金甲淳
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金甲淳 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김갑순 |
漢字: | 金甲淳 |
発音: | キム・カプスン |
日本語読み: | きん こうじゅん |
ローマ字: | Gim Gab-sun |
Kim Kap-soon: | Kim Kap-soon |
金甲淳(きん こうじゅん、キム・カプスン、朝鮮語:김갑순、1872年 - 1961年)は、韓国朝鮮王朝の文臣、政治家、日本統治時代の企業家である。本貫は金海金氏[1]。日本統治時代の朝鮮忠清南道の最高の富豪であった。
奴隷や官奴出身で[2]、1899年に官職に上がって総巡、内蔵院捧税官、忠清南道捧税官などを歴任した。[3] 1902年扶餘郡守、魯城郡守、公州郡守、林川郡守、金化郡守、1910年公州郡守、1911年牙山郡守などを歴任した。1910年日韓併合後には、運輸業、劇場事業、不動産投機で莫大な金を稼いだ。[4] 1920年代後半から買い付けた大田の土地は1932年忠清南道道庁の対戦前に地価が坪当り1,2錢で1百円に上昇して莫大な富を獲得した。本名は淳甲、号は東尤(ドンウ)。
脚注
[編集]- ^ “김갑순(金甲淳)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月20日閲覧。
- ^ [조용헌의 八字기행] 조상 묫자리 덕에 구한말 갑부 된 김갑순…노비로 태어나 부동산 투기로 축재 매일경제 2012.07.30
- ^ 金甲淳
- ^ 친일파 김갑순 후손, 행정도시 주변 '조상땅' 되찾아 오마이뉴스 2005.09.14
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 친일파 김갑순 손녀 수십억대 횡재 한국일보 2005.09.14
- 친일파 김갑순 후손, 행정도시 주변 '조상땅' 되찾아 오마이뉴스 2005.09.14
- [조용헌의 八字기행] 조상 묫자리 덕에 구한말 갑부 된 김갑순…노비로 태어나 부동산 투기로 축재 매일경제 2012.07.30