コンテンツにスキップ

高千穂町立田原小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高千穂町立田原小学校
地図北緯32度46分35.2秒 東経131度15分17.1秒 / 北緯32.776444度 東経131.254750度 / 32.776444; 131.254750座標: 北緯32度46分35.2秒 東経131度15分17.1秒 / 北緯32.776444度 東経131.254750度 / 32.776444; 131.254750
過去の名称 区立河内小学校
区立河内尋常小学校
区立河内尋常高等小学校
田原尋常高等小学校
田原村田原国民学校
田原村立田原小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 高千穂町
併合学校 高千穂町立五ヶ所小学校
設立年月日 1875年(明治8年)9月22日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B145244118050 ウィキデータを編集
所在地 882-1414
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字河内36番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

高千穂町立田原小学校(たかちほちょうりつ たばるしょうがっこう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字河内にある公立小学校

概要

[編集]
歴史
1875年明治8年)に「河内小学校」として創立。現校名となったのは1956年昭和31年)。2025年令和7年)に創立150周年を迎える。
校章
1948年(昭和23年)制定。銀杏の葉を背景にして、中央に「小」の文字を配している。
校歌
1948年(昭和23年)制定。作詞・作曲ともに佐藤圭一による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
通学区域
住所表記で「高千穂町」の後に以下が続く地域。
  • 大字河内(中西・河内・城山・奥鶴・馬場・下河内)」
  • 「大字田原(上田原・下田原・高岩)」
  • 大字五ケ所(五ケ所)」
中学校区は高千穂町立高千穂中学校[1]

