1932年の政治
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1932年の政治(1932ねんのせいじ)では、1932年(昭和7年)の政治分野に関する出来事について記述する。
できごと
[編集]- 1月3日 - 関東軍、錦州を占領。一部兵力は山海関にまで侵入。
- 1月6日 - 社会民衆党党大会で、反ファシズム、反共産主義、反資本主義の3反綱領決定。
- 1月7日 - ヘンリー・スチムソン米国務長官、不承認主義声明(スチムソン・ドクトリン)発表。日本政府および関東軍を牽制。
- 1月8日
- 1月9日
- 1月18日 - 上海日本人僧侶襲撃事件。
- 1月19日 - 三友實業社襲撃事件。
- 1月21日 - 衆議院解散。
- 1月28日 - 上海で日中両軍が軍事衝突。第一次上海事変勃発。
- 2月5日 - 関東軍、ハルビンを占領。
- 2月9日 - 井上準之助民政党幹事長(前蔵相)、血盟団員の小沼正に暗殺される(血盟団事件)。
- 2月20日 - 第18回衆議院議員総選挙。
- 2月29日 - リットン調査団、日本に到着。
- 3月1日 - 満州国建国宣言。執政に愛新覚羅溥儀。
- 3月5日 - 團琢磨三井合名会社理事長、三井銀行本店の玄関前で血盟団員の菱沼五郎に暗殺される(血盟団事件)。
- 3月11日 - 血盟団の井上日召が自首。
- 3月16日 - 中橋徳五郎内相、病気のため辞任。犬養首相が兼務。
- 3月18日 - 第61議会召集。
- 3月20日 - 第61臨時議会開院式。
- 3月25日
- 第61臨時議会閉院式。
- 内務大臣に鈴木喜三郎。
- 3月31日 - 古賀清志海軍中尉と中村義雄海軍中尉が犬養首相らの襲撃・暗殺に関する第一次実行計画を作成。
- 4月13日 - 独、ナチス党突撃隊、親衛隊を禁止する大統領命令。
- 4月23日 - 独、各州で地方選挙実施。ナチス党はバイエルン州を除き、全ての州議会で第一党に躍進[3]。
- 4月23日 - クルト・フォン・シュライヒャー将軍、ヒトラーと秘密会談。
- 4月29日 - 上海天長節爆弾事件。白川義則上海派遣軍司令官、植田謙吉第9師団長、野村吉三郎第3艦隊司令長官、重光葵上海公使らが重傷(5月26日白川大将死去)。
- 5月5日 - 上海停戦協定調印。
- 5月6日 - 仏大統領ポール・ドゥメール暗殺事件(7日死去)。
- 5月10日 - アルベール・ルブランが仏大統領に就任。
- 5月13日 - 独、ヴィルヘルム・グレーナー将軍が国防相を辞任。兼摂していた内相職には留まる。
- 5月15日 - 五・一五事件。犬養毅首相が首相官邸を襲撃した海軍青年将校らに暗殺される。
- 5月16日 - 高橋是清蔵相が内閣総理大臣を臨時兼任。
- 5月17日 - 鈴木喜三郎が立憲政友会総裁に選出される。
- 5月26日 - 犬養内閣総辞職。斎藤内閣成立。
- 5月29日
- 5月30日 - 独ハインリヒ・ブリューニング首相辞任。ブリューニング内閣総辞職[4][5]。
- 6月1日 - パウル・フォン・ヒンデンブルク独大統領、フランツ・フォン・パーペンを首相に任命する[9]。
- 6月3日 - クルト・フォン・シュライヒャー国防相、ヒトラーと会談し協力を要請。ヒトラーは拒否。
- 6月4日 - ドイツ国会(ライヒスターク)解散。
- 6月15日 - ボリビアがパラグアイに宣戦布告。チャコ戦争勃発。
- 6月24日 - シャム王国(タイ王国)でクーデター(立憲革命)が起こり、立憲君主制に移行。
- 7月5日 - ポルトガルでアントニオ・サラザール内閣成立。
- 7月20日 - 独パーペン内閣、プロイセンの社会民主党を大統領緊急命令で転覆(プロイセン・クーデター)。
