風の歌を聴け
風の歌を聴け | ||
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著者 | 村上春樹 | |
イラスト | 佐々木マキ | |
発行日 | 1979年7月23日 | |
発行元 | 講談社 | |
ジャンル | 小説 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
形態 | 上製本 | |
ページ数 | 202 | |
コード | ISBN 4-06-116367-1 | |
ウィキポータル 文学 | ||
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『風の歌を聴け』 (かぜのうたをきけ) は、村上春樹が1979年に発表した1作目の長編小説。同年の群像新人文学賞受賞作品。1981年に大森一樹の監督で映画化された。
概要
[編集]1979年4月発表の第22回群像新人文学賞受賞を受けて、同年5月発売の『群像』6月号に掲載された。同年7月23日、講談社より単行本化された[1]。表紙の絵は佐々木マキ。本文挿絵は村上春樹自身が描いた[注 1]。1982年7月12日、講談社文庫として文庫化された[3]。2004年9月9日、文庫の新装版が出版された[4]。
群像新人文学賞応募時のタイトルは「ハッピー・バースデー/そして/ホワイト・クリスマス」だった[5][6]。最終候補に残ると、「群像」編集部の宮田昭宏は「発表するときに、どう表記したらいいのか戸惑うし、また、単行本にするときに、たとえば背表紙にどう入れたらいいのか困るだろう」と思ったという。そして村上に直接会いに行き、題名を変えてほしいと頼んだ[5]。村上は承諾し、ほどなく「風の歌を聴け」というタイトルを考えた。この言葉は、トルーマン・カポーティの短編小説 "Shut a Final Door" (「最後のドアを閉じろ」)の最後の一行「Think of nothing things, think of wind」から取られた[7][8]。なお単行本は、表紙の上部に「Birthday and White Christmas」という文字が小さく書かれた。「Happy」は縦書きのタイトルで隠れている[5]。
当時の村上と同じく1978年に29歳になった「僕」が、1970年8月8日から8月26日までの18日間の物語を記す、という形をとり、40の断章と、虚構を含むあとがき[注 2]から成る。「鼠三部作」の1作目[注 3]。
単行本が出た年の翌年の1980年、ソ連の雑誌『現代の外国文学』7・8月号に本作の書評が掲載された。書評者は女性の日本学者のガリーナ・ドゥトキナ。ドゥトキナは日本語を読めた。デレク・ハートフィールドが虚構の作家であることには気づかなかったが、村上を次のように高く評した。「『風の歌を聴け』という小説には、日本古来の憂いにみちた魅惑――<モノノアワレ>がある。(中略)村上が崇拝するハートフィールドとは違って、村上自身は自分の武器を誰にどのように向ければいいのか、きっと理解するだろう。そして、日本の現代文学においてしかるべき位置を占めるだろう」[9]
初期の長編2作は講談社英語文庫の英訳版(『Hear the Wind Sing』と『Pinball, 1973』)が存在していたが、村上自身が同2作を「自身が未熟な時代の作品」と評価していたため、長い間日本国外での英訳版の刊行は一切行われていなかった[10]。2015年8月4日にテッド・グーセンの新訳により、『1973年のピンボール』との合本でHarvill Seckerから出版された。また同日、オーディオブック版もRandom House Audioから発売された[11][12]。
執筆の背景
[編集]1978年4月1日、明治神宮野球場で行われたプロ野球開幕戦、ヤクルトスワローズ対広島東洋カープ戦を観戦していた村上は、試合中に突然小説を書くことを思い立ったという。それは1回裏、ヤクルトの先頭打者のデイブ・ヒルトンが二塁打を打った瞬間のことだった[13][14]。当時ジャズ喫茶を経営していた村上は、真夜中に1時間ずつ4か月間かけてこの小説を完成させた。村上にとってまったくの処女作である。
後のインタビューによれば、チャプター1の冒頭の文章(「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」)が書きたかっただけで、あとはそれを展開させただけだったと語っている。村上自身は小説の冒頭を大変気に入っており、小説を書くことの意味を見失った時この文章を思い出し勇気付けられるのだという[15]。また、最初はABCDEという順番で普通に書いたが面白くなかったので、シャッフルしてBDCAEという風に変え、さらにDとAを抜くと何か不思議な動きが出てきて面白くなったとも述べている[16]。妻の「つまらない」という感想に従って、頭から全体的に書き直している[17]。
