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織田長亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
織田長亮
時代 江戸時代中期
生誕 元禄11年(1698年
死没 享保18年6月7日1733年7月17日
改名 輔世(初名)→長亮
別名 通称:又助
墓所 東京都港区泉岳寺
官位 従五位下肥前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家継吉宗
大和芝村藩
氏族 織田氏(長益系長政流)
父母 父:織田長清、養父:織田長弘
兄弟 衛保長弘長善長亮、宗諄、
宝寿院行快室など8男2女
正室:細川有孝養女
輔宜益聡長教南部信興正室、
本善寺住詮室など3男4女
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織田 長亮(おだ ながあき)は、江戸時代中期の大名大和国芝村藩6代藩主。通称は又助。官位従五位下肥前守。長政流織田家6代。

生涯

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4代藩主・織田長清の五男として戒重にて誕生。初名は輔世

正徳4年(1714年9月23日、兄の5代藩主・長弘末期養子として家督を相続する。同年10月1日、7代将軍・徳川家継御目見する。同年12月18日、従五位下肥前守に叙任する。享保6年(1721年)2月、飯倉片町にあった江戸上屋敷が全焼し、3月に参勤交代の延期を許可される。

享保18年(1733年)6月7日、江戸において死去、享年36。墓所は高輪・泉岳寺

系譜

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子女は3男4女。