.76 | 11 |
12 | 33 | ![]() |
マクラーレン–フォード | 1:17.34 | +0.76 | 12 |
13 | 24 | ![]() |
ヘスケス–フォード | 1:17.41 | +0.83 | 13 |
14 | 28 | ![]() |
ブラバム–フォード | 1:17.61 | +1.03 | 14 |
15 | 4 | ![]() |
ティレル–フォード | 1:17.75 | +1.17 | 15 |
16 | 1 | ![]() |
ロータス–フォード | 1:18.00 1 | +1.42 | 16 |
17 | 19 | ![]() |
サーティース–フォード | 1:18.23 | +1.65 | 17 |
18 | 26 | ![]() |
ローラ–フォード | 1:18.25 | +1.67 | 18 |
19 | 10 | ![]() |
マーチ–フォード | 1:18.29 | +1.71 | 19 |
20 | 23 | ![]() |
マクラーレン–フォード | 1:18.37 | +1.79 | 20 |
21 | 15 | ![]() |
BRM | 1:18.39 | +1.81 | 21 |
22 | 29 | ![]() |
ロータス–フォード | 1:18.56 | +1.98 | 22 |
23 | 8 | ![]() |
ブラバム–フォード | 1:18.60 | +2.02 | 23 |
24 | 32 | ![]() |
ティレル–フォード | 1:19.00 | +2.42 | 24 |
25 | 37 | ![]() |
BRM | 1:19.14 | +2.56 | 25 |
26 | 30 | ![]() |
ロータス–フォード | 1:19.49 | +2.91 | 26 |
27 | 21 | ![]() |
イソ・マールボロ–フォード | 1:19.80 | +3.22 | 27 |
出典: [W 7][W 8] |
- 追記
決勝
[編集](特記のない出典: [13])
スタートはポールポジションからスタートしたニキ・ラウダが先頭で、スタートでもたついたカルロス・パーチェを抜いたカルロス・ロイテマン、そしてイソ・マールボロのアルトゥーロ・メルツァリオがラウダに続く。新車ロータス・76を駆るロニー・ピーターソンはスロットルが開いたままになり、大きく蛇行してしまう。ピーターソンはマシンを止めようとしたがスピンしてしまい、同じロータス・76を駆るチームメイトのジャッキー・イクスと接触してしまう。2台ともピットインしてコースに復帰したが、ピーターソンはマシンのダメージが大きく3周目でリタイアした。
10周目、ロイテマンがラウダを抜いて首位に立つ。ロイテマンのハイペースについていけるのはラウダのみで、両者1秒以内の差をキープしながらレースは続いていく。母国グランプリを迎えたジョディー・シェクターはジェームス・ハントと激しい4位争いを繰り広げたが、13周目にハントが等速ジョイントを破損してリタイアした。ヘスケス・308のデビューレースはリタイアに終わったが、壊れたパーツはマーチ製であった。シェクターもレース中盤にリアタイヤがバイブレーションを起こして後退していった。そして31周目にイクスがリタイアし、ロータス・76は2台ともリタイアと最悪のデビューレースとなってしまった。前評判の良くなかったBRMのジャン=ピエール・ベルトワーズは徐々に順位を上げ、デニス・ハルムに続き44周目にはティレル勢を抜いて入賞圏内の6位に浮上し、58周目にはエマーソン・フィッティパルディも抜いていった。続いてヤードレーカラーを纏う3台目のマクラーレンを走らせるマイク・ヘイルウッドにも迫っていき、2台ともその前方にいたクレイ・レガツォーニとの差を縮めていき、64周目にベルトワーズがヘイルウッドも抜いた[W 4]。レガツォーニは油圧低下により、66周目の最終コーナーでマシンを止めた。
ロイテマンは順調に首位を走行し、ずっとその後方を走っていたラウダも首位浮上を諦め2位確保に移ろうとしたが、ラウダのフェラーリ・312B3も油圧が低下してしまい、エンジンがミスファイアを起こして万事休す。ロイテマンはF1キャリア3年目で初優勝を挙げ、アルゼンチン人ドライバーにとっては1957年ドイツグランプリのファン・マヌエル・ファンジオ以来17年ぶりの勝利であり[W 4]、ブラバムチームにとっても1970年南アフリカグランプリでジャック・ブラバムが勝って以来4年ぶりの勝利(バーニー・エクレストンがオーナーとなってからは初勝利)であった。
ラウダに代わって2位となったのはベルトワーズで、BRMにとっては1972年モナコグランプリでベルトワーズが優勝して以来2年ぶりの表彰台を獲得した[注 4]。3位のヘイルウッドはF1キャリア2度目の表彰台を得た[注 5]。パトリック・デパイユが4位で、5位のハンス=ヨアヒム・スタックは初入賞を果たし、アルトゥーロ・メルツァリオが6位に入賞した[W 4]。
レース結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 7 | ![]() |
ブラバム-フォード | 78 | 1:42:40.96 | 4 | 9 |
2 | 14 | ![]() |
BRM | 78 | +33.94 | 11 | 6 |
