第6即応機動連隊
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第6即応機動連隊 | |
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実弾射撃を行う機動戦闘車中隊の16式機動戦闘車 | |
創設 | 1954年(昭和29年)7月1日 |
廃止 | (第6普通科連隊) |
再編成 |
2023年(令和3月16日 (第6即応機動連隊)[1] | 5年)
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 即応機動連隊 |
人員 | 約650名 |
所在地 | 北海道 網走郡美幌町 |
編成地 | 宇都宮 |
上級単位 | 第5旅団 |
担当地域 | 北見市、網走市、網走郡 |
第6即応機動連隊(だいろくそくおうきどうれんたい、JGSDF 6th Rapid Deployment Regiment)は、北海道網走郡美幌町の美幌駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第5旅団隷下の即応機動連隊である。
概要
[編集]1951年(昭和26年)5月に警察予備隊の第6連隊として宇都宮駐屯地において編成されて以来幾多の改編、移駐を経て、2023年(令和5年)3月に陸上自衛隊で6隊目の即応機動連隊に改編された[2]。
連隊本部、3個普通科中隊、火力支援中隊、機動戦闘車中隊により編成される。連隊長は1等陸佐をもって充てられ、美幌駐屯地司令を兼ねる。
沿革
[編集]第6連隊
- 連隊本部及び第1大隊、第2大隊は宇都宮駐屯地に駐屯。
- 第3大隊は船岡駐屯地に駐屯。
- 1952年(昭和27年)
- 1月19日:部隊改編。以下の部隊を編合して再編成。
- 第3連隊本部(高田駐屯地)を第6連隊本部に改編。
- 第62連隊第2大隊(美幌駐屯地)を第1大隊に改編。
- 第4連隊第3大隊(遠軽駐屯地)を第2大隊に改編。
- 第1連隊第2大隊(久里浜駐屯地)を第3大隊に改編。
※当初は連隊本部が高田駐屯地にあり、それぞれの大隊が遠距離にあるという特性があった。
- 1月26日:連隊本部が高田駐屯地から美幌駐屯地に移駐。
- 10月18日:連隊隷下に駐屯地管理隊・福祉隊(後の美幌駐屯地業務隊)が編成。
- 1953年(昭和28年)
- 2月5日:第3大隊が久里浜駐屯地より旭川駐屯地に移駐。これにより連隊全部が北海道に移駐したことになる。
- 9月1日:駐屯地管理隊・福祉隊が美幌駐屯地業務隊に改編。
第6普通科連隊
- 第6普通科連隊を再編。本部管理中隊、4個普通科中隊及び重迫撃砲中隊の編成となる。
- 第6普通科連隊第2大隊(遠軽駐屯地)が第25普通科連隊へと改編され、第2師団の隷下部隊となる。
- 1966年(昭和41年)
- 1968年(昭和43年)3月31日:連隊の64式小銃の充足率が82%になる。
- 1971年(昭和46年)4月8日:60式自走106mm無反動砲新装備。
- 1980年(昭和55年)9月:84mm無反動砲16門が新装備される。
- 1984年(昭和59年)10月10日:信号雷管爆発事故が起きる(然別演習場、2名殉職)。
- 1987年(昭和62年)9月27日:自衛隊装備展「防衛フェア・イン・北見」開催。
- 1989年(平成元年)3月24日:師団改編により完全自動車化連隊となる。
- 本部管理中隊の人事班が連隊本部班の隷下に異動。
- 本部管理中隊に輸送小隊が新編。
- 各普通科中隊に64式対戦車誘導弾が配備され無反動砲小隊が対戦車小隊に改編。
- 小銃小隊の1個班の編成が11名から10名になる。
- 1991年(平成 3年)8月1日:「新たな人員充足管理」に基づく隊務運営の試行に伴う編成を完結、第4普通科中隊が特定中隊として32名編成となる。
- 1993年(平成 5年)11月29日:89式小銃の取扱普及教育実施(30日まで)。
- 2004年(平成16年)
第6即応機動連隊
警備隊区
[編集]北見市、網走市、網走郡(美幌町、津別町、斜里町、清里町、小清水町、訓子府町、置戸町、大空町)の2市8町[5]。