村上は後年、本作について「『風の歌を聴け』という最初の小説を書いたとき、もしこの本を映画にするなら、タイトルバックに流れる音楽は『ムーンライト・セレナーデ』がいいだろうなとふと思ったことを覚えている。そこにはエアポケット的と言ってもいい、不思議に擬古的な空気がある。僕の頭の中で、その時代の神戸の風景はどこかしら『ムーンライト・セレナーデ』的なのだ」と語っている[18]。
表紙
[編集]村上が1960年代後半に『ガロ』に掲載された佐々木マキの漫画の愛読者だったことから、単行本の表紙は佐々木によって描かれた。原画の技法はモノタイプ(単刷版画)、グアッシュ。寸法は348ミリ×260ミリ[19][20]。
「僕が『風の歌を聴け』という最初の小説を書いて、それが単行本になると決まったとき、その表紙はどうしても佐々木マキさんの絵でなくてはならなかった。本ができあがって、書店に並んだとき、とても幸福だった。僕が小説家になれたというだけではなく、佐々木マキさんの絵が、僕の最初の本のカバーを飾ってくれたということで」[21]
村上は1984年の時点で次のように述べている。
「僕はこの『佐々木マキ・ショック』を抱えたまま1970年という分水嶺を越え、僕自身の二十代をたどりつづけた。そして三十になってやっと小説を書くようになった。僕の本当の気持ちを言えば、あの頃佐々木マキが我々の世代に与えたのと同質のショックを、僕は僕の小説によって若い世代に与えたいと思う。でもなかなかそんな風にうまくはいかない」[22]
文学賞選考における評価
[編集]文学賞 | 結果 | 選評など |
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第22回群像新人文学賞 (1979年4月発表) |
受賞 |
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第81回芥川賞 (1979年7月発表) |
候補のみ |
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第1回野間文芸新人賞 (1979年12月発表) |
候補のみ |
あらすじ
[編集]絶版になったままのデレク・ハートフィールドの最初の一冊を僕が手に入れたのは中学3年生の夏休みであった。以来、僕は文章についての多くをハートフィールドに学んだ。そしてじっと口を閉ざし、20代最後の年を迎えた。
東京の大学生だった1970年の夏、僕は港のある街に帰省し、一夏中かけて「ジェイズ・バー」で友人の「鼠」と取り憑かれたようにビールを飲み干した。
僕は、バーの洗面所に倒れていた女性を介抱し、家まで送った。しばらくしてたまたま入ったレコード屋で、店員の彼女に再会する。一方、鼠はある女性[注 5]のことで悩んでいる様子だが、僕に相談しようとはしない。
彼女と僕は港の近くにあるレストランで食事をし、夕暮れの中を倉庫街に沿って歩いた。アパートについたとき、彼女は中絶したばかりであることを僕に告げた。
冬に街に帰ったとき、彼女はレコード屋を辞め、アパートも引き払っていた。
現在の僕は結婚し、東京で暮らしている。鼠はまだ小説を書き続けている。毎年クリスマスに彼の小説のコピーが僕のもとに送られる。
登場人物
[編集]- 鼠
- 9月生まれ。「僕」と大学入学の年に出会い、チームを組んだ。屋上に温室のある、三階建ての家に住む。金持ちであるが、金持ちを嫌っている[注 6]。
- ジェイ
- ジェイズ・バーのバーテンダー。中国人。「僕」曰く、彼は中国人だが、自分よりもずっと上手い日本語を話す。「僕がバーテンのジェイにそう言うと、彼はしばらくじっとそれを眺めてから、」(単行本14頁)。とあり、男と考えられる。
- 小指のない女の子
- 1月10日生まれ。8歳の時に左手の小指をなくした。双子の妹がいる。レコード店で働いている。
- 高校時代のクラス・メートの女の子
- 高校時代、ビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」のレコードを貸してくれた。ラジオのリクエスト番組で同曲を「僕」にプレゼントする。1970年3月、大学を病気療養のため退学している。
- 病気の女の子
- 17歳。脊椎の神経の病気で、3年間寝たきりの生活を送っている。
- 僕が寝た3人の女の子
- 1人目は、高校のクラスメイト。高校を卒業し、数ヶ月後に別れる。2人目は、地下鉄の新宿駅で出会った16歳のヒッピー。一週間ばかり僕のアパートに居候し、去る。3番目の女の子は、大学の図書館で知り合った仏文科の学生。翌年の春休みに林で首を吊って自殺する。
- ラジオN・E・BのDJ
- 土曜の夜7時から始まる2時間番組「ポップス・テレフォン・リクエスト」を担当している。自称「犬の漫才師」。終盤では今までの軽い口調と打って変わり、真面目に「僕は・君たちが・好きだ」とリスナーに語りかける[注 7]。