3 | 33 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 78 | +42.16 | 12 | 4 |
4 | 4 | ![]() |
ティレル-フォード | 78 | +44.19 | 15 | 3 |
5 | 9 | ![]() |
マーチ-フォード | 78 | +46.23 | 7 | 2 |
6 | 20 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 78 | +56.04 | 3 | 1 |
7 | 5 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 78 | +1:08.39 | 5 | |
8 | 3 | ![]() |
ティレル-フォード | 78 | +1:10.54 | 8 | |
9 | 6 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 77 | +1 Lap | 9 | |
10 | 10 | ![]() |
マーチ-フォード | 77 | +1 Lap | 19 | |
11 | 18 | ![]() |
サーティース-フォード | 77 | +1 Lap | 2 | |
12 | 26 | ![]() |
ローラ-フォード | 77 | +1 Lap | 18 | |
13 | 29 | ![]() |
ロータス-フォード | 76 | +2 Laps | 22 | |
14 | 32 | ![]() |
ティレル-フォード | 76 | +2 Laps | 24 | |
15 | 37 | ![]() |
BRM | 75 | +3 Laps | 25 | |
16 | 12 | ![]() |
フェラーリ | 74 | イグニッション | 1 | |
17 | 8 | ![]() |
ブラバム-フォード | 74 | +4 Laps | 23 | |
18 | 15 | ![]() |
BRM | 72 | +6 Laps | 21 | |
19 | 23 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 71 | +7 Laps | 20 | |
Ret | 11 | ![]() |
フェラーリ | 65 | 油圧 | 6 | |
Ret | 28 | ![]() |
ブラバム-フォード | 54 | 燃料システム | 13 | |
Ret | 2 | ![]() |
ロータス-フォード | 31 | ブレーキ | 10 | |
Ret | 24 | ![]() |
ヘスケス-フォード | 13 | トランスミッション | 14 | |
Ret | 19 | ![]() |
サーティース-フォード | 11 | サスペンション | 17 | |
Ret | 30 | ![]() |
ロータス-フォード | 6 | クラッチ | 26 | |
Ret | 1 | ![]() |
ロータス-フォード | 2 | 接触 | 16 | |
Ret | 21 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 0 | クラッチ | 27 | |
出典: [W 9] |
- 勝者カルロス・ロイテマンの平均速度[W 6]
- カルロス・ロイテマン - 1:18.16(58周目)
- ニキ・ラウダ - 9周 (1-9)
- カルロス・ロイテマン - 69周 (10-78)
主な記録
[編集](特記のない出典: [W 4])
- ドライバー
- 初勝利 / 初ファステストラップ: カルロス・ロイテマン(28戦目[W 11])
- 初ポールポジション: ニキ・ラウダ(30戦目[W 12])
- 最終表彰台: ジャン=ピエール・ベルトワーズ(8回目)、マイク・ヘイルウッド(2回目)
- 初完走 / 初入賞: ハンス=ヨアヒム・スタック(3戦目)[W 13]
- 初エントリー / 初出走 / 初完走: ヴィットリオ・ブランビラ[W 14]
- 50回目の出走: ロニー・ピーターソン
- 100回目の出走: デニス・ハルム
- コンストラクター
- エンジン
- 最終表彰台: BRM(65回目)
第3戦終了時点のランキング
[編集]
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|
- 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現役ドライバーだった時代、1965年の南アフリカGPにエントリーしたが出場しなかった。引退後はチームオーナーとなり、前年の南アフリカGPと本GPにエントリーしている(後述)。
- ^ 当時の文献ではタイプ名を「JPSマーク1 (John Player Special Mk.I)」、シャシー名を「JPS9(ロニー・ピーターソン用)」、「JPS10(ジャッキー・イクス用)」と呼んでいた。
- ^ 決勝は76でスタートするため、72Eで出したタイムは無効となる。
- ^ なお、これがベルトワーズ及びBRMにとって最後の表彰台となった。
- ^ ヘイルウッドもこれが最後の表彰台となった。
出典
[編集]- 書籍
- ^ a b c (林信次 1993, p. 126)
- ^ (AUTOSPORT 138, p. 64)
- ^ (AUTOSPORT 138, p. 61)
