第10戦車大隊
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第10戦車大隊 | |
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観閲行進をする第10戦車大隊長と74式戦車 | |
創設 | 1962年(昭和37年)1月18日 |
廃止 | 2024年(令和6年)3月20日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 大隊 |
兵科 | 機甲科 |
兵種/任務 | 戦車 |
所在地 | 滋賀県高島市 |
編成地 | 今津 |
上級単位 | 第10師団 |
担当地域 | 中部 |
第10戦車大隊(だいじゅうせんしゃだいたい、JGSDF 10th Tank Battalion)は、滋賀県高島市の今津駐屯地に駐屯していた、陸上自衛隊第10師団隷下の機甲科部隊である。2024年(令和6年)3月20日に廃止された[1]。
概要
[編集]1962年(昭和37年)1月、第10師団編成に伴い、初代大隊長 中川2佐のもと、第14普通科連隊特車中隊を基幹として、第15普通科連隊衛生小隊および第10偵察中隊の要員175名[2]をもって編成された。編成当初は米軍から供与されたM24軽戦車を装備していた。M24軽戦車は1973年に61式戦車に更新され、1989年以降は74式戦車を装備している[2]。部隊マークは、”金の鯱”司令部のある名古屋にちなんで金の鯱をモチーフとしている。隊員の部活動として、和太鼓チーム(自衛太鼓)滋賀十戦太鼓が結成されており、自衛隊音楽まつり、中部方面隊音楽まつり、駐屯地創立記念行事などで演奏を披露していた。
沿革
[編集]- 1962年(昭和37年)1月18日:第10戦車大隊が今津駐屯地で編成完結(3個戦車中隊基幹)。
- 1973年(昭和48年)3月7日:61式戦車への換装によりM24軽戦車が退役[2]。
- 1989年(平成元年)3月26日:74式戦車の配備開始[2]。
- 1991年(平成 3年)3月29日:戦車の北転事業の影響により、第3戦車中隊が廃止。
- 2004年(平成16年)3月30日:第10師団の戦略機動師団化による増強改編。
- 2013年(平成25年)3月26日:即応近代化改編により第3戦車中隊および第4戦車中隊を廃止[2]。
- 2023年(令和 5年)11月30日:脱魂式を挙行し、74式戦車が退役[3][4]。
- 2024年(令和 6年)3月20日:部隊廃止により[1]、3月14日に編成改組式を挙行[5]。廃止後は第10偵察隊と統合され、豊川駐屯地に第10偵察戦闘大隊が新編[6][7]。
廃止時の部隊編成
[編集]整備支援部隊
[編集]- 第10後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援中隊:2004年(平成16年)3月27日から2013年(平成25年)3月25日の間。
- 第10後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援隊:2013年(平成25年)3月26日から
歴代の大隊長
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 中川隆晴 | 1962年 | 1月18日 - 1964年 3月15日中部方面総監部付 | |
2 | 渡邊晃米 | 1964年 | 3月16日 - 1967年 3月15日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上自衛隊九州地区補給処総務部長 |
3 | 高見正一 | 1967年 | 3月16日 - 1969年 9月30日陸上自衛隊富士学校勤務 | |
4 | 品川幸生 | 1969年10月 | 1日 - 1972年 3月15日第10戦車大隊副大隊長 | 西部方面総監部第3部勤務 |
5 | 渋谷正夫 | 1972年 | 3月16日 - 1973年 7月15日陸上自衛隊幹部学校付 | 陸上自衛隊幹部学校 |
6 | 永野稔 | 1973年 | 7月16日 - 1975年 7月15日第6師団司令部勤務 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
7 | 林孝恒 | 1975年 | 7月16日 - 1978年 7月15日第9師団司令部勤務 | 戦車教導隊副隊長 |
8 | 木場隆二 | 1978年 | 7月16日 - 1980年 7月31日陸上自衛隊幹部学校勤務 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
9 | 阪口恭平 | 1980年 | 8月 1日 - 1982年 7月31日陸上自衛隊富士学校勤務 | 第1師団司令部第2部長 |
10 | 伊東一憲 | 1982年 | 8月 1日 - 1984年 7月31日陸上幕僚監部監理部総務課勤務 | 陸上幕僚監部付 |
11 | 小西正徳 | 1984年 | 8月 1日 - 1986年 7月31日装備開発実験隊勤務 | 陸上幕僚監部装備部開発課総括班長 |
