鍋島直郷
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鍋島直郷像 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 享保3年3月23日(1718年4月23日) |
死没 | 明和7年10月5日(1770年11月21日) |
改名 | 鶴之助(幼名)、直郷 |
別名 | 直吉(別名) |
戒名 | 天祥院殿泰山際運大居士 |
官位 | 従五位下、備前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前鹿島藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 | 父:鍋島直堅、母:井手氏(清真院・千々岩新兵衛の娘) |
兄弟 | 直郷、直年 |
妻 | 正室:鍋島直英の娘・於市(定慧院) |
子 | 養子:直煕 |
鍋島 直郷(なべしま なおさと)は、肥前鹿島藩の第6代藩主。
生涯
[編集]享保3年(1718年)3月23日、第5代藩主・鍋島直堅の長男として鹿島で生まれる。享保12年12月4日(1728年)に父が死去したため、享保13年(1728年)11月16日に家督を継いだ。しかし享保14年(1729年)には旱魃で被害を受けるなど、藩財政が苦しくなった。享保16年12月(1732年)、従五位下・備前守に叙位・任官する。元文元年(1736年)の参勤交代では費用が調達できず、参勤が遅れたという逸話もある。
その後も江戸城門番などの負担が重なり、宝暦12年(1762年)の参勤交代でも費用を調達できなかった。このように財政難に苦しんで失意に堕ちた直郷は、子がなかったこともあって、宝暦13年(1763年)4月7日に隠居した。家督は5月1日、本家の佐賀藩から迎えた養子の直熙が継いだ。
明和7年(1770年)10月5日に死去した。享年53。
系譜
[編集]父母
正室
- 於市、定慧院 ー 鍋島直英の娘
養子