- デレク・ハートフィールド
- アメリカの作家。宇宙人や化け物の登場する小説を膨大に執筆し、のちに投身自殺する。「僕」は文章の多くを彼に学んだ。
- 作中では作品名を出し、あたかも実在の人物であるかのように書かれているため、大学図書館などで「ハートフィールドの著作を読みたい」というリクエストやレファレンスが多く寄せられ、司書を困惑させたという[注 8]。
登場する文化・風俗
[編集]音楽
「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」 | ブルック・ベントンが1970年に歌ったヒット曲。作者はトニー・ジョー・ホワイト。「ポップス・テレフォン・リクエスト」でかかる[26]。 |
「フール・ストップ・ザ・レイン」 | クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルが1970年1月に発表したシングル曲(Who'll Stop the Rain)。のちにアルバム『コスモズ・ファクトリー』に収録された。「ポップス・テレフォン・リクエスト」でかかる[26]。 後述するように『群像』掲載時はローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」だったが、単行本化の際「フール・ストップ・ザ・レイン」に差し替えられた。 |
「カリフォルニア・ガールズ」 | ザ・ビーチ・ボーイズが1965年に発表した曲。アルバム『サマー・デイズ』からシングル・カットされた。村上が訳した歌詞の一部が本文に登場する[27]。 |
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」 | 小指のない女の子が勤めるレコード店で登場する。「僕」は差し出されたヴィルヘルム・バックハウスの盤とグレン・グールドの盤からグールドの盤を選ぶ[28]。 |
『ナッシュヴィル・スカイライン』[注 9] | ボブ・ディランが1969年に発表したアルバム。「僕」は電話の受話器から「ナッシュヴィル・スカイライン」が聴こえると書いているが[30]、正確には同アルバムにその名前の曲は収録されていない。2曲目に収録されている「ナッシュヴィル・スカイライン・ラグ」はインストゥルメンタル。 |
「心の届かぬラヴ・レター」 | エルヴィス・プレスリーが1962年に歌った曲。全米チャート2位を記録した。映画『ガール!ガール!ガール!』の挿入歌でもある。村上が訳した歌詞の一部が本文に登場する[31]。 |
「エヴリデイ・ピープル」[注 10] | スライ&ザ・ファミリー・ストーンが1968年に発表した曲。翌年、全米チャート1位となる。ジェイズ・バーのジュークボックスでかかる[33]。 |
「ウッドストック」 | ジョニ・ミッチェルの曲。ミッチェルのアルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』(1970年4月)とCSN&Yのアルバム『デジャ・ヴ』(1970年3月)にそれぞれ収録される。後者のバージョンはシングルカットされ、同グループの代表曲の一つとなった。ジェイズ・バーのジュークボックスでかかる[33]。 |
「スピリット・イン・ザ・スカイ」 | ノーマン・グリーンバウムが1969年に発表した曲。ジェイズ・バーのジュークボックスでかかる[33]。 |
「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」 | エディ・ホールマンが1969年に発表した曲。ルビー&ザ・ロマンティックスが1963年に発表した「ヘイ・ゼア・ロンリー・ボーイ」がオリジナルで、ホールマンのカバー・バージョンがヒットした。ジェイズ・バーのジュークボックスでかかる[33]。 |
「くよくよするなよ」 | ボブ・ディランが1963年に発表した曲。同年にピーター・ポール&マリーがカバーしたバージョンがヒットした。 「そんなわけで、僕は時の淀みの中ですぐに眠りこもうとする意識をビールと煙草で蹴とばしながらこの文章を書き続けている。(中略) 今、僕の後ろではあの時代遅れなピーター・ポール&マリーが唄っている。『もう何も考えるな。終わったことじゃないか。』」[34] |
「グッド・ラック・チャーム」 | エルヴィス・プレスリーが1962年に歌った曲。全米チャート1位を記録した。物語の終盤、「ポップス・テレフォン・リクエスト」でかかる[35]。 |
その他
フィアット・600 | 1955年から1969年の間に生産されたイタリアの乗用車。鼠の愛車。車体の色は黒[36]。 |
