第百七十三号哨戒特務艇
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第百七十三号哨戒特務艇 | |
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工事中の第百七十三号哨戒特務艇 (1945年1月10日、徳島合同造船) | |
基本情報 | |
建造所 |
船体:徳島合同造船[注釈 1] 兵装艤装:呉海軍工廠 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 特務艇(哨戒特務艇) |
級名 | 第一号型哨戒特務艇 |
建造費 | 1,350,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
竣工 | 1945年3月26日 |
最期 |
1945年3月29日触雷沈没 1945年5月18日浮揚後被爆沈没 |
除籍 | 1945年7月1日 |
その後 | 1947年11月22日解体指令 |
要目 | |
基準排水量 | 238トン |
水線長 | 28.50m |
水線幅 | 6.14m |
吃水 | 2.35m |
機関 | 400型中速ディーゼル1基、1軸 |
出力 | 400bhp |
速力 | 9.0ノット |
燃料 | 重油26トン |
航続距離 | 8ノットで4,000カイリ |
乗員 | 34名 |
兵装 |
25mm機銃 連装1基、単装2基 爆雷12個 |
搭載艇 | 短艇1隻 |
レーダー | 13号電探1基 |
ソナー | 三式水中探信儀1基 |
第百七十三号哨戒特務艇[注釈 2](だいひゃくななじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の67番艇[注釈 3]。竣工3日後に沈没した。
艇歴
[編集]マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の173番艇、仮称艦名第2293号艦として計画。1944年11月5日、第百七十三号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の63番艇に定められ[注釈 3]、本籍を佐世保鎮守府と仮定。1945年1月29日、船体概成により徳島合同造船株式会社[注釈 1]から呉海軍工廠へ引き渡し。3月26日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、連合艦隊第二十二戦隊第一監視艇隊に編入。
3月29日、若松港で触雷し沈没した。5月18日浮揚し、林兼重工業彦島造船所岸壁に繋留された。
7月1日、第百七十三号哨戒特務艇は第一監視艇隊から削除され、本籍を佐世保鎮守府とした定めを解かれた[注釈 4]。その後の空襲により被爆して艇橋を喪失し、上部構造物を露出した状態で沈没した。
1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められた。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から日本に対し、本艇の解体が指令され、解体された。
脚注
[編集]- 注釈
- ^ a b 建造所名は昭和19年11月5日付 達第363号の表記に従う。
- ^ 本来の艇名表記は第百七十三號哨戒特務艇。
- ^ a b 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は63番艇、これら4隻を含めると通算で67番艇となる。なお、第86号哨戒特務艇(仮称艦名第2206号艦)と第166号哨戒特務艇は特務艇類別等級別表に登載されていないため、法令上の「何番艇」に含めることが出来ない。
- ^ 本艇の特務艇類別等級別表からの削除は、2015年現在公開中の内令では確認できない。
- 脚注
参考文献
[編集]- 海軍省、復員庁
- 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
- 昭和20年3月26日付 内令第264号ノ2、内令第264号ノ3。
- 昭和20年7月1日付 内令第587号、内令第589号。
- 昭和20年7月16日付 秘海軍公報 第5070号。
- 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
- 在東京アメリカ極東海軍司令部
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
- (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。