部隊編成
[編集]- 第6即応機動連隊本部(RHQ) - 82式指揮通信車(CCV)
- 第1科(S-1) - 人事 - 第1科広報室
- 第2科(S-2) - 情報
- 第3科(S-3) - 作戦(運用訓練)
- 第4科(S-4) - 兵站
- 最先任上級曹長(CSM)
- 本部管理中隊(HSCo)「6即機-本」
- 中隊本部
- 連隊本部班
- 補給小隊(SupPt)
- 通信小隊(SigPt)
- 衛生小隊(MedPt)
- 情報小隊(IntPt) - 軽装甲機動車(LAV)、偵察用オートバイ
- 施設作業小隊(PiPt)- 75式ドーザ
- 対戦車小隊(普通科)(ATPt) - 中距離多目的誘導弾システム(MMPM)
- 高射小隊(高射特科)(AAPt) - 93式近距離地対空誘導弾(近SAM)
- 第1普通科中隊(1Co)「6即機-1」
- 中隊本部 - 運用訓練幹部、各係幹部および陸曹等、狙撃班など
- 第1小隊(1Pt) - 96式装輪装甲車(WAPC)
- 第2小隊(2Pt) - 96式装輪装甲車(WAPC)
- 第3小隊(3Pt) - 96式装輪装甲車(WAPC)
- 迫撃砲小隊(MPt) - 高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 第2普通科中隊(2Co)「6即機-2」
- 中隊本部 - 運用訓練幹部、各係幹部および陸曹等、狙撃班など
- 第1小隊(1Pt) - 96式装輪装甲車(WAPC)
- 第2小隊(2Pt) - 96式装輪装甲車(WAPC)
- 第3小隊(3Pt) - 96式装輪装甲車(WAPC)
- 迫撃砲小隊(MPt) - 高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 第3普通科中隊(3Co)「6即機-3」
- 中隊本部 - 運用訓練幹部、各係幹部および陸曹等、狙撃班など
- 第1小隊(1Pt) - 96式装輪装甲車(WAPC)
- 第2小隊(2Pt) - 96式装輪装甲車(WAPC)
- 第3小隊(3Pt) - 96式装輪装甲車(WAPC)
- 迫撃砲小隊(MPt) - 高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 火力支援中隊「6即機-火支」 - 120mm迫撃砲 RT
- 機動戦闘車中隊「6即機-戦」 - 16式機動戦闘車(MCV)、96式装輪装甲車(WAPC)、軽装甲機動車(LAV)
第6普通科連隊時の編成
[編集]- 第6普通科連隊本部
- 本部管理中隊「6普-本」:82式指揮通信車、
- 中隊本部
- 連隊本部班
- 重迫撃砲小隊:120mm迫撃砲 RT
- 情報小隊:軽装甲機動車、偵察用オートバイ
- 施設作業小隊
- 通信小隊
- 補給小隊
- 衛生小隊
- 第1普通科中隊「6普-1」:96式装輪装甲車
- 第2普通科中隊「6普-2」:高機動車
- 第3普通科中隊「6普-3」:高機動車
廃止部隊
[編集]整備支援部隊
[編集]第6普通科連隊
第6即応機動連隊
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
---|---|---|---|---|
第6即応機動連隊長 兼 美幌駐屯地司令 |
1等陸佐 | 中津健士 | 2024年 | 3月18日西部方面総監部防衛部訓練課長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|
1 | 高田裕三 (2等警察正) |
1951年 | 5月 1日 - 1952年 1月 3日||
2 | 野瀬定一 (2等警察正) |
1952年 | 1月 4日 - 1952年 6月 7日第3連隊長 兼 高田駐とん地部隊長 |
|
3 | 北森信男 (1等警察正) |
1952年 | 6月17日 - 1952年 8月22日久里浜学校隊所属 | |
4 | 久保田茂 (1等警察正) |
1952年 | 8月23日 - 1954年 8月24日富士学校綜合研究室長 | |