リチャード・バートン | イギリスの映画俳優。「僕」と鼠は泥酔して車を石柱にぶつける。「僕たちはフィアットの屋根に並んで腰を下ろしたまま、白み始めた空を見上げ、黙って何本か煙草を吸った。僕は何故かリチャード・バートンの主演した戦車映画を思い出した」とある[37]。 なおバートンの主演した戦車映画は『砂漠の鼠』(1953年)と『ロンメル軍団を叩け』(1971年)の2本。本書の設定年が1970年であることから、言及されたのは前者と推測される。 |
『感情教育』 | ギュスターヴ・フローベールの長編小説。傍に『感情教育』を置いている「僕」に鼠が「何故本ばかり読む?」と問う。「僕」は「フローベルがもう死んじまった人間だからさ」と答える[38]。 |
ギムレット | ジンベースのカクテル。グレープフルーツのような乳房をつけ派手なワンピースを着た30歳ばかりの女がジェイズ・バーで飲む酒[39]。 |
ロジェ・ヴァディム | フランス出身の映画監督。鼠は「僕」に「『私は貧弱な真実より華麗な虚偽を愛する。』知ってるかい?」と言う。鼠によればこの言葉はヴァディムの言葉だという[40]。 |
ジュール・ミシュレ | 19世紀のフランスの歴史家。ミシュレの『魔女』の一節が本文に引用されている。翻訳者(篠田浩一郎)の名前も明記されている[41]。 |
トライアンフTR III | トライアンフ・TRは、英国のトライアンフが1953年から1981年まで生産したスポーツカーのシリーズ名。現在の鼠の車[42]。 |
『コンボイ』 | サム・ペキンパー監督の1978年の映画。「僕」の妻はペキンパーの映画の中では『コンボイ』が最高だと言う[43]。 |
『尼僧ヨアンナ』 | ポーランドの映画監督イェジー・カヴァレロヴィチが1961年に製作した映画。原作はヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチの同名の小説。 「ペキンパー以外の映画では、僕は『灰とダイヤモンド』が好きだし、彼女は『尼僧ヨアンナ』が好きだ」と本文に記されている[43]。 |
『群像』版と単行本と『村上春樹全作品』の本文異同
[編集]以下は『群像』1979年6月号掲載版と単行本と『村上春樹全作品1979~1989』の本文異同である(主なもののみ)。山﨑眞紀子著『村上春樹の本文改稿研究』(若草書房、2008年1月)に拠った。
著者自身が描いたTシャツの挿絵は、『群像』版、単行本、『村上春樹全作品』版、それぞれすべて異なる[2]。
『群像』 | 単行本 | 『村上春樹全作品1979~1989』 |
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構いませんよ。 | 構いませんよ。おかげでずいぶん体が軽くなった | 同左 |
僕はジェイを呼んで勘定を払った。 | 彼女が消えた後も僕の質問は答えのないまま、しばらく空中をさまよっていた。 ビールを半分飲んでからジェイを呼んで勘定を払った。 |
同左 |
「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」 | 同左 | 「雨のジョージア」[注 11] |
ローリング・ストーンズ「ブラウン・シュガー」 | クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、「フール・ストップ・ザ・レイン」 | 同左 |
「カリフォルニア・ガール」 | 「カリフォルニア・ガールズ」 | 同左 |
鼠はガードレールに腰かけてカザンザキスの | 同左 | 鼠はガードレールに腰かけてカザンツァキスの[注 12] |
なんとなく損な星まわりらしいな。 | なんとなく損な星まわりらしいな。イエス・キリストと同じだ | 同左 |
なし | 「ハートフィールド、再び………(あとがきにかえて)」全文 | なし |
翻訳
[編集]翻訳言語 | 翻訳者 | 発行日 | 発行元 |
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英語 | アルフレッド・バーンバウム | 1987年2月 | 講談社英語文庫 |
テッド・グーセン | 2015年8月4日 | Harvill Secker | |
フランス語 | Hélène Morita | 2016年1月16日 | Belfond |
ドイツ語 | Ursula Gräfe | 2015年5月20日 | DuMont Buchverlag |
イタリア語 | Antonietta Pastore | 2016年5月24日 | Einaudi |
スペイン語 | Lourdes Porta Fuentes | 2015年10月1日 | Tusquets Editores |
ポルトガル語 | Maria João Lourenço | 2016年5月31日 | Casa das Letras |
ノルウェー語 | Yngve Johan Larsen | 2015年 | Pax forlag |
