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鈴木裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すずき ゆう

鈴木 裕
生誕 (1958-06-10) 1958年6月10日(66歳)
日本の旗岩手県釜石市
出身校 岡山理科大学
職業 ゲームクリエイター
YS NET代表取締役社長
セガR&Dクリエイティブオフィサー[いつ?]
活動期間 1983年 -
著名な実績 世界初の体感ゲーム開発
世界初の3Dポリゴン格闘ゲーム開発
シェンムーシリーズの開発
配偶者 あり
子供 娘2人
受賞
公式サイト https://www.ysnet.games/
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鈴木 裕(すずき ゆう、1958年6月10日 - )は、日本のゲームクリエイター。株式会社YS NET代表取締役社長。株式会社SEGAR&Dクリエイティブオフィサー。[いつ?]

1980年代中盤から1990年代にかけてはセガに在籍。同社でゲームディレクター・プロデューサーの役職にあった頃は、その頃のセガを代表するアーケードゲームのヒット作を多数制作し、後に同社のR&Dクリエイティブオフィサーの一人となった。

プロフィール

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岩手県釜石市生まれ、三陸町(後の大船渡市)出身。岡山理科大学理学部電子理学科卒業。1983年にセガに入社した。学生の頃から三次元CGを研究していたこともあり、3DCGがアーケードゲームで一般的になる以前からリアル志向の疑似3D表現を用いたゲームを多く制作していた。1990年代に入ると、他社に先駆けて本格3DCGハードウェアを駆使したリアル志向のゲームを制作した。鈴木は「最新の技術と1つのゲームセンスが高次元で融合したものこそが自分の作りたいゲームである」という一貫したテーマでゲーム制作に取り組んでいることを数々のインタビューなどでも語っている。

初めてディレクターを担当した作品は、1984年に発売されたSG-1000用ゲームの『チャンピオンボクシング[4]。この作品は後にアーケード用ゲームとしても稼働した。その後、『ハングオン』『スペースハリアー』『アウトラン』『アフターバーナー』『パワードリフト』『G-LOC: AIR BATTLE』といったアーケード作品を生み出した。

1992年にセガ初の本格3DCGハードウェアを使用した『バーチャレーシング』を発売した。以降の作品『バーチャファイター』『F355チャレンジ』はいずれも反響を呼んだ。特にバーチャファイターシリーズは社会現象とも言えるほどの大ヒットとなり、同社の看板タイトル、また自身の代表作として知られるようになった。自著『鈴木裕 Game Works Vol.1』によると大学生の頃から3Dを研究しており、『バーチャファイター』開発の際もプロトタイプを自身のパソコン上で開発していた。

1990年代後半からは再び家庭用ゲームソフトの開発に携わり、1999年にはドリームキャストシェンムー』などを開発。シェンムーは総制作費70億円(ギネス世界記録に認定された記録だが、鈴木裕自身は50億円とコメントしている[4])と比較して商業的には振るわなかったが、世界各国で賞を受賞し、映画監督のスティーヴン・スピルバーグが絶賛するなど、特に海外で評価が高い。スピルバーグと会談した際に、スピルバーグの方から鈴木にサインを求めてきた話は、宮本茂ポール・マッカートニーにサインを求められた話と共によく引き合いに出される。

2002年には自身の絵画展を行ったり、2003年にはそれまでのゲーム業界における功績が評価され、ラスベガスで行われたAIAS主催サミット「D.I.C.E. Summit」にて行われた授賞式典「Interactive Achievement Awards」でHall of Fame Award(殿堂賞)を受賞するが、この時期ディレクターやプロデューサーとしての仕事面においては開発中止等が続き、ほとんど世に出ない時期が続く。

2003年10月にはセガの開発子会社再編で新規設立されたデジタルレックスの社長に就任した。しかし同社は2004年7月のセガ・サミーの経営統合に伴う開発子会社の全廃によりセガに再吸収され、「セガAMプラス研究開発部」の部長となった。

2004年に中国向けWindowsMMORPG『シェンムーオンライン』を制作発表したが、その後セガが中国でのオンラインゲーム事業より撤退したため発売未定のまま凍結状態になっている。また、2005年にはタッチパネルで操作するアーケード用タイトル『ΨΦ PSY-PHI』が発表されロケテストが行われたが、発売は中止となった[4]