5 | 遠山弥兵衛 | 1954年 | 8月25日 - 1956年 8月15日第2管区総監部第2部長 | 第6管区総監部付 |
6 | 出口敦 | 1956年 | 8月16日 - 1959年 7月31日札幌駐とん地業務隊長 | 第1管区総監部付 |
7 | 溝口昌弘 | 1959年 | 8月 1日 - 1961年 7月31日第4普通科連隊第3大隊長 | 陸上幕僚監部付 |
8 | 田畑良一 | 1961年 | 8月 1日 - 1963年 3月24日陸上幕僚監部第5部研究室長 | 陸上幕僚監部付 |
9 | 松田祐武 | 1963年 | 3月25日 - 1965年 3月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 防衛大学校教授 |
10 | 庭屋陽之助 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 3月15日東部方面総監部第1部勤務 | 陸上幕僚監部第1部広報班長 |
11 | 島谷敬一 | 1967年 | 3月16日 - 1969年 3月16日陸上自衛隊幹部学校勤務 | 陸上自衛隊富士学校研究部第1課長 |
12 | 山崎忠彦 | 1969年 | 3月17日 - 1971年 7月15日北部方面総監部業務室長 | 陸上幕僚監部第1部勤務 |
13 | 安田嘉一 | 1971年 | 7月16日 - 1973年 7月15日統合幕僚会議事務局第2幕僚室勤務 | 陸上自衛隊調査学校情報教育課長 |
14 | 上田友三郎 | 1973年 | 7月16日 - 1975年 7月15日第1師団司令部第3部長 | 陸上幕僚監部第5部訓練演習班長 |
15 | 柴崎育弘 | 1975年 ※1977年 7月 1日 陸将補昇任 |
7月16日 - 1977年 7月31日統合幕僚会議事務局第3幕僚室勤務 | 第3師団副師団長 兼 千僧駐とん地司令 |
16 | 高田敬一 | 1977年 | 8月 1日 - 1979年 3月15日自衛隊岐阜地方連絡部長 | 陸上自衛隊富士学校普通科部副部長 |
17 | 小林司郎 | 1979年 | 3月16日 - 1981年 3月16日装備開発実験隊勤務 | 陸上自衛隊少年工科学校第1教育部長 |
18 | 三塚弘之 | 1981年 | 3月16日 - 1983年 3月15日陸上自衛隊富士学校付 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課 服務班長 |
19 | 上村享 | 1983年 | 3月16日 - 1984年 7月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上自衛隊調査学校学校教官 |
20 | 村上興宣 | 1984年 | 8月 1日 - 1986年 7月31日東部方面総監部人事部人事課長 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
21 | 吉田耕平 | 1986年 | 8月 1日 - 1989年 3月31日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 学校第2班長 |
警務隊副隊長 |
22 | 小原武史 | 1989年 | 4月 1日 - 1992年 3月15日北部方面総監部人事部人事課長 | 自衛隊茨城地方連絡部長 |
23 | 山本允典 | 1992年 | 3月16日 - 1994年 3月22日北部方面総監部防衛部訓練課長 | 陸上自衛隊幹部学校主任教官 |
24 | 井上廣司 | 1994年 | 3月23日 - 1996年 6月30日陸上幕僚監部防衛部運用課勤務 | 陸上幕僚監部人事部厚生課長 |
25 | 矢野義昭 | 1996年 | 7月 1日 - 1998年12月 7日陸上幕僚監部教育訓練部訓練課 演習班長 |
統合幕僚会議事務局第4幕僚室 後方補給運用調整官 兼 後方補給班長 |
26 | 市川卓治 | 1998年12月 | 8日 - 2000年 6月29日陸上幕僚監部付 | 陸上幕僚監部調査部調査課 調査運用室長 |
