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雲仙市立土黒小学校

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雲仙市立土黒小学校
地図北緯32度52分01秒 東経130度17分40秒 / 北緯32.866972度 東経130.294472度 / 32.866972; 130.294472座標: 北緯32度52分01秒 東経130度17分40秒 / 北緯32.866972度 東経130.294472度 / 32.866972; 130.294472
過去の名称 磧田小学校
第五大学区第三中学区土黒小学校
第五大学区第二中学区土黒小学校
南高来郡島原部土黒小学校
土黒部公立土黒小学校
土黒部公立中等土黒小学校
尋常土黒小学校
土黒尋常小学校
土黒尋常高等小学校
土黒村土黒国民学校
土黒村立土黒小学校
国見町立土黒小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 雲仙市
設立年月日 1872年(明治5年)12月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001713 ウィキデータを編集
所在地 859-1312
長崎県雲仙市国見町土黒乙100番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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雲仙市立土黒小学校(うんぜんしりつ ひじくろしょうがっこう)は、長崎県雲仙市国見町土黒乙にある公立小学校

概要

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歴史
1872年明治5年)に土黒村川原田名[1]に創立された「磧田小学校」を前身とする。2012年平成24年)に創立140周年を迎えた。
学校教育目標
「心豊かでたくましくかがやく子どもの育成」
校章
中央に「小」の文字を置いている。
校歌
1921年大正10年)に制定。作詞は伊藤磬根、作曲は原格太郎(長崎師範学校教諭)による。歌詞は4番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
校区
雲仙市国見地区(旧・国見町)の「北下原東、北下原西、南下原、尾茂、今出、川原田、篠原、宮田」。中学校区は雲仙市立国見中学校