ポーランド語 | Anna Zielińska-Elliott | 2014年5月 | Muza |
ロシア語 | Вадим Смоленский | 2002年 | Eksmo |
中国語 (繁体字) | 頼明珠 | 1992年2月25日 | 時報文化 |
中国語 (簡体字) | 林少華 | 2001年8月 | 上海訳文出版社 |
韓国語 | ユン・ソンウォン[44] | 1991年 | 漢陽出版 |
金春美(キム・チュンミ) | 1991年8月26日 | 漢陽出版 | |
金蘭周(キム・ナンジュ) | 1996年 | 열림원 | |
インドネシア語 | Jonjon Johana | 2008年10月 | KPG |
タイ語 | นพดล เวชสวัสดิ์ | 2002年12月 | สำนักพิมพ์แม่ไก่ขยัน |
ハンガリー語 | Mayer Ingrid | 2016年 | Geopen |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ラジオN・E・Bから送られて来たTシャツの挿絵は、『群像』版、単行本、『村上春樹全作品』版、それぞれすべて異なる[2]。
- ^ あとがき「ハートフィールド、再び………(あとがきにかえて)」は『群像』掲載時にはなかった。単行本に付け加えられた文章であるが、『村上春樹全作品1979~1989』版では削除されている。
- ^ 「鼠三部作」は英語圏では「Trilogy of the Rat」と呼ばれている。
- ^ 1979年5月8日に行われた贈呈式で村上が述べた挨拶について、丸谷才一は次のように書いている。「彼はロス・マクドナルドの探偵小説が大好きで、その名探偵リュウ・アーチャーのファンなので、将来小説家になつたら、ぜひ村上龍といふ筆名で書かうと思つてゐた。ところが先に村上龍氏が小説家として登場してしまつたので、村上春樹でゆくしかなくなつて非常に残念だ、といふ話だつた。/受賞の挨拶でこのくらゐ人を喰つた話ができる新人は、警戒すべきである。」[23]
- ^ 斎藤美奈子『妊娠小説』、石原千秋『謎とき 村上春樹』にこの女性が誰かについての言及がある。
- ^ 「鼠」という名前はジョン・シュレジンジャーの『真夜中のカーボーイ』(1969)でダスティンホフマンが演じた"Ratso"(ラッツォ=鼠)の影響という説がある。(『村上春樹の映画記号学』明里千草(2008)、『さんぽで感じる村上春樹』(2014)
- ^ この言葉について村上は次のように語っている。「人はもちろん孤独です。僕も孤独です。あなたも孤独です。人と人が理解しあうことなんて不可能です。それは絶対的な真実です。僕らはみんなスプートニク衛星に乗って、地球のまわりをぐるぐるまわって、そのうちにどこかに消えていくライカ犬みたいなものです。でも『風の歌を聴け』に、たしかディスクジョッキーが出てきましたよね。彼が『僕は君たちが好きだ』というとき(たしかそう言いましたよね)、彼は本気でそう言っているんです。そういうことって、何かの役に立つと僕は思うんです。そう思いませんか?」[25]
- ^ 久保輝巳著『図書館司書という仕事』の「1章 ある図書館司書の生活」はこのエピソードを描いたものである。
- ^ 『ナッシュヴィル・スカイライン』は2017年の最新作『騎士団長殺し』に再び登場する。広尾のマンションに残したCDとLPを思い出しながら語り手は次のように述べる。「たとえばボブ・ディランの『ナッシュヴィル・スカイライン』や、『アラバマ・ソング』の入ったドアーズのアルバムは、いったいどちらの持ち物になるのだろう?」[29]
- ^ 『ダンス・ダンス・ダンス』に村上による訳詞が出てくる。また作中、語り手の「僕」は五反田君に向かって同曲の歌詞を引用する[32]。
- ^ 2004年9月に出版された改版の文庫は、単行本と同じく「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」。
- ^ 2004年9月に出版された改版の文庫は、単行本と同じく「カザンザキス」。
出典
[編集]- ^ 『風の歌を聴け』(村上春樹)|講談社BOOK倶楽部
- ^ a b 山﨑眞紀子『村上春樹の本文改稿研究』若草書房、2008年1月、44頁。
- ^ 『風の歌を聴け』(村上春樹, 佐々木マキ):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部
- ^ 『風の歌を聴け』(村上春樹):講談社文庫(新装版)|講談社BOOK倶楽部
- ^ a b c “連載 担当編集者だけが知っている名作・作家秘話 第1話 村上春樹『風の歌を聴け』”. 小説丸 (2022年9月21日). 2024年12月11日閲覧。
- ^ 講談社100周年記念企画 この1冊!:『風の歌を聴け』講談社BOOK倶楽部公式サイト
