小川清二
Seiji OGAWA | |
---|---|
基本情報 | |
名前 | 小川 清二 |
生年月日 | 1942年10月29日(82歳) |
身長 | 173 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 75 kg (165 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
経歴 |
小川 清二(おがわ せいじ、1942年10月29日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]1970年の日本オープンでは最終日に67をマークし、河野光隆と並んでの7位タイ[2]に入った。
1973年の関東オープンでは初日を高橋信雄・陳清波(中華民国)と並んでの3位タイ[3]でスタートし、ファーストフライトでは河野高明・尾崎将司、ベン・アルダ(フィリピン)、石井裕士・高橋に次ぐと同時に村上隆・青木功・鷹巣南雄・橘田規を抑えての6位[4]に入った。
1975年の沖縄クラシックでは初日に小雨がぱらつき、10mを超す突風が吹き荒れる悪コンディションの中を3アンダー69で首位に立つ[5] [6]。2日目には日吉定雄と並んでの9位タイ[7] [8]に後退するが、3日目には内田繁・日吉と並んでの4位タイ[9] [10]に再び浮上し、最終日には吉川一雄と並んでの7位タイ[11] [12]に終わった。
40歳になってからは1ホールごとを大事にできるようになったと共にヘッドアップしなくなり[13]、プロ15年目の1983年[13]には和歌山オープンで初優勝し[1]、広島オープンでツアー自己最高の4位に入った[13]。ジーン・サラゼン ジュンクラシックでは初日を山本洋一・丸山智弘・重信秀人・金子柱憲と並んでの10位タイ[14]でスタートし、41歳の誕生日を迎えた3日目には5バーディー、1ボギーの好調なゴルフでベストスコア68をマークし、前日までの14位から一気に首位の尾崎将と1打差の2位[15]まで浮上[13]。同大会までにすでに自己ベストの410万円を獲得し、最終日最終組でのプレーは1975年の沖縄クラシック以来となった[13]。
1984年には千葉県オープンで中島秀徳と並んでの5位タイ[16]に入り、埼玉オープンで2勝目[1]を挙げた。
1985年の埼玉オープンでは佐野修一・新井規矩雄と並んでの4位タイ[17]、1987年の千葉オープンでは牧野裕・中村忠夫・長谷川勝治に次ぐと同時に中尾豊健・磯崎功と並んでの4位タイ[18]に入り、1990年の関東プロ[19]を最後にレギュラーツアーから引退。
1992年にはBMWクラシックin北海道サム・スニードカップでは小川貞雄、エリュテリオ・ニバル(フィリピン)、ビル・ダンク(オーストラリア)、宮本省三と並んでの9位タイ[20]、近鉄ホームシニア8位[21]、スポーツ振興カップで郭吉雄(中華民国)・人見俊広と並んでの4位タイ[22]、とうきゅうシニアカップでは上田鉄弘・鈴村照男と並んでの2位タイ[23]、鳳凰カップでは鈴村久と並んでの5位タイ[24]に入った。
1993年には関東プロシニアで杉本英世と並んでの8位タイ[25]、マルマンシニアでゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)と並んでの9位タイ[26]、ヤナセカップでは石井と並んでの8位タイ[27]、アイスターカップ'93では10位[28]、旭国際ヴィンテージでは寺本一郎・宮本と並んでの6位タイ[29]、'93緑営グループ杯シニアでは勝俣功と並んでの8位タイ[30]に入った。
1994年は日本プロシニアでは天野勝と並んでの3位タイ[31]、コマツオープンでは天野・ダンクと並んでの2位タイ[32]、HTBシニアでは新井規矩雄と並んでの2位タイ[33]、名古屋テレビカップでは新井・河野光隆・鈴村照と並んでの4位タイ[34]、鳳凰カップで謝永郁(中華民国)と並んでの6位タイ[35]、旭国際ヴィンテージでは上田・許渓山(中華民国)・橘田光弘・ダンク・寺本と並んでの7位タイ[36]に入った。
1995年は日本プロシニアで郭吉・河野高明・小林富士夫と並んでの9位タイ[37]、HTBシニア7位タイ[38]、コマツ名古屋テレビオープン7位[39]、とうきゅうシニアカップでは新井と並んでの2位タイ[40]に入った。
1997年にはTPCスターツシニアでは最終日の最終ホールまで金井清一と死闘を繰り広げ、シニア初優勝を飾った[41]。コマツ名古屋テレビオープンでは中山徹を抑えて[42]2勝目を挙げ、2000年には日本シニアオープンで海老原清治と並んでの4位タイ[43]、2001年のキャッスルヒルオープンでは曽根保夫と並んでの7位タイ[44]に入った。
2017年には病院で前立腺肥大と診断され、癌の可能性もある中、医師同行でスターツシニアに出場[45]。初日には奥田靖己と同組で、最終18番での執念のバーディでエージシュートを決めた[45]。
2019年には金秀シニア沖縄オープン、関東プロゴールドシニア、日本プロゴールドシニアの3試合に出場して計6ラウンド全てエージシュート達成という快記録を樹立し、スターツシニアも1バーディー・5ボギーの76でエージシュート連続達成ラウンド数を「7」に伸ばした[46]。
主な優勝
[編集]- レギュラー
- 1983年 - 和歌山オープン
- 1984年 - 埼玉オープン
- シニア
- 1997年 - スターツシニア、コマツ名古屋テレビオープン