沿革

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  • 1872年(明治5年)
    • 8月 - 学制が頒布される。
    • 12月 - 高来郡土黒村川原田名[1]に「磧田小学校」が創立される。植木直貴が教授にあたる。
  • 1874年(明治7年)6月1日 - 「第五大学区 第三中学区[2] 土黒小学校」として長崎県に設置認可される[3]
  • 1876年(明治9年)11月 - 川原田名[1]園乙60番地に校舎を新築し移転を完了。主席教員は大竹猪久馬。
  • 1877年(明治10年)6月4日 - 学区改定により、「第五大学区 第二中学区[4]土黒小学校」に改称。
  • 1878年(明治11年)
    • 4月 - 郡制の施行により南高来郡の管轄となる。
    • 12月24日 - 学区が改正され、「南高来郡島原部[5]土黒小学校」となる。
  • 1879年(明治12年)8月 - 暴風雨により校舎が倒壊。同年9月から鏡の民家で授業を開始。
  • 1880年(明治13年)- 教育令の施行により、「土黒部 公立土黒小学校」に改称。
  • 1882年(明治15年)- 教育令の改正により、中等科を設置の上「土黒部 公立中等土黒小学校」に改称。
  • 1883年(明治16年)3月 - 篠原札の元の民家を購入し校舎とする。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、「尋常土黒小学校」に改称(修業年限4年)。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、土黒村立の小学校となる。
  • 1891年(明治24年)9月 - 川原田名字宮園(現在地)に木造2階建て校舎1棟が完成。
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 小学校令の改正により、「土黒尋常小学校」に改称。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を新設。
  • 1910年(明治43年)
    • 2月22日 - 第二・三校舎が完成。
    • 3月3日 - 第一校舎が完成。
    • 4月1日 - 高等科を併置し「土黒尋常高等小学校」に改称(尋常科6年・高等科2年)。
    • 9月 - 伊藤百田に初代学校医を委託。
  • 1917年(大正6年)5月 - 土黒村農業補習学校(修業年限2年)が併設される。尋常科修了後に高等科へ進学しない児童を対象とする。
  • 1921年(大正10年)- 校歌を制定。
  • 1929年(昭和4年)3月 - 第一校舎を移築し、運動場を拡張。スレート葺き1棟6教室が完成。
  • 1934年(昭和9年)5月 - 正門門柱を設置。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の土黒村農業補習学校が「土黒村青年学校」となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「土黒村土黒国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 土黒国民学校の初等科が改組され「土黒村立土黒小学校」となる。
    • 土黒国民学校の高等科および青年学校の普通科が改組され、新制中学校「土黒村立土黒中学校[6]」が発足(修業年限は3年で、義務教育となる)。
      • 中学校校舎が完成するまでの間、中学校が小学校校舎に併設される。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月 - 育友会が発足。
    • 10月 - 中学校校舎が完成。
  • 1952年(昭和27年)10月 - 校舎2棟に各2教室を増築。
  • 1954年(昭和29年)2月 - 育友会により校庭に植樹が行われる。
  • 1955年(昭和30年)3月 - 旧校舎を解体し、運動場を拡張。
  • 1956年(昭和31年)
    • 9月1日 - 土黒村と多以良村が合併し、国見町が発足。これにより「国見町立土黒小学校」に改称。
    • 11月 - 中学校特別教室(講堂)が完成。
  • 1957年(昭和32年)9月 - 小。中学校植林地を設定。
  • 1959年(昭和34年)11月 - 学校給食を開始。
  • 1960年(昭和35年)9月 - 運動場に遊具を設置。
  • 1965年(昭和40年)
    • 5月 - 旧土黒中学校の特別教室(講堂)が移管される。
    • 11月 - 校門表札を設置。書は島田重久による。
  • 1966年(昭和41年)5月 - 制服を制定。
  • 1968年(昭和43年)9月 - 校旗を制定。
  • 1972年(昭和47年)3月 - 創立100周年記念式典を挙行。グランドピアノが寄贈される。
  • 1973年(昭和48年)
    • 3月27日 - 鉄筋コンクリート造3階建ての校舎が完成。
    • 7月 - 開校100周年記念碑を建立。
    • 8月 - 校門を移転。
    • 9月 - 国旗掲揚台を設置。
  • 1975年(昭和50年)
    • 1月 - 水生植物池が完成。
    • 4月 - 給食室を閉鎖し、自校調理方式から給食センター調理方式に変更となる。
    • 8月 - プールが完成。自転車置き場を設置。
  • 1976年(昭和51年)
    • 3月 - 正門門柱を設置。旧校門を裏門とする。
    • 9月 - 台風17号により、校舎に被害を受ける。
  • 1978年(昭和53年)
    • 7月 - 木造校舎2棟を解体。
    • 9月 - 新校舎(第二期工事、特別教室)が完成。
    • 11月 - 講堂を解体。
  • 1979年(昭和54年)8月 - 体育館が完成。
  • 2005年(平成17年)10月11日 - 雲仙市の発足により、「雲仙市立土黒小学校」(現校名)に改称。

交通アクセス

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最寄りの鉄道駅
その他
  • 周囲を田畑に囲まれており、周辺には広域農道が走っている(路線バスは運行されていない)。

周辺

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著名な出身者

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脚注

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  1. ^ a b c 「名」(みょう)は「地区」を表す。
  2. ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五中学区。壱岐と対馬は第四中学区に属する。
  3. ^ 長崎県教育史(上巻)p.554 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  4. ^ 長崎区が第一中学区、旧島原藩が第二中学区、旧大村藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五中学区。
  5. ^ 第二中学区(南高来郡)は小浜部・隅田部・神代部・島原部の4部に分けられた。(参照:長崎県教育史上巻p.442 - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
  6. ^ 土黒中学校は1962年(昭和37年)4月に多比良中学校、神代中学校と統合され、国見中学校となった。

参考文献

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  • 「国見町郷土誌」(1984年(昭和59年)3月30日, 国見町)p.877 -
  • 「国見町閉町記念誌 五十年のあゆみ」(2005年(平成17年)10月, 国見町役場企画情報課)
  • 「長崎県教育史(上巻)」(1942年(昭和17年)12月1日, 長崎県教育会)
  • 「長崎県教育史(下巻)」(1943年(昭和18年)9月25日, 長崎県教育会)
  • 「長崎県教育史 資料編」(1976年(昭和51年)11月1日, 長崎県教育委員会)
  • 「長崎新聞に見る 長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「国見町」

関連項目

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外部リンク

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