12 | 多田克昭 | 1986年 | 8月 1日 - 1988年 3月15日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
13 | 桜井祥二 | 1982年 | 8月 2日 - 1990年 3月25日東部方面総監部防衛部勤務 | 装備開発実験隊勤務 |
14 | 工藤敏生 | 1990年 | 3月26日 - 1992年 3月22日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
15 | 平賀邦明 | 1992年 | 3月23日 - 1993年 7月31日陸上幕僚監部調査部調査第1課勤務 | |
16 | 赤間幸夫 | 1993年 | 8月 1日 - 1995年 7月31日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上自衛隊会計監査隊北部方面分遣隊副隊長 |
17 | 大谷次郎 | 1995年 | 8月 1日 - 1998年 3月22日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上幕僚監部調査部調査課勤務 |
18 | 豊田勇 | 1998年 | 3月23日 - 1999年 7月31日陸上幕僚監部防衛部研究課勤務 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
19 | 柴田昭市 | 1999年 | 8月 1日 - 2001年 7月31日陸上幕僚監部人事部補任課勤務 | 陸上幕僚監部装備部開発課勤務 |
20 | 明和秀三 | 2001年 | 8月 1日 - 2002年 3月22日陸上幕僚監部教育訓練部訓練課勤務 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
21 | 中村和幸 | 2002年 | 3月23日 - 2005年 7月31日陸上幕僚監部副監察官 | 第10師団司令部第1部長 |
22 | 藤本良樹 | 2005年 | 8月 1日 - 2007年 7月31日陸上自衛隊施設学校勤務 | |
23 | 岩永真太郎 | 2007年 | 8月 1日 - 2009年 7月31日西部方面総監部勤務 | |
24 | 渡瀬隆二 | 2009年 | 8月 1日 - 2011年 7月31日||
25 | 長野伸二 | 2011年 | 8月 1日 - 2013年 7月31日陸上自衛隊富士学校機甲部 | 陸上自衛隊幹部候補生学校 |
26 | 下玉利太 | 2013年 | 8月 1日 - 2016年 3月22日陸上自衛隊富士学校機甲部 | 自衛隊高知地方協力本部募集課長 |
27 | 加藤忠幸 | 2016年 | 3月23日 - 2018年 7月31日陸上自衛隊富士学校機甲科部教育課企画係長 | 第5後方支援隊副隊長 |
28 | 淸藤謙 | 2018年 | 8月 1日 - 2020年 3月 日第5後方支援隊副隊長 | |
29 | 鈴木崇大 | 2020年 | 3月 日 - 2022年 3月 日||
30 | 佐々木俊 | 2022年 | 3月 日 - 2024年 3月20日第6後方支援連隊副連隊長 |
主要装備
[編集]過去の装備
[編集]廃止部隊
[編集]- 第3戦車中隊「10戦-3」:1991年(平成3年)3月28日廃止。2004年(平成16年)3月27日再編成。2013年(平成25年)3月25日再び廃止。
- 第4戦車中隊「10戦-4」:2004年(平成16年)3月27日新編。2013年(平成25年)3月25日廃止。
脚注
[編集]- ^ a b 陸上自衛隊 今津駐屯地 [@imazu_camp_team] (2024年3月20日). "3月20日(水) 第10戦車大隊 は部隊廃止となり、62年間の歴史に幕を下ろしました。". X(旧Twitter)より2024年3月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g 第10戦車大隊の歴史
- ^ 陸上自衛隊 今津駐屯地 [@imazu_camp_team] (2023年12月8日). "第10戦車大隊は「74式戦車脱魂式」を実施しました。1974年以来49年間にわたる活躍に敬意を表し、その労をねぎらうとともに、体制移行に向け決意を新たにしました。". X(旧Twitter)より2024年2月27日閲覧。
- ^ 「第10戦車大隊脱魂式」『丸』第936巻、潮書房、2024年4月。
- ^ 陸上自衛隊第10師団 [@JGSDF_MA_10D] (2024年3月24日). "【第10戦車大隊 編成改組式】". X(旧Twitter)より2024年3月24日閲覧。
- ^ “ぼうえい 東海防衛だより 2023 令和5年 冬”. p. 4. 2024年2月19日閲覧。 “第10特科連隊の活動など”
- ^ “陸自豊川駐屯地で「第10偵察戦闘大隊」編成完結式”. 東愛知新聞 (2024年3月22日). 2024年3月22日閲覧。
参考文献
[編集]- PANZER臨時増刊 ウォーマシンレポート50 陸上自衛隊の戦車部隊 その歴史と現状 アルゴノート社 2016年
- 陸上自衛隊機甲科全史 菊池征男著 イカロス出版 2017年
- 創隊15周年記念写真集 第10戦車大隊編 1977年