沿革

[編集]
  • 1875年(明治8年)9月22日 - 「区立河内小学校」が創立。旧庄屋邸を校舎に代用。
  • 1882年(明治15年)- 夕塩分教場を設置。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「区立尋常河内小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行に伴い、西臼杵郡3村(五ケ所・河内・田原)合併で「田原村」が発足。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「区立河内尋常小学校」に改称。
  • 1900年(明治33年)[2]4月13日 - (村立)田原高等小学校を併設。新校舎が完成。
  • 1908年(明治41年)4月 - (村立)田原高等小学校が廃止される。区立河内高等小学校を設置の上、「区立河内尋常高等小学校」に改称。改正小学校令により、尋常科が4年制から6年制に改められる。これにより、従来の高等科1年を「尋常科5年」に、高等科2年を「尋常科6年」に、高等科3年を「高等科1年」に、高等科4年を「高等科2年」に改組。
  • 1909年(明治42年)3月 - 尋常小学校2校(田原・五ヶ所)を統合し、田原分教場・五ヶ所分教場を設置の上、「田原尋常高等小学校」と改称。夕塩分教場を廃止。
  • 1911年(明治44年)
    • 4月 - 校舎を改築し、3棟となる。
    • 6月 - 五ヶ所分教場が分離の上、「五ヶ所尋常小学校」として独立。
  • 1916年(大正5年)- 田原分教場が分離の上、「田原尋常小学校」として独立。
  • 1920年(大正9年)3月 - 夕塩分教場を設置(再)。
  • 1927年(昭和2年)3月31日 - 尋常小学校2校(田原・五ヶ所)を統合の上、それぞれ「田原分教場」・「五ヶ所分教場」とする。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、田原分教場を統合の上、「田原村田原国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。五ヶ所分教場が分離の上、「田原村五ヶ所国民学校」として独立。
  • 1942年(昭和17年)5月 - 校舎を改築の上、2階建て6教室とする。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科は新制小学校「田原村立田原小学校」に改組・改称。
    • 4月30日 - 国民学校高等科と青年学校普通科が統合の上、新制中学校田原村立田原中学校」となり、小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)- 校章と校歌を制定。
  • 1951年(昭和26年)- 木造2階建8教室が完成。
  • 1953年(昭和28年)4月 - 公立幼稚園として「ぎんなん幼稚園」が小学校内に開園。
  • 1956年(昭和31年)
    • 8月 - 旧校舎(7教室)を移築し、運動場を拡張。プールが完成。
    • 10月1日 - 町村合併(高千穂町・田原村・岩戸村)により、「高千穂町立田原小学校」(現校名)に改称。
  • 1962年(昭和37年)9月 - 田原中学校の移転により、校舎を幼稚園に転用(同年11月より使用)。
  • 1965年(昭和40年)
  • 1969年(昭和44年)3月 - 鉄筋コンクリート造校舎(管理棟1棟、2階建普通教室(8教室)等)が完成。
  • 1972年(昭和47年)2月 - 体育館講堂が完成。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1978年(昭和53年)11月 - ぎんなん幼稚園の新園舎が完成。
  • 1986年(昭和61年)
    • 2月 - 平屋建て西校舎(4教室)、給食室等が完成。
    • 3月 - 新校舎落成記念式典・祝賀会を挙行。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 高千穂町立ぎんなん幼稚園が閉園。
  • 2010年(平成22年)
    • 4月1日 - 高千穂町立五ヶ所小学校を統合。北校舎の耐震工事を完了。
    • 8月 - 運動場を整地。
  • 2011年(平成23年)8月 - 管理棟の耐震工事を完了。
  • 2012年(平成24年)9月 - 第1回小中合同運動会・体育大会を開催。
  • 2019年(平成31年)2月 - プールを補修。
  • 2021年(令和3年)
    • 4月1日 - 高千穂町立田原中学校の閉校により、中学校区が高千穂町立高千穂中学校に変更となる。
    • 6月 - 旧・田原中学校校舎への移転が協議され、移転しないことを決定・確認。
    • 9月 - 田原中学校の閉校により、9年ぶりに小学校単独での運動会を実施。
旧・五ヶ所小学校(ごかしょ)
旧・五ヶ所小学校 校舎
旧・五ヶ所小学校 体育館
旧・五ヶ所小学校 プール
旧・五ヶ所小学校 閉校記念碑
  • 1874年(明治7年)- 民家を校舎として、「五ヶ所小学校」が創立[3]
  • 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常五ヶ所小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行に伴い、西臼杵郡3村(五ケ所・河内・田原)合併で「田原村」が発足。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「五ヶ所尋常小学校」に改称。
  • 1906年(明治39年)- 最終所在地に校舎を新築して移転を完了。
  • 1909年(明治42年)3月 - 統合により、「田原尋常高等小学校 五ヶ所分教場」と改称。
  • 1911年(明治44年)6月 - 田原尋常小学校より分離の上、「五ヶ所尋常小学校」として独立。
  • 1927年(昭和2年)3月31日 - 統合により、「田原尋常高等小学校 五ヶ所分教場」となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、田原尋常高等小学校より分離の上、「田原村五ヶ所国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1943年(昭和18年)- 2教室を増築。高等科(2年制)を併置。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。この年、学校給食を開始。
    • 国民学校初等科は、新制小学校「田原村立五ヶ所小学校」に改組・改称。1教室を増築。
    • 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「田原村立田原中学校 五ヶ所分教場」に改組・改称され、小学校に併置される。
  • 1949年(昭和24年)8月31日 - 田原中学校五ヶ所分教場が「五ヶ所分校」となる。
  • 1952年(昭和27年)- 木造校舎(6教室)を改築。
  • 1956年(昭和31年)10月1日 - 町村合併(高千穂町・田原村・岩戸村)により、「高千穂町立五ヶ所小学校」(最終名)に改称。
  • 1957年(昭和32年)- 講堂兼へき地集会所が完成。

1966年(昭和41年)

交通

[編集]
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

[編集]

参考資料

[編集]
  • 「高千穂町史 本編」(高千穂町、1972年(昭和47年)3月30日発行)p.690~p.691(田原小学校)、p.691~p.692(五ヶ所小学校)

脚注

[編集]
  1. ^ 高千穂町立小・中学校の通学区域に関する規則 - 高千穂町ウェブサイト
  2. ^ 「高千穂町史 本編」(高千穂町、1972年(昭和47年)3月30日発行)p.690には1900年(明治33年)と記載されているが、学校ウェブサイト沿革では1905年(明治38年)と記載されている。
  3. ^ 「高千穂町史 本編」(高千穂町、1972年(昭和47年)3月30日発行)p.690

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]