西村丹治郎
表示
西村 丹治郎(にしむら たんじろう、慶應2年10月22日(1866年11月28日) - 昭和12年(1937年)12月20日[1])は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党→革新倶楽部→立憲民政党)。
経歴
[編集]備中国下道郡秦村(現在の岡山県総社市)の板野家に生まれ、高梁町の西村鶴太郎の養子となった[2]。1890年(明治23年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)政治経済科を卒業した[2]。卒業後は2年にわたって欧米に留学して、政治学・経済学を学び[3]、帰国後は新聞記者の職に従事した。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、14回の当選を重ねた。その間、第2次若槻内閣で農林政務次官を務めた。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『岡山県吉備郡案内誌』吉備郡案内誌編纂会、1926年。
- 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。