- ^ 『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』マガジンハウス、2012年7月、137頁。
- ^ 『村上春樹 雑文集』新潮社、2011年1月、344頁。
- ^ 沼野充義「ドーナツ、ビール、スパゲッティ―村上春樹と日本をめぐる三章」 『村上春樹の世界』青土社〈ユリイカ 臨時増刊 21-8〉、1989年6月25日、144-157頁。
- ^ 都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』水声社。
- ^ “Haruki Murakami's first novel to be retranslated and republished in English”. ガーディアン. (2014年9月5日) 2014年9月18日閲覧。
- ^ Hear the Wind Sing by Haruki Murakami - Random House Audio
- ^ 『やがて哀しき外国語』講談社文庫、219頁。
- ^ 『走ることについて語るときに僕の語ること』文藝春秋、2007年10月、45-46頁。
- ^ 『宝島』1983年11月号 「宝島ロングインタビュー」。
- ^ 河合隼雄『こころの声を聴く 河合隼雄対話集』新潮社、1995年1月、215頁。
- ^ 村上春樹『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』朝日新聞社、2006年3月、141-142頁。
- ^ 『ポートレイト・イン・ジャズ』新潮文庫、2008年2月、201-202頁。
- ^ ちひろ美術館監修 『村上春樹とイラストレーター ―佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸―』 ナナロク社、2016年7月25日、222-223頁。
- ^ 佐々木マキ 「表紙の仕事」 『ユリイカ臨時増刊 総特集村上春樹の世界』1989年6月号、46-47頁。
- ^ うみべのまち 佐々木マキのマンガ1967-81 - 太田出版
- ^ 村上春樹 「佐々木マキ・ショック・1967」 『佐々木マキのナンセンサス世界』思索社、1984年2月、159頁。
- ^ 丸谷才一 『挨拶はむづかしい』 朝日新聞社、1985年9月15日、91頁。
- ^ 『村上ラヂオ』新潮文庫、108頁。
- ^ 『少年カフカ』新潮社、2003年6月、245頁。
- ^ a b 本書、講談社文庫、旧版、53頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、59-60頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、62頁。
- ^ 『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』 新潮社、2017年2月24日、221-222頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、70頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、92頁。
- ^ 『ダンス・ダンス・ダンス』、下巻、講談社文庫、旧版、35頁、51頁、165頁。
- ^ a b c d 本書、講談社文庫、旧版、95頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、110頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、144頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、18頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、19頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、22頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、45-49頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、65頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、82頁。
- ^ 本書、講談社文庫、旧版、103頁。
- ^ a b 本書、講談社文庫、旧版、148頁。
- ^ 『スメルジャコフ対織田信長家臣団』朝日新聞社、2001年4月、村上作品一覧・海外編。
関連項目
[編集]- 風の歌を聴け (映画)
- ソングオブウインド - 競走馬。2006年の菊花賞優勝馬。馬名の由来は同作品からきている。