1884年の相撲
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1884年の相撲(1884ねんのすもう)は、1884年の相撲関係のできごとについて述べる。
天覧相撲
[編集]3月10日、芝浜離宮において、明治天皇による天覧相撲が執り行われた[1]。
興行
[編集]- 1月場所(東京相撲)[2]
- 興行場所:本所回向院
- 1月4日より晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[3]
- 興行場所:本所回向院
- 晴天10日間興行
- 9月場所(大阪相撲)[4]
- 興行場所:難波新地新金毘羅神宮
- 晴天10日間興行
- 11月場所(三都合併相撲)[5]
- 興行場所:京都
誕生
[編集]- 1月1日 - 小ノヶ嵜金藏(最高位:前頭5枚目、所属:熊ヶ谷部屋、+ 1967年【昭和42年】)[6]
- 1月20日 - 竜ヶ嵜枩太郎(最高位:小結、所属:阿武松部屋→出羽ノ海部屋、+ 1947年【昭和22年】)[7]
- 1月21日 - 千年川亀之助(最高位:小結、所属:立田山部屋、+ 1936年【昭和11年】)[8]
- 2月3日 - 加古川辰藏(最高位:大関(大阪相撲)、所属:小野川部屋、+ 1945年【昭和20年】)
- 2月4日 - 佐賀ノ海初太郎(最高位:前頭6枚目、所属:出羽ノ海部屋、+ 1937年【昭和12年】)[9]
- 8月3日 - 八甲山純司(最高位:前頭4枚目、所属:若松部屋→湊川部屋→高嶋部屋、+ 1951年【昭和26年】)[9]
- 10月25日 - 白梅文治郎(最高位:張出前頭(18枚目格)、所属:白玉部屋→峰崎部屋、+ 1936年【昭和11年】)[10]
- 11月1日 - 五十嵐敬之助(最高位:前頭4枚目、所属:勝ノ浦部屋、+ 1964年【昭和39年】)[11]
死去
[編集]- 8月14日 - 14代木村庄之助(立行司(現役没)、* 1826年【文政9年】)[12]
- 11月16日 - 雷電震右エ門(最高位:大関、所属:阿武松部屋→千賀ノ浦部屋、年寄:阿武松、* 1842年【天保13年】)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, pp. 69–70.
- ^ 酒井, pp. 67–68.
- ^ 酒井, pp. 71–72.
- ^ 酒井, pp. 72–73.
- ^ 酒井, p. 73.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 30頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 21頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 14頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 23頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 28頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 20頁
- ^ 「新庄之助誕生記念 木村庄之助代々土俵入り」『相撲』2014年1月号、ベースボール・マガジン社、91頁。
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。