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陸軍兵器廠

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陸軍兵器廠(りくぐんへいきしょう)は、大日本帝国陸軍の機関の一つ。兵器弾薬・機材などの補給、要塞の備砲工事を担当した。

概要

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日清戦争後の軍備拡充に対処するため、1897年(明治30年)9月、従前の砲兵方面本署・支署を廃止し陸軍兵器廠が創設された[1]陸軍大臣隷下の本廠を東京大阪門司台湾の4箇所に設置し、各管区内の師団司令部台湾守備混成旅団司令部・要塞などの所在地に支廠を置き統括した。

1903年(明治36年)5月、四つの兵器本廠を東京の兵器本廠に統合し、支廠を師団司令部所在地、門司・台北に置き、要塞所在地の支廠は業務を要塞司令部に移管し廃止した[2]

1918年(大正7年)6月、師団司令部・台湾総督府関東都督府に兵器部が設置されたことに伴い、師団司令部等所在地の支廠を廃止し6支廠とした。また、1932年(昭和7年)8月、要塞の備砲工事業務を陸軍築城部に移管。

1940年(昭和15年)4月1日、兵器廠と陸軍造兵廠を統合し新組織の陸軍兵器廠となり、新設の陸軍兵器本部の隷下となった。また同時に兵器支廠を兵器補給廠と改称した[3]

沿革

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  • 1897年(明治30年)9月 - 陸軍兵器廠設置
  • 1898年(明治31年)5月10日 - 大阪陸軍兵器支廠が大阪市大手門前倉庫構内旧輜重廠跡に移転[4]
    • 10月20日 - 小倉陸軍兵器支廠が熊本陸軍兵器支廠内で事務を開始[5]
    • 10月21日 - 金沢陸軍兵器支廠が名古屋陸軍兵器支廠内に開庁[6]。丸亀陸軍兵器支廠が広島陸軍兵器支廠内に開庁[7]
  • 1899年(明治32年)6月10日 - 大阪陸軍兵器本廠舞鶴支廠が京都府加佐郡舞鶴町に移転[8]
  • 1900年(明治33年)2月22日 - 忠海陸軍兵器支廠が広島県豊田郡忠海町の新築庁舎に移転[20]
  • 1901年(明治34年)1月26日 - 基隆陸軍兵器支廠が基隆沙元庄の新築庁舎に移転[25]
  • 1902年(明治35年)4月1日 - 札幌陸軍兵器支廠が上川郡鷹栖村に移転。旭川陸軍兵器支廠と改称して事務を開始[26]
    • 10月9日 - 旭川陸軍兵器支廠が新築庁舎に移転。10日より事務を開始[27]
  • 1903年(明治36年)1月23日 - 呉陸軍兵器支廠は広島市の野戦砲兵第5連隊営舎に移転[28]
    • 2月14日 - 丸亀陸軍兵器支廠が善通寺陸軍兵器支廠に改称[29]
    • 3月30日 - 呉陸軍兵器支廠は広島市段原村の新庁舎に移転[30]
    • 5月1日 - 四つの兵器本廠を東京の兵器本廠に統合。支廠を師団司令部所在地、門司・台北に置き、要塞所在地の支廠を廃止。大阪陸軍兵器支廠は元大阪陸軍兵器本廠で事務を開始[31]。門司陸軍兵器支廠は元門司陸軍兵器本廠で事務を開始[32]
    • 5月3日 - 兵器本廠が東京市麹町区永田町1丁目陸軍省構内に移転[33]。東京陸軍兵器支廠は小石川区小石川町元東京陸軍兵器本廠跡に移転[31]
    • 5月17日 - 元鳴門陸軍兵器支廠を閉鎖[34]
  • 1904年(明治37年)3月8日 - 兵器本廠が東京市麹町区隼町1番地(元教育総監部跡)に移転[35]
    • 12月31日 - 東京陸軍兵器支廠が東京市四谷区大番町に移転[36]
  • 1908年(明治41年)1月1日 - 東京陸軍兵器支廠が東京市小石川区大塚町に移転[37]
  • 1913年(大正2年)5月29日 - 大阪陸軍兵器支廠が大阪市東区馬場町1番地に移転[43]
  • 1918年(大正7年)6月 - 師団司令部等所在地の支廠を廃止し6支廠(東京、大阪、名古屋広島小倉龍山)となる。
    • 8月23日 - 小倉陸軍兵器支廠が福岡県企救郡企救町の新庁舎に移転[44]
    • 10月6日 - 兵器本廠が庁舎改築のため東京市麹町区隼町東京第一衛戍病院構内仮庁舎に移転し事務を開始[45]
    • 11月1日 - 小倉陸軍兵器支廠門司出張所を門司市旧小倉兵器製造所構内に設置[46]
  • 1919年(大正8年)
    • 3月25日 - 広島陸軍兵器支廠が広島市皆実村比治山兵器庫構内に移転[47]
    • 4月20日 - 兵器本廠が庁舎改築工事竣工により元庁舎に移転[48]
  • 1923年(大正12年)4月 - 龍山支廠を廃止し、千葉支廠を設置。
  • 1932年(昭和7年)8月 - 岡山出張所を支廠に昇格。要塞備砲工事を陸軍築城部に移管。
  • 1938年(昭和13年)8月 - 平壌出張所を支廠に昇格。
  • 1939年(昭和14年)8月 - 奉天に満州支廠を設置。
  • 1940年(昭和15年)4月 - 兵器廠と陸軍造兵廠を統合し新組織の陸軍兵器廠となり、兵器支廠を兵器補給廠と改称。
  • 1942年(昭和17年)10月 - 各兵器補給廠は新設の陸軍兵器行政本部に直属となる。

