矢部昭
Akira Yabe | |
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基本情報 | |
名前 | 矢部 昭 |
生年月日 | 1946年6月1日(78歳) |
身長 | 172 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 64 kg (141 lb) |
出身地 | 栃木県 |
経歴 | |
成績 | |
優勝回数 | レギュラー:6回/シニア:3回 |
2021年4月23日現在 |
矢部 昭(やべ あきら、1946年6月1日 - )は、栃木県出身のプロゴルファー。
経歴
[編集]中学卒業後に就職先でゴルフを始めてプロを目指すようになり、1965年に19歳でプロテスト合格[1] [2]。
レギュラー時代は172cm、64kgとプロの中では小柄ながらストレートボールを武器にするショットメーカーで[3]、プロゴルフ界随一の軽量プロとして活躍[2]。
1978年のくずは国際では初日に強風で各選手とも苦しむ中でアイアンショットが冴え、アウトを2アンダーでまとめて調子の波に乗り、インも3アンダーと伸ばし、5アンダー65で首位発進を決める[4]。最終日にはブライアン・ジョーンズ( オーストラリア)と横島由一に1打差付け[5]、プロ14年目[5]の31歳で初優勝を飾り[1] [6]、2年ぶりの日本人大会勝利[7]となった。長野県オープンでも小林富士夫・内田繁・新井規矩雄・石井裕士・関水利晃、ベン・アルダ( フィリピン)、草壁政治・川田時志春を抑えて優勝[8]。
1979年には静岡オープンで3日目に風速17mの突風で出場選手の半数以上が80台を叩く悪コンディションの中、「75」で3位に浮上[9]。最終日の野口茂との優勝争いは最後までもつれたが、17番で6mを沈めバーディとして1歩抜け出して優勝し、2年連続開幕戦勝利を決める[9]。
1980年には関東プロで公式戦初優勝を飾り[10] [11]、自己最高の賞金ランキング6位に入った[1]。かながわオープンでは初日に岩下吉久に次ぐと同時に泉川ピート・森憲二を抑え、田中文雄と並んでの2位タイ[12]でスタートし、最終日には田中をプレーオフで下して優勝[13]。
1981年のオーストラリアン・マスターズではグレッグ・ノーマン、テリー・ゲール、鈴木規夫・中嶋常幸に次ぐ7位[14]に入った。
1982年の日本オープンでは3日目に6バーディー、2ボギーでこの日ベストスコアタイの67をマークし、通算5アンダーで2位から首位に躍進[1]。最終日も安定したゴルフを見せ[15]、428mと距離の長い1番パー4でバンカーからの3打目を50cmに寄せてパーをセーブ[1]。追う選手が苦戦する中、矢部は5番で初バーディーを奪うと、9番はボギーとしたが10、11番連続バーディーで後続を一気に突き放した[1]。12番以降はパーにまとめて69とし、通算7アンダーは2位に5打差をつける快勝で、18番グリーンに向かいながら矢部は2度、3度とガッツポーズを繰り出した[1]。多くの選手がフェアウエーキープのため、刻みに徹する中、矢部は積極的にドライバーを握った[1]。当時、身長172cmながら体重が50kgしかないという超細身の体をしならせて振り切った[1]。コントロールしようとするよりもしっかりと振り抜いたほうが曲がらないという信念があったが、一方でグリーンを狙うショットは徹底して安全策を取った[1]。ショートアイアンでもグリーン中央に照準を定め、攻め過ぎてオーバーさせることを避け、勇気と冷静なマネジメントが融合したゴルフであった[1]。
1983年のかながわオープンでは河野高明・東聡・秋富由利夫・河野和重に次ぎ、湯原信光・中村忠夫・豊田明夫・中村通と並んでの5位タイ[16]に入った。
その後は左手首を痛めるなど体調の方が十分でなかったが、1984年にはブリヂストン阿蘇で重信秀人・長谷川勝治と優勝争いを繰り広げ、1985年のマッチプレーでは高橋勝成と決勝で争い、ポカリスエットも青木基正と2差の2位を演じている[17]。
1985年は開幕戦から関東プロまで出ずっぱりの15試合を予選落ちなし、5試合がベスト10入りと張り切ったが、夏バテとなって痩身を見舞い、夏以降は関東オープン7位、広島オープン5位があるだけで、後は散々の出来であった[17]。それでもシーズン通じて予選落ちは5試合だけであり、平均パット数29.31は9位、平均ストローク72.49は21位を記録[17]。
1988年の全日空オープン[18]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア入り後も活躍。年齢を重ねても研鑽を怠らず、グランドシニアやスーパーシニアの部で抜群の強さを発揮[2]。2014年に初出場した日本プロゴールドシニアで優勝し、連覇を狙った2015年は2位タイであった[2]。
主な優勝
[編集]レギュラー
[編集]- 1978年 - くずは国際、長野県オープン
- 1979年 - 静岡オープン
- 1980年 - ’80デサントカップ北国オープン、関東プロ、かながわオープン
- 1982年 - 日本オープン
シニア
[編集]- 2007年 - HANDA CUP関東プログランドシニア
- 2008年 - 関東プログランドシニア
- 2014年 - スターツシニア
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 第47回日本オープンゴルフ選手権(1982年)
- ^ a b c d 匠の戦略思考に学ぶ極上のコースマネジメント術【矢部昭1】
- ^ トッププロの自信にふれる、感動と出会う。プロゴルファーのアテンド・サービス
- ^ 朝日新聞縮刷版p545 昭和53年4月16日朝刊19面「矢部が初日トップ くずはゴルフ」
- ^ a b 朝日新聞縮刷版p577 昭和53年4月17日朝刊19面「矢部が初栄冠 くずはゴルフ」
- ^ 矢部昭 男子プロゴルファー “くずは国際ゴルフ・トーナメント” 最終日 優勝
- ^ ゴルフ場開場 History - 公式ホームページ | くずはゴルフリンクス
- ^ 朝日新聞縮刷版p226 昭和53年7月7日朝刊16面
- ^ a b 【ゴルフ初物語】Vol.73 男子開幕戦といえば、かつては強い海風が名物の「静岡オープン」だった
- ^ 1980年06月29日 矢部昭が初優勝 関東プロゴルフ最終日
- ^ 矢部昭(東名川崎) 男子プロゴルファー “関東プロゴルフ選手権” 最終日 優勝(著作権・スポニチ)
- ^ 朝日新聞縮刷版p189 昭和55年7月5日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p228 昭和55年7月6日朝刊16面
- ^ 朝日新聞縮刷版p50 昭和56年3月2日朝刊18面「スポーツ短信☆鈴木規が二位」
- ^ 競技会開催 | 武蔵カントリークラブ
- ^ 朝日新聞縮刷版p934 昭和58年7月25日朝刊18面
- ^ a b c 矢部 昭選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ 矢部 昭選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
外部リンク
[編集]- 矢部昭 - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール