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磯崎功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 磯崎 功 
Isao ISOZAKI
基本情報
名前 磯崎 功
生年月日 (1955-08-20) 1955年8月20日(69歳)
身長 168 cm (5 ft 6 in)
体重 63 kg (139 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県
経歴
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磯崎 功(いそざき いさお、1955年8月20日 - )は神奈川県出身のプロゴルファー

来歴

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厚木市立睦合中学校卒業後の1975年にプロ入りし[1]1981年東芝太平洋マスターズでは初日に6アンダー[2]66のコースレコードで首位に立つ[3]。好調なアプローチで7バーディーのうち4バーディーを1m以内に寄せ、ダニー・エドワーズアメリカ)に1打差付けて初のトーナメントリーダーとなった[3]。2日目には前日12位のロン・ヒンクル(アメリカ)が65のコース新で一気に首位を奪われ、磯崎は73を叩いて呂西鈞中華民国)・川田時志春に並ばれての5位タイに落ちる[4]。3日目には首位と5打差内の8位に着け[5]、最終日には青木功ボビー・クランペット(アメリカ)、鈴木規夫D.A.ワイブリング(アメリカ)と並んでの7位タイ[6]に入った。

1982年日本国土計画サマーズでは初日に64をマークして首位[7]でスタートし、2日目には杉原輝雄・鈴木と首位タイで並ぶ[8]。3日目には杉原・鈴木と炎天下での激烈な首位争いを演じたが、鈴木と共に14番でボギーを叩き、1オーバー2位タイに後退[9]。最終日には3打差スタートの杉原に前半こそピタリとつけたが、杉原が2個目のバーディーを奪った10番を落とし、鈴木と並んでの2位タイ[10]に終わった。関東オープンでは尾崎将司羽川豊に次ぐと同時に吉武恵治菊地勝司杉本英世中嶋常幸を抑え、小林富士夫と並んでの3位タイ[11]に入った。

1983年には武富士サイパン尾崎直道湯原信光上原宏一高橋勝成出口栄太郎中村稔中川泰一杉田勇と並んでの6位タイ[12]日本プロでは山本善隆増田光彦と並んでの9位タイ[13]に入った。

1984年には島田幸作とペアを組んだアコムダブルス[14]デビッド・イシイ(アメリカ)&湯原信光ペアを抑えて優勝し[15]かながわオープンでは矢部昭河野和重と並んでの4位タイ[16]日本オープンでは藤木三郎草壁政治と並んでの3位タイ[17] [18]に入った。

1985年にはKSB瀬戸内海オープンでは倉本昌弘・小林に次ぐと同時に中松幹雄と並んでの3位タイ[19]ブリヂストン阿蘇オープンでは栗原孝新井規矩雄金子柱憲金井清一安達典夫川上実と並んでの10位タイ[20]よみうりサッポロビールオープンでは陳志明(中華民国)・中村通と並んでの3位タイ[21]サントリーオープンではコリー・ペイビン(アメリカ)、ブライアン・ジョーンズオーストラリア)と並んでの6位タイ[22]に入った。

1987年千葉オープンでは牧野裕中村忠夫長谷川勝治に次ぐと同時に中尾豊健小川清二と並んでの4位タイ[23]に入り、1988年のスポーツ振興オープン[24]で2勝目を挙げた[1]

1989年には水戸グリーンオープン市川幹雄と並んで太田慶治小島昭彦に次ぐ3位タイ[25]に入ったが、1996年のアコムインターナショナル[26]を最後にレギュラーツアーから引退。

2024年現在は入野太と共に山梨県プロゴルファー会会員[27]

主な優勝

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  • 1984年 - アコムダブルス
  • 1988年 - スポーツ振興オープン

脚注

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出典

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  1. ^ a b 磯崎功 イソザキ イサオ ISAO ISOZAKI
  2. ^ 磯崎功 男子プロゴルファー 東芝太平洋マスターズゴルフ 第1日(著作権・スポニチ)
  3. ^ a b 朝日新聞縮刷版p453 昭和56年11月13日朝刊17面「無名の磯崎が首位に 青木3位 ワトソン12位 東芝太平洋マスターズ
  4. ^ 朝日新聞縮刷版p509 昭和56年11月14日朝刊17面「ヒンクル首位奪う 青木、ペイト2差で三位 東芝太平洋マスターズ
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p547 昭和56年11月15日朝刊19面「ヒンクルとエドワーズ首位 青木、一差で追う 東芝太平洋マスターズ
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p579 昭和56年11月16日朝刊19面「エドワーズ初優勝 川田五位青木七位 東芝太平洋マスターズ
  7. ^ 毎日新聞縮刷版p548 昭和57年8月20日朝刊18面
  8. ^ 毎日新聞縮刷版p576 昭和57年8月21日朝刊14面「倉本が予選落ち
  9. ^ 毎日新聞縮刷版p610 昭和57年8月22日朝刊18面「45歳杉原飛び出す 最多記録更新へ 通算42勝目に執念
  10. ^ 毎日新聞縮刷版p634 昭和57年8月23日朝刊18面「杉原、通算43勝目 自己の「最多勝利」更新 国土計画サマーズ・ゴルフ 最終日
  11. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】富士小山ゴルフクラブ。ジャンボ尾崎の1年9か月ぶりの復活。1982年関東オープン
  12. ^ 毎日新聞縮刷版p466 昭和58年3月14日朝刊18面「プレーオフで青木基が優勝 サイパン・ゴルフ
  13. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】紫雲ゴルフ倶楽部。青木功に競り勝ち、中嶋常幸日本タイトル3連勝。1983年日本プロ
  14. ^ 島田幸作さんのご紹介
  15. ^ McCormack, Mark H. (1985). Ebel World of Professional Golf 1985. Springwood Books. pp. 237, 475. ISBN 0862541247 
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p879 昭和59年7月23日朝刊19面
  17. ^ JGA 日本ゴルフ協会【日本オープンゴルフ選手権競技】
  18. ^ 第49回日本オープンゴルフ選手権(1984年)
  19. ^ 朝日新聞縮刷版p1121 昭和60年4月1日朝刊18面
  20. ^ フルリーダーボード ブリヂストン阿蘇オープン 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  21. ^ よみうりサッポロビールオープン 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  22. ^ フルリーダーボード サントリーオープン 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  23. ^ 朝日新聞縮刷版p624 昭和62年7月15日朝刊20面
  24. ^ ABEMAツアー スケジュール 1988 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  25. ^ 【公式】水戸グリーンカントリークラブ
  26. ^ 磯崎 功選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  27. ^ 会員情報|山梨県プロゴルファー会

外部リンク

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