2008年11月11日、同日に設立された株式会社YS NETの代表取締役社長に就任(この発表の少し前、当時のセガ・オブ・アメリカCEOサイモン・ジェフリーがインタビュー内で「鈴木裕は既にセガにいないが、まだ我々と共に仕事をしている」とコメントしていた[5])。2010年11月にはシェンムーの外伝となる携帯アプリ『シェンムー街』を開発していることを発表。YS社を仕事の基盤としている事が周知の事実となる(なお2009年4月の同社人事異動リリース[6]では「AM研究開発本部付」として名前が挙げられており、この発表の前年まではセガに在籍していた事が明らかだが、公式なセガ退職時期については不明)。この時期YS社ではしばらくソーシャルゲームの開発を中心とした仕事を行っている。

2011年3月、GDCで授与されるゲーム・デベロッパーズ・チョイス・アワードにてパイオニア賞を受賞[7]。同年5月にはプレミアムエージェンシーの技術顧問に就任[8]

2015年6月16日(日本時間)、E3 2015において、『シェンムーIII英語版』を制作するためにKickstarterクラウドファンディングを開始する事を発表。直後にYS NETがプロジェクトページをオープンしファンディングを開始したところ、わずか1時間44分で100万ドルに到達し、ギネス世界記録に『最もはやく100万ドルに達したクラウドファウンディングされたビデオゲーム』として認定された[9]。また同年8月には東京ゲームショウ2018VRブースにてアーケード最新作『VRsus(仮題)』の制作発表を行い、その発表の中で『シェンムーIII』の新トレーラーを発売日と共に日本国内のイベントでは初めて正式に発表した。

作品

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1999年7月にリリースされた『F355チャレンジ』のDXタイプ以降、鈴木裕がディレクターとして携わった作品には、「YS」の文字が入ったロゴが表記されている。

著書

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『鈴木裕ゲームワークス Vol.1』アスペクト、2001年12月1日
自伝。ドリームキャスト版の『ハングオン』、『スペースハリアー』、『アウトラン』、『アフターバーナーII』、『パワードリフト』が収録されたGD-ROMが付録。『シェンムーII』に収録されたものとは異なり、無限コンティニュー、難易度設定、タイトル音楽の有無などの詳細設定が追加されている。

出典

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  1. ^ バーチャファイター:生みの親・鈴木裕さん“ゲームのアカデミー賞”GDCパイオニア賞受賞”. MANTANWEB (2011年3月6日). 2025年2月23日閲覧。
  2. ^ CEDEC2018”. 2025年2月23日閲覧。
  3. ^ Golden Joystick Awards 2019で『バイオハザード RE:2』がGOTYに輝く!鈴木裕が生涯功労賞を受賞!”. IGN Japan (2019年11月16日). 2025年2月23日閲覧。
  4. ^ a b c GDC 2011レポート 鈴木裕氏が語るアーケード筐体開発秘話 「ハングオン」から「シェンムー」まで鈴木氏がファンの質問に本音で解答”. GAME Watch (2011年3月4日). 2016年11月1日閲覧。
  5. ^ Yu Suzuki No Longer at Sega1up.com、2008年8月11日)
  6. ^ 当社ならびに当社子会社(株式会社セガ、サミー株式会社)の組織変更および人事異動に関するお知らせ - セガサミーホールディングス・2009年3月31日
  7. ^ Pioneer Archive”. Game Developers Choice Awards. 2025年1月23日閲覧。
  8. ^ 「バーチャファイター」、「シェンムー」の生みの親、鈴木裕氏 プレミアムエージェンシーのゲーム開発顧問に就任 - プレミアムエージェンシー・2011年6月2日
  9. ^ シェンムーをつくった男、世界一のゲームクリエイター鈴木裕インタビュー”. ギネス世界記録 (2016年1月25日). 2025年2月17日閲覧。
  10. ^ 鈴木裕さんが語る「シェンムー街」 藤岡弘、さんも応援 - ITmedia NEWS
  11. ^ “Apple Arcade新作『Air Twister』はカジュアルユーザーも楽しめるアーケードシューター? 鈴木裕インタビュー”. IGN Japan. (2022年6月1日). https://jp.ign.com/air-twister/59979/interview/apple-arcadeair-twister 2022年9月28日閲覧。 

参考文献

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  • 鈴木裕『鈴木裕ゲームワークス Vol.1』アスペクト、2001年、ISBN 4-7572-0889-8

関連項目

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外部リンク

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