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鳴門フェリー

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鳴門フェリー(なるとフェリー)は、かつて兵庫県淡路島南淡町(現在の南あわじ市)と徳島県鳴門市の間の鳴門海峡にあったフェリー航路

概要

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1954年(昭和29年)4月に徳島県の県営で航路開設。これは淡路島を通って四国阪神を結ぶトラック輸送の最短ルートとして、徳島県と兵庫県の両者が共同でそれぞれ開設した2航路の徳島側の航路である。就航船は若潮丸(両頭船、228トン、トラック10台積載、所要時間50分) [1] 。日本で最初の本格的なフェリーとも言われる [注 1]

日本道路公団が設立された1956年(昭和31年)4月からは国道28号海上国道公団鳴門フェリーとして運航された。その後、需要に応じて1958年(昭和33年)3月には若鳥丸(263トン)が、1961年(昭和36年)11月にはあさかぜ丸(276トン)が就航。

1961年(昭和36年)に洲本市岬町1963年(昭和38年)に北淡町(現在の淡路市)と明石市と、淡路島と阪神間に航路が増えると1日12便しかない徳島側は飽和してしまい、毎便のように積み残しが出るようになった。

1965年(昭和40年)4月に徳島側の輸送力増強のために民営の鳴門海峡フェリー(6km/20分)が阿那賀港と亀浦港間に開設されて、阿那賀港へのうずしおラインが開通すると、本航路の利用は次第に減少しはじめる。

1978年(昭和53年)6月に明岩フェリーへ事業譲渡され、9月に廃止された。

当時の運航区間

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その他

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1965年(昭和40年)1月、福徳フェリー(日本海洋開発株式会社)が福良港と徳島港の間で運航を開始(70分/8便)。この年の10月に淡路フェリーボートに譲渡。1966年7月に休止。1968年8月に廃止。

出典

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  1. ^ 日本で最初の自動車航送船は北九州市若戸渡船[2]1934年(昭和9年)3月に両頭型の貨物渡船『第八わかと丸』43.34トンが就航。航路600m。
  1. ^ 撫養港の「みなと文化」(PDF)”. (西田素康).財団法人 港湾空間高度化環境研究センター. 2010年11月30日閲覧。
  2. ^ 若戸航路のあゆみ > 設備と船舶”. 北九州市 産業経済局 渡船事業所. 2010年11月30日閲覧。