1985年の相撲
表示
1985年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 |
競輪 |
1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 |
サッカー |
1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 |
自転車競技 |
1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 |
相撲 |
1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 |
日本競馬 |
1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 |
バスケットボール |
1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 |
バレーボール |
1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 |
野球 |
1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 |
■ヘルプ |
1985年の相撲(1985ねんのすもう)は、1985年の相撲関係のできごとについて述べる。
アマチュア
[編集]- 8月4日、わんぱく相撲全国大会が初開催。(前身となるわんぱく相撲東京場所と併催)[1]
大相撲
[編集]できごと
[編集]春日野理事長の意向で、力士のレコード発売やCM出演等の副業が原則的に禁止された。
- 1月、1月場所から両国国技館が開場。入場料値上げ。初日、昭和天皇観戦。3日目、横綱北の湖引退、一代年寄北の湖。8日目、当時の皇太子夫妻が観戦。
- 2月、大関若嶋津と歌手の高田みづえが婚約。
- 3月、寺尾新入幕。逆鉾との兄弟同時幕内入幕は1794年(寛政6年)11月谷風、達ヶ関以来191年ぶり2組目。元関脇富士櫻引退、年寄中村襲名。学生相撲の明治大学綛田、日本大学小林改め小林山幕下付出。
- 5月、春日野理事長還暦土俵入り。3日目、大潮が通算出場1655回とし、史上1位。7日目より琴風休場し、大関から陥落決定。8日目、昭和天皇観戦。テレビ朝日系列『OH!相撲』放送開始。
- 6月、アメリカ公演。
- 7月、7月場所14日目、青葉城が通算連続出場を1543回とし史上1位。場所後の番付編成会議で大乃国が大関昇進。
- 9月、9月場所8日目、昭和天皇観戦。元前頭2枚目琴若廃業。27日、若嶋津と高田みづえの結婚披露宴。
- 10月、9代三保ヶ関死去、65歳。立田山親方(元大関大内山)死去、59歳。
- 11月、元大関琴風引退、年寄尾車襲名。新年度からの給与、優勝賞金、褒賞金アップ決定。場所後の番付編成会議で北尾が大関昇進。デビッド・ジョーンズが園遊会出席(その際に、昭和天皇がパンアメリカン杯の存続に言及)。
- 12月、北の湖部屋独立、江東区清澄で部屋開き。
本場所
[編集]- 一月場所(両国国技館・13日~27日)
- 三月場所(大阪府立体育館・10日~24日)
- 五月場所(両国国技館・12日~26日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(14勝1敗,12回目)
- 殊勲賞-大乃国、敢闘賞-小錦、技能賞-花乃湖
- 十両優勝 : 寺尾節男(12勝3敗)
- 七月場所(愛知県体育館・7日~21日)
- 九月場所(両国国技館・8日~22日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(15戦全勝,13回目)
- 殊勲賞-北尾、敢闘賞-琴ヶ梅、技能賞-旭富士
- 十両優勝 : 薩洲洋康貴(10勝5敗)
- 十一月場所(福岡国際センター・10日~24日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(14勝1敗,14回目)
- 殊勲賞-北尾、敢闘賞-小錦、技能賞-保志
- 十両優勝 : 若瀬川泰二(10勝5敗)
- 年間最優秀力士賞(年間最多勝):千代の富士貢(80勝10敗)
誕生
[編集]- 3月10日 - 土佐豊祐哉(最高位:前頭筆頭、所属:時津風部屋、年寄:時津風)[2]
- 3月11日 - 白鵬翔(第69代横綱、所属:宮城野部屋、年寄:宮城野)[3][4]
- 4月30日 - 希善龍貴司(最高位:十両11枚目、所属:木瀬部屋→北の湖部屋→木瀬部屋)[5]
- 5月6日 - 誉富士歓之(最高位:前頭6枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋、年寄:楯山)[6]
- 6月7日 - 北勝国英明(最高位:十両6枚目、所属:八角部屋)[7]
- 7月18日 - 明瀬山光彦(最高位:前頭12枚目、所属:木瀬部屋→北の湖部屋→木瀬部屋、年寄:井筒)[8]
- 7月29日 - 隠岐の海歩(最高位:関脇、所属:八角部屋、年寄:君ヶ濱)[9]
- 8月10日 - 鶴竜力三郎(第71代横綱、所属:井筒部屋→陸奥部屋、年寄:音羽山)
- 10月14日 - 木村秀朗(十両格行司、所属:春日野部屋→千賀ノ浦部屋→常盤山部屋)
- 11月22日 - 出羽鳳太一(最高位:十両10枚目、所属:出羽海部屋)[10]
死去
[編集]- 1月4日 - 伊勢ノ濱寅之助(最高位:前頭6枚目、所属:根岸部屋→中立部屋→二子山部屋→出羽海部屋、* 1902年【明治35年】)[11]
- 1月26日 - 松ノ里直市(最高位:前頭3枚目、所属:出羽海部屋、* 1909年【明治42年】)[12]
- 5月13日 - 栃ノ峯甚一郎(最高位:十両8枚目、所属:春日野部屋、* 1907年【明治40年】)
- 7月7日 - 大浪妙博(最高位:前頭3枚目、所属:高島部屋、* 1908年【明治41年】)[13]
- 7月10日 - 高瀬山清(最高位:十両17枚目、所属:若松部屋→西岩部屋→若松部屋、世話人:宮坂、* 1930年【昭和5年】)
- 8月22日 - 國光鉄太郎(最高位:十両2枚目、所属:楯山部屋→伊勢ヶ濱部屋、* 1910年【明治43年】)
- 10月21日 - 増位山大志郎(最高位:大関、所属:三保ヶ関部屋→出羽海部屋、* 1919年【大正8年】)[14]
- 11月1日 - 大内山平吉(最高位:大関、所属:双葉山道場→時津風部屋、年寄:立田山、* 1926年【大正15年】)[15]
- 12月2日 - 大蛇川覚(最高位:十両4枚目、所属:二所ノ関部屋、* 1938年【昭和13年】)
作品
[編集]- 「どすこい!大五郎 高見山物語 ジェシーふり向かないで」(フジテレビ) - 2月7日放送のテレビドラマ。東関(元高見山)・朝潮が出演。
出典
[編集]- ^ わんぱく相撲の歴史公式HP
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 274頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 260頁
- ^ 「元横綱・白鵬が宮城野部屋を継承…日本相撲協会理事会」『スポーツ報知』2022年7月28日。2022年7月28日閲覧。
- ^ 「令和2年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2020年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、18頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 286頁
- ^ 北勝国 英明 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 293頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 275頁
- ^ 「平成29年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2017年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、36頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 70頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 93頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 79頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 98頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 121頁
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p88