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若林 (世田谷区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 東京都 > 世田谷区 > 世田谷地域 > 若林 (世田谷区)
若林
町丁
若林踏切(東急世田谷線・環七通り)
地図北緯35度38分46秒 東経139度39分36秒 / 北緯35.646度 東経139.659964度 / 35.646; 139.659964
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京
特別区 世田谷区
地域 世田谷地域
人口情報2025年(令和7年)1月1日現在[1]
 人口 19,695 人
 世帯数 11,852 世帯
面積[1]
  0.89 km²
人口密度 22129.21 人/km²
郵便番号 154-0023[2]
市外局番 03(東京MA[3]
ナンバープレート 世田谷
ウィキポータル 日本の町・字
東京都の旗 ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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若林(わかばやし)は、東京都世田谷区町名。現行行政地名は若林一丁目から若林五丁目。住居表示実施済区域。

地理

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世田谷区中央部に位置する。北で代田、北東で代沢、東で世田谷区太子堂、南で三軒茶屋、南西で上馬、西で世田谷区世田谷、北西で梅丘と隣接する。いわゆる「環七」である東京都道318号環状七号線が、南北を横切る。環七と東急世田谷線が交差する付近に同線若林駅世田谷区役所付近に同じく松陰神社前駅がある。環七を横切る世田谷線の若林踏切信号踏切(第4種踏切)で、環七の交通が優先されており、公共交通機関であるはずの電車優先ではない、比較的珍しい踏切である。

地価

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住宅地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、若林2-5-8の地点で77万1000円/m2、若林3-27-5の地点で73万8000円/m2、若林5-11-8の地点で74万2000円/m2となっている[4]

歴史

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「若林」は1401年応永8年)に調布市深大寺の僧、花光坊長弁によって著された「私案抄」に初めて登場する。1585年天正13年)には世田谷城吉良氏朝が家臣の周防上野介に「若林分」を分け与えている。

江戸時代には荏原郡世田谷領若林村となり、正保元禄の頃より千人同心志村氏の知行となった。1672年寛文12年)長州藩が小名西三谷1万8300坪の土地を買い取り、抱屋敷とした。現在の若林4丁目一帯は藩主毛利氏の官位「大膳大夫」に因み大夫山、あるいは長州山と俗称された。1863年文久3年)吉田松陰小塚原回向院から長州藩屋敷内に改葬され、1882年明治15年)松陰神社が建立された。

1888年明治22年)町村制施行により若林一帯は世田谷村大字となった。1928年昭和3年)より1931年(昭和6年)まで、237番地(現:若林三丁目15番1号)に北原白秋が居住している。1932年(昭和7年)より世田谷区若林町。戦後、住居表示により1966年昭和41年)に若林一丁目から若林四丁目、1968年(昭和43年)に若林五丁目が成立し、現在に至る。

太平洋戦争後に日本に進駐したアメリカ軍(進駐軍)の高級将校用慰安所として、終戦直後の1945年11月に世田谷区若林に「RAAクラブ」が設置されたが、翌年8月に廃止されている。


地名の由来

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若林とは、新田を意味する古い表現、または開発造成され植林された若いの並んでいるところを指すと考えられているが、正確な由来は不詳である。

町名の変遷

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実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
若林一丁目 1966年11月15日 若林町の一部
若林二丁目 若林町、太子堂町の各一部
若林三丁目 若林町、世田谷1の各一部
若林四丁目 若林町、世田谷1の各一部
若林五丁目 若林町の一部

世帯数と人口

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2025年(令和7年)1月1日現在(世田谷区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
若林一丁目 2,940世帯 4,633人
若林二丁目 2,147世帯 3,786人
若林三丁目 2,280世帯 3,551人
若林四丁目 2,534世帯 4,281人
若林五丁目 1,951世帯 3,444人
11,852世帯 19,695人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[5]
17,504
2000年(平成12年)[6]
18,026
2005年(平成17年)[7]
18,152
2010年(平成22年)[8]
18,531
2015年(平成27年)[9]
19,161
2020年(令和2年)[10]
20,116

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[5]
8,865
2000年(平成12年)[6]
9,835
2005年(平成17年)[7]
10,293
2010年(平成22年)[8]
10,445
2015年(平成27年)[9]
10,892
2020年(令和2年)[10]
11,593

学区

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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年8月時点)[11]

丁目 番地 小学校 中学校
若林一丁目 11~32番 世田谷区立若林小学校 世田谷区立世田谷中学校
1~10番 世田谷区立三軒茶屋小学校 世田谷区立太子堂中学校
33〜41番 世田谷区立太子堂小学校
若林二丁目 1~5番
6番1~9号
6番13号~最終号
7番29号
6番10〜12号
7番1〜28・30号
8〜41番
世田谷区立若林小学校 世田谷区立世田谷中学校
若林三丁目 全域
若林四丁目 1~40番
41番 世田谷区立山崎小学校
若林五丁目 20~25番
1〜19番
26〜41番
世田谷区立若林小学校

事業所

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2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[12]

丁目 事業所数 従業員数
若林一丁目 114事業所 1,506人
若林二丁目 71事業所 425人
若林三丁目 102事業所 707人
若林四丁目 136事業所 1,199人
若林五丁目 72事業所 500人
495事業所 4,337人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[13]
526
2021年(令和3年)[12]
495

従業員数の変遷

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経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[13]
4,154
2021年(令和3年)[12]
4,337

施設

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史跡

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出身・ゆかりのある人物

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その他

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日本郵便

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c 令和7年(2025)世田谷区の人口と世帯数(町丁目別)” (CSV). 世田谷区 (2025年1月1日). 2025年3月9日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ a b 若林の郵便番号”. 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  4. ^ 国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2025年3月19日閲覧。
  5. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  6. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  7. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  11. ^ 通学区域”. 世田谷区 (2024年8月30日). 2025年3月11日閲覧。
  12. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  13. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  14. ^ 郵便番号簿 2024年度版” (PDF). 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。

外部リンク

[編集]

※代沢とは道路上の一点で接する。