- 2010年 - 日本プロゴールドシニア
脚注
[編集]- ^ a b c 小川 清二 オガワ セイジ SEIJI OGAWA
- ^ 第35回日本オープンゴルフ選手権(1970年)
- ^ 朝日新聞縮刷版p236 昭和48年9月7日朝刊18面「無名の菊地がトップ パットさえ、5アンダー 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p847 昭和48年9月24日夕刊5面「18アンダー河野高優勝 ファーストフライト・ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p389 昭和50年1月17日朝刊15面「ゴルフ、南から幕あく 初日、小川69でトップ 沖縄クラシック」
- ^ 朝日新聞縮刷版p433 昭和50年1月17日朝刊17面「3アンダー小川リード 沖縄クラシック」
- ^ 毎日新聞縮刷版p413 昭和50年1月18日朝刊11面「上田、一挙トップ 沖縄ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p463 昭和50年1月18日朝刊15面「上田がトップ 青木らは失格 沖縄クラシック・ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p440 昭和50年1月19日朝刊14面「沼沢首位奪う 沖縄ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p491 昭和50年1月19日朝刊15面「沼沢が単独トップ 沖縄クラシック・ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p461 昭和50年1月20日朝刊15面「沼沢、手がたく"初笑い" プロ入り七年目の栄冠 沖縄ゴルフ最終日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p518 昭和50年1月20日朝刊18面「沼沢が初優勝 沖縄クラシックゴルフ」
- ^ a b c d e 毎日新聞縮刷版p1024 昭和58年10月30日朝刊18面「尾崎、首位をキープ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p949 昭和58年10月28日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p1187 昭和58年10月30日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p417 昭和59年7月11日朝刊17面
- ^ 毎日新聞縮刷版p407 昭和60年7月12日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p624 昭和62年7月15日朝刊20面
- ^ 小川 清二選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 各日最終成績 BMWクラシック in 北海道サム・スニードカップ
- ^ 各日最終成績 インターナショナルゴルフトーナメント 近鉄ホームシニア
- ^ 各日最終成績 92スポーツ振興カップ
- ^ 各日最終成績 五島 昇メモリアル とうきゅうシニアカップ
- ^ 各日最終成績 第6回 鳳凰カップゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 '93スプリングス杯 関東プロゴルフシニア選手権大会
- ^ 各日最終成績 93マルマンシニアゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 第8回 ヤナセカップゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 アイスターカップ'93
- ^ 旭国際ヴィンテージクラシック ゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 93緑営グループ杯シニアゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 94日本プロゴルフシニア選手権大会
- ^ 各日最終成績 コマツオープン'94
- ^ 各日最終成績 HTBシニアクラシック
- ^ 各日最終成績 第4回 名古屋テレビカップ
- ^ 各日最終成績 第8回 鳳凰カップゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 旭国際ヴィンテージクラシック ゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 95日本プロゴルフシニア選手権大会
- ^ 各日最終成績 HTBシニアクラシック
- ^ 各日最終成績 コマツ名古屋テレビオープン
- ^ 各日最終成績 五島 昇メモリアル とうきゅうシニアカップ
- ^ <スターツシニア>挑戦を続ける歴代チャンピオン小川清二、75歳「エージシュートを狙う!」
- ^ 各日最終成績 コマツ名古屋テレビオープン
- ^ 各日最終成績 日本シニアオープンゴルフ選手権競技
- ^ 各日最終成績 キャッスルヒルオープン
- ^ a b ドクター同行で試合後も検査…74歳・小川清二が執念のエージシュート
- ^ 〔スターツシニア・1R〕76歳小川は76ストローク、見事エージシュート達成