達古武湖
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(達古武沼から転送)
達古武湖 | |
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所在地 | 北海道(釧路総合振興局) |
位置 | 北緯43度06分19秒 東経144度29分03秒 / 北緯43.10528度 東経144.48417度座標: 北緯43度06分19秒 東経144度29分03秒 / 北緯43.10528度 東経144.48417度 |
面積 | 1.31[1] km2 |
周囲長 | 4.9 km |
最大水深 | 3.0 m |
平均水深 | 1.9 m |
貯水量 | 0.0026 km3 |
水面の標高 | 3 m |
成因 | 海跡湖 |
淡水・汽水 | 淡水 |
湖沼型 | 腐食型 |
透明度 | - m |
プロジェクト 地形 |
達古武湖(たっこぶこ)は、北海道東部、釧路町にある淡水湖。釧路湿原国立公園に含まれる。達古武沼とも呼ばれる。
地理
[編集]名称の由来
[編集]アイヌ語の「タㇷ゚コㇷ゚(tapkop)」(ぽこんと盛り上がっている小山)に由来すると考えられ、湖の北側に釧路川に向かって伸びる丘陵の先が盛り上がっている様を表しているとされる[2]。
歴史
[編集]成因は海の後退による海跡湖。元内閣総理大臣である米内光政と元海軍制服組によって1946年(昭和21年)4月、北海道牧場株式会社(通称 霞ヶ関牧場)が発足したが、1952年(昭和27年)に経営破綻。現在、農場跡地はオートキャンプ場に転用されている。[要出典]
元の農場主の、杉田巻太郎(大垣共立銀行監査役)は、明治末期に安田善次郎の勧めでこの地を購入した。杉田巻太郎は別荘を設置していた。太平洋戦争終戦後、杉田巻太郎の子にあたる杉田主馬(米内の海軍大臣期の副官)、小島秀雄(元海軍少将・ドイツ駐在武官)、麻生孝雄(米内大臣副官)の勧めで米内が経営に参加する。米内の死後、農地は竹中工務店(米内の三女和子の夫が竹中家16代目・竹中錬一)が所有し、1962年、地元の農家に一部を売却、その後全てを売却。現在オートキャンプ場となっている。
自然
[編集]釧路湿原国立公園の指定区域。
1970年代の魚類調査では、スナヤツメ、イトウ、アメマス、エゾイワナ、ワカサギ、ウグイ、エゾウグイ、ヤチウグイ、コイ、フナ、ウナギ、イバラトミヨ、ウキゴリ、ジュズカケハゼ、ヌマチチブ、ハナカジカが見られた[3]。冬季はワカサギ釣りが盛んである。
利用
[編集]北東岸にオートキャンプ場が整備されており、カヌーなどが利用できる。
交通
[編集]関連項目
[編集]- 米内光政 - 元内閣総理大臣、元海軍大将。引退して下野したのち、昭和21年から昭和23年4月20日死去までの間、達古武沼で北海道牧場株式会社(通称:霞ヶ関牧場)を起業し、経営。製品は「霞ヶ関バター」と称した。
- 日本の湖沼一覧
- ラムサール条約
- 釧路湿原
- 釧路湿原国立公園
- 釧路町
脚注
[編集]- ^ 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積” (PDF). 2015年3月8日閲覧。
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、270頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 針生勤「釧路湿原に生息する魚 塘路湖・春採湖」、『日本の湖沼と渓谷』第1巻(北海道 I)(ぎょうせい、1987年)79頁表。
参考文献
[編集]- 『ザひがしホッカイドウ・no7』(1993年 東北海道社発行)142p