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1952年の近鉄パールス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1952年の近鉄パールス
成績
パシフィック・リーグ7位
30勝78敗 勝率.278[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 藤井寺球場(デーゲーム)
大阪球場(ナイター)
球団組織
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
監督 藤田省三(9月16日まで)
芥田武夫(9月24日から)
« 1951
1953 »

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1952年の近鉄パールスでは、1952年の近鉄パールスの動向をまとめる。

この年の近鉄パールスは、藤田省三監督の3年目のシーズンである。

概要

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藤田監督就任3年目のチームはこの年こそ最下位脱出が期待されたが、開幕ダッシュに失敗すると球団ワーストの13連敗を喫するなどで最下位を独走。シーズン終了前、藤田監督に代わって親会社の近鉄本社が資本参加していた朝日放送の野球解説者だった芥田武夫を新監督に招聘。しかし同根球団の南海の2連覇を許したどころか、6位の東急に19.5ゲームも離されるぶっちぎりの最下位でシーズンを終えた。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 坂本茂
2 田川豊
3 加藤春雄
4 森下重好
5 鬼頭政一
6 山本静雄
7 根本陸夫
8 奥田元
9 沢藤光郎
1952年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 予選終了時 最終成績
1位 毎日 -- 毎日 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 --
2位 大映 1.0 大映 3.0 大映 4.0 毎日 3.5 毎日 5.5 毎日 1.0
3位 南海 2.0 南海 4.0 毎日 4.5 西鉄 6.5 西鉄 9.0 西鉄 8.5
4位 東急 4.0 東急 6.5 西鉄 6.0 大映 8.0 大映 18.0 大映 21.0
5位 西鉄 5.0 阪急 8.5 阪急 9.0 阪急 8.5 阪急 21.0 予選敗退
6位 阪急 6.5 西鉄 9.5 東急 12.5 東急 13.0 東急 21.5
7位 近鉄 9.5 近鉄 17.5 近鉄 23.5 近鉄 27.5 近鉄 40.5
  • 各108試合の予選リーグ後、上位4チームでの決勝リーグ(4試合ずつの総当り)を行い、最終順位を決定
1952年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 南海ホークス 76 44 1 .633 優勝
2位 毎日オリオンズ 75 45 0 .625 1.0
3位 西鉄ライオンズ 67 52 1 .563 8.5
4位 大映スターズ 55 65 1 .4583 21.0
5位 阪急ブレーブス 49 58 1 .4579 20.5
6位 東急フライヤーズ 49 59 0 .454 21.0
7位 近鉄パールス 30 78 0 .278 40.0

*1-4位は予選リーグ(108試合)と決勝リーグ(12試合)の通算勝率、5位以下は予選リーグの勝率順で決定 [1]

オールスターゲーム1952

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ファン投票 選出なし
監督推薦 選出なし

できごと

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選手・スタッフ

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[2]

表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし

脚注

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出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1952年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月6日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138