- ^ (AUTOSPORT 144, p. 20)
- ^ (AUTOSPORT 139, p. 24)
- ^ (AUTOSPORT 143, pp. 11–17)
- ^ (林信次 1993, p. 82)
- ^ a b (AUTOSPORT 144, pp. 20–21)
- ^ a b c d (AUTOSPORT 144, p. 23)
- ^ (AUTOSPORT 143b, p. 61)
- ^ a b c d (林信次 1993, p. 86)
- ^ a b (AUTOSPORT 144, p. 21)
- ^ (AUTOSPORT 144, pp. 23–25)
- ウェブサイト
- ^ a b “South Africa 1974 - Best laps” (英語). STATS F1. 2024年3月31日閲覧。
- ^ a b c “1974 South African Grand Prix”. MOTOR SPORT. 2024年3月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “South African GP, 1974” (英語). grandprix.com. 2024年3月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g “South Africa 1974” (フランス語). STATS F1. 2024年3月30日閲覧。
- ^ “South Africa 1974 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2024年3月31日閲覧。
- ^ a b c “South Africa 1974 - Result” (英語). STATS F1. 2024年3月31日閲覧。
- ^ “South Africa 1974 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2024年4月1日閲覧。
- ^ “South Africa 1974 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2024年4月1日閲覧。
- ^ “1974 South African Grand Prix” (英語). formula1.com. 18 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “South Africa 1974 - Laps led” (英語). STATS F1. 2025年3月3日閲覧。
- ^ “戦績:C.ロイテマン”. F1 DataWeb. 2025年3月3日閲覧。
- ^ “戦績:N.ラウダ”. F1 DataWeb. 2025年3月3日閲覧。
- ^ “戦績:H.J.シュトゥック”. F1 DataWeb. 2025年3月3日閲覧。
- ^ “戦績:V.ブランビラ”. F1 DataWeb. 2025年3月3日閲覧。
- ^ a b “FIA Formula One World Championship 1974 South African Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2024年4月2日閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1974 South African Grand Prix(2024年2月12日 8:57:07(UTC))
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ISBN 4-938495-05-8。
- 青山学「南アフリカ・グランプリ」『AUTO SPORT No.144 1974年6月1日号』、三栄書房、1974年、19-25頁。
- 「World Wide Research 石油危機その後 '74年国際レース界、パワーオン!!」『AUTO SPORT No.138 1974年3月15日号』、三栄書房、1974年、58-71頁。
- 「ノン・チャンピオンシップF-1レース」『AUTO SPORT No.139 1974年4月1日号』、三栄書房、1974年、24頁。
- Jeff Hutchinson「レース・オブ・チャンピオンズ」『AUTO SPORT No.143 1974年4月15日号』、三栄書房、1974年、11-17頁。
- 「MAKI・F-1、グッドウッドで初テスト!」『AUTO SPORT No.143 1974年4月15日号』、三栄書房、1974年、61頁。
外部リンク
[編集]- South Africa 1974 - STATS F1(レースレポートのみフランス語。他は英語)
- South African GP, 1974 - grandprix.com(英語)
- 1974年第3戦南アフリカグランプリの結果 - F1 DataWeb
前戦 1974年ブラジルグランプリ |
FIA F1世界選手権 1974年シーズン |
次戦 1974年スペイングランプリ |
前回開催 1973年南アフリカグランプリ |
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次回開催 1975年南アフリカグランプリ |