歴代兵器本廠長

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東京陸軍兵器本廠長
門司陸軍兵器本廠長
陸軍兵器本廠長

脚注

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  1. ^ 陸軍兵器廠条例(明治30年9月11日勅令第304号)
  2. ^ 陸軍兵器廠条例(明治36年4月15日勅令第78号)
  3. ^ 陸軍兵器廠令(昭和15年4月1日勅令第209号)。従前の陸軍兵器廠令(大正2年3月28日勅令第30号)を廃止し、従前の陸軍造兵廠令を全部改正し、陸軍兵器廠令に改題した。
  4. ^ 『官報』第4459号、明治31年5月14日。
  5. ^ 『官報』第4597号、明治31年10月25日。
  6. ^ 『官報』第4599号、明治31年10月27日。
  7. ^ 『官報』第4600号、明治31年10月28日。
  8. ^ 『官報』第4788号、明治32年6月19日。
  9. ^ 『官報』第4791号、明治32年6月22日。
  10. ^ 『官報』第4813号、明治32年7月18日。
  11. ^ 『官報』第4827号、明治32年8月3日。
  12. ^ 『官報』第4876号、明治32年9月30日。
  13. ^ 『官報』第4897号、明治32年10月26日。
  14. ^ 『官報』第4907号、明治32年11月8日。
  15. ^ a b 『官報』第4916号、明治32年11月18日。
  16. ^ 『官報』第4918号、明治32年11月21日。
  17. ^ 『官報』第4923号、明治32年11月28日。
  18. ^ 『官報』第4929号、明治32年12月5日。
  19. ^ 『官報』第4941号、明治32年12月19日。
  20. ^ 『官報』第4997号、明治33年3月2日。
  21. ^ 『官報』第5012号、明治33年3月20日。
  22. ^ 『官報』第5109号、明治33年7月14日。
  23. ^ 『官報』第5124号、明治33年8月1日。
  24. ^ 『官報』第5186号、明治33年10月12日。
  25. ^ 『官報』第5278号、明治34年2月8日。
  26. ^ 『官報』第5622号、明治35年4月5日。
  27. ^ 『官報』第5786号、明治35年10月15日。
  28. ^ 『官報』第5865号、明治36年1月20日。
  29. ^ 『官報』第5925号、明治36年4月7日。
  30. ^ 『官報』第5922号、明治36年4月2日。
  31. ^ a b 『官報』第5949号、明治36年5月5日。
  32. ^ 『官報』第5955号、明治36年5月12日。
  33. ^ 『官報』第5947号、明治36年5月2日。
  34. ^ 『官報』第5962号、明治36年5月20日。
  35. ^ 『官報』第6202号、明治37年3月8日。
  36. ^ 『官報』第6451号、明治37年12月29日。
  37. ^ a b 『官報』第7357号、明治41年1月8日。
  38. ^ 『官報』第7387号、明治41年2月14日。
  39. ^ 『官報』第7419号、明治41年3月24日。
  40. ^ 『官報』第7544号、明治41年8月18日。
  41. ^ a b 『官報』第7597号、明治41年10月21日。
  42. ^ 『官報』第7601号、明治41年10月26日。
  43. ^ 『官報』第251号、大正2年6月2日。
  44. ^ 『官報』第1822号、大正7年8月28日。
  45. ^ 『官報』第1855号、大正7年10月8日。
  46. ^ 『官報』第1883号、大正7年11月12日。
  47. ^ 『官報』第1996号、大正8年4月1日。
  48. ^ 『官報』第2013号、大正8年4月22日。
  49. ^ 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
  50. ^ 『官報』第488号、昭和3年8月11日。
  51. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』160頁。
  52. ^ 『官報』第2575号、昭和10年8月2日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 原剛・安岡昭男編『日本陸海軍事典コンパクト版(上)』新人物往来社、2003年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 官報

関連項目

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