肥 (春秋)
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不詳 - 紀元前530年 | |
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国姓 | 不詳 |
爵位 | 不詳 |
国都 | 河北省石家荘市藁城区一帯 |
分封者 | 不詳 |
始祖 | 不詳 |
最後の君主 | 綿皋 |
滅亡原因 | 晋により滅亡 |
史書の記載 | 『春秋左氏伝』昭公十二年 |
周朝諸侯国一覧 |
肥(ひ)は、先秦の小型諸侯国。現在の河北省石家荘市藁城区一帯を領した。
肥は白狄が建立し、一説では姫姓。紀元前530年、晋の荀呉は斉軍と合流すると偽り、鮮虞に道を借り、鼓の都城の昔陽を攻めた。八月、晋軍は肥を滅ぼし、肥の君主の綿皋を捕虜とした。肥の旧領は晋に併合された[1](晋滅肥・伐鮮虞の戦い)。一部の移民は現在の河北省秦皇島市盧竜県の境内に遷され、肥如を称した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 《中国歴史大辞典》