- 7月25日 - ソ連・ポーランド不可侵条約調印。
- 7月31日 - 1932年7月ドイツ国会選挙。ナチス党が230議席を獲得し第一党となる[10]。
- 8月5日 - クルト・フォン・シュライヒャー国防相、ヒトラーと会談し副首相としてパーペン内閣への入閣を要請。ヒトラーは拒否[11][12][13]。
- 8月13日 - ヒトラー、パーペン首相、ヒンデンブルク大統領と相次いで会談。副首相として入閣を求められるが、拒否。
- 8月22日 - 第63臨時議会召集。
- 11月6日 - 1932年11月ドイツ国会選挙。ナチス党は第一党を維持するが196議席に後退[14][15][16][17]。 共産党が11議席増の100議席を獲得。
- 11月8日 - 米大統領選挙で民主党フランクリン・ルーズベルトが現職ハーバート・フーヴァーを破り当選。
- 11月12日 - 東京地裁判事尾崎陞らを共産党シンパとして検挙(司法官赤化事件)。
- 11月17日 - パーペン首相辞任。
- 11月29日 - 仏ソ不可侵条約調印。
- 12月2日 - ヒンデンブルク大統領、クルト・フォン・シュライヒャー将軍を首相に任命[18]。
- 12月3日 - シュライヒャーが首相に就任[18]。シュライヒャー首相、ナチス党組織全国指導者のグレゴール・シュトラッサーに副首相での入閣を要請。
- 12月4日 - テューリンゲン州議会選挙。ナチス党は前回選挙より40パーセント議席を減らす。
- 12月5日 - ベルリンのホテル・カイザーホーフでナチス党指導者会議開催。シュトラッサーは入閣を主張、ヒトラーと対立。
- 12月7日 - ヒトラー、シュトラッサーの行動を「党内分裂行動」「最終的勝利5分前で私の背中を刺す行為である」として弾劾。
- 12月8日 - シュトラッサー、党組織全国指導者など党の役職を辞任。
- 12月10日 - シャム国王が憲法を承認(立憲君主制へ移行)。
- 12月24日 - 第64通常議会召集。
脚注
[編集]- ^ 後藤 (2006)、239頁。
- ^ 後藤 (2006)、239~240頁。
- ^ 阿部、p.195
- ^ 林、p.179
- ^ 阿部、p.196
- ^ 阿部、p.197
- ^ アイク、p.189
- ^ フェスト、上巻p.435
- ^ 阿部、p.136
- ^ 阿部、p.200
- ^ フェスト、上巻p.438
- ^ モムゼン、p.416
- ^ 阿部、p.201
- ^ 阿部、p.205
- ^ トーランド、上巻p.313
- ^ フェスト、上巻p.447
- ^ モムゼン、p.436-437
- ^ a b 阿部、p.206
参考文献
[編集]- ジェフリー・プリダム (Geoffrey Pridham) 著、垂水節子・豊永泰子 訳『ヒトラー・権力への道:ナチズムとバイエルン1923-1933年』時事通信社、1975年。
- NHK"ドキュメント昭和"取材班編『ドキュメント 昭和 世界への登場 2 上海共同租界 事変前夜』角川書店、1986年5月5日。ISBN 4-13-026129-0。
- ハンス・モムゼン (Hans Mommsen) 著、関口宏道 訳『ヴァイマール共和国史―民主主義の崩壊とナチスの台頭』水声社、2001年。ISBN 978-4891764494。
- 阿部良男『ヒトラー全記録:1889-1945 20645日の軌跡』柏書房、2001年。ISBN 978-4760120581。
- 後藤春美『上海をめぐる日英関係 日英同盟後の協調と対抗 1923-1932年』東京大学出版会、2006年11月6日。ISBN 4-04-521602-2。