27 | 佐藤秀樹 | 2000年 | 6月30日 - 2003年 3月26日陸上幕僚監部人事部補任課 人事第2班長 |
第4師団司令部幕僚長 |
28 | 須田俊彦 | 2003年 | 3月27日 - 2005年 7月31日陸上自衛隊幹部学校付 | 東部方面総監部総務部広報室長 |
29 | 服部清光 | 2005年 | 8月 1日 - 2007年 3月27日陸上自衛隊富士学校普通科部 研究課長 |
北部方面総監部総務部 地域連絡調整課長 |
30 | 竹下秀毅 | 2007年 | 3月28日 - 2009年 3月23日東部方面総監部人事部援護業務課長 | 自衛隊体育学校第2教育課長 |
31 | 照井康弘 | 2009年 | 3月24日 - 2011年 7月31日技術研究本部 技術開発官(誘導武器担当)付 第3開発室長 |
陸上自衛隊研究本部研究員 |
32 | 池田重則 | 2011年 | 8月 1日 - 2013年 7月31日陸上自衛隊幹部学校付 | 中部方面総監部装備部後方運用課長 |
33 | 野村昌二 | 2013年 | 8月 1日 - 2015年 7月31日陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課陸上連絡官 |
国際活動教育隊長 兼 駒門駐屯地司令 |
34 | 川村恭也 | 2015年 | 8月 1日 - 2017年11月30日東部方面総監部総務部 地域連絡調整課長 |
仙台駐屯地業務隊長 |
35 | 降籏慎生 | 2017年12月 | 1日 - 2019年11月30日中部方面総監部人事部援護業務課長 | 自衛隊愛知地方協力本部募集課長 |
36 | 佐藤靖倫 | 2019年12月 | 1日 - 2022年 3月13日第3陸曹教育隊長 | 陸上自衛隊東北補給処装備計画部 企画課長 |
末 | 河村友則 | 2022年 | 3月14日 - 2023年 3月15日陸上幕僚監部運用支援・訓練部訓練課 総括班長 |
第6即応機動連隊長 兼 美幌駐屯地司令 |
第6即応機動連隊長 | ||||
1 | 河村友則 | 2023年 | 3月16日 - 2024年 3月17日第6普通科連隊長 兼 美幌駐屯地司令 |
第12旅団司令部幕僚長 |
2 | 中津健士 | 2024年 | 3月18日 -西部方面総監部防衛部訓練課長 |
主要装備
[編集]- 16式機動戦闘車
- 96式装輪装甲車
- 82式指揮通信車
- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 偵察用オートバイ
- 89式5.56mm小銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 12.7mm重機関銃
- 84mm無反動砲
- 01式軽対戦車誘導弾
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 防衛省発令(1佐職人事)2023年3月16日付
- ^ “第6即応機動連隊に改編 2023年03月30日の記事 == 株式会社伝書鳩|経済の伝書鳩|北見・網走・オホーツクのフリーペーパー ==”. 北見・網走・オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩. 2023年5月6日閲覧。
- ^ “陸自第5旅団「機動旅団」改編 帯広に第5情報隊新設(十勝毎日新聞)”. 十勝毎日新聞電子版. 十勝毎日新聞社. 2023年3月20日閲覧。 “16日、第6普通科連隊(美幌駐屯地)を「第6即応機動連隊」へと改編することを発表した。”
- ^ 「帯広・第5旅団、機動旅団に 南西諸島にも展開可能に 有事に備え改編」『北海道新聞』2023年3月22日。2023年3月24日閲覧。
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
“防衛省人事発令”. 2015年8月1日閲覧。
関連項目
[編集]- 寺島泰三:部隊OB