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田原市立野田小学校

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田原市立野田小学校
地図北緯34度39分14.3秒 東経137度12分15.4秒 / 北緯34.653972度 東経137.204278度 / 34.653972; 137.204278座標: 北緯34度39分14.3秒 東経137度12分15.4秒 / 北緯34.653972度 東経137.204278度 / 34.653972; 137.204278
過去の名称 野田村立野田小学校
田原町立野田小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 田原市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210008265 ウィキデータを編集
所在地 441-3432
愛知県田原市野田町宮前1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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田原市立野田小学校(たはらしりつ のだしょうがっこう)は、愛知県田原市野田町にある公立小学校

概要

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沿革

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  • 1873年(明治6年)10月 - 第10中学区内第60番野田学校として開校する。法華寺[2]を仮校舎とする。
  • 1876年(明治9年)3月 - 校舎を新築し移転。
  • 1879年(明治12年)12月 - 仁崎村に仁崎学校が開校する。
  • 1880年(明治13年)9月 - 野田学校が野田村字籠田65の1に校舎を新築し、移転。第10中学区内第36番野田学校に改称する。
  • 1887年(明治20年)4月 - 仁崎学校と大久保学校が野田学校に統合される。野田村、芦村、仁崎村、大久保村の四か村合同学校となり、尋常小学野田学校に改称する。旧・仁崎学校が仁崎分教場、旧・大久保学校が大久保分教場となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 野田村、芦村、仁崎村、大久保村が合併し、野田村が発足。
  • 1891年(明治23年)4月15日 - 野田村から大久保村が分立する。
  • 1891年(明治24年) - 野田尋常小学校に改称する。仁崎分教場が仁崎尋常小学校、大久保分教場が大久保尋常小学校[3]として分離独立する。
  • 1892年(明治25年) - 高等科を設置し、野田尋常高等小学校に改称する。
  • 1910年(明治43年) - 仁崎尋常小学校を統合する。
  • 1918年(大正7年) - 農業補習学校を併設する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 野田村野田国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 野田村立野田小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 田原町、野田村、神戸村と合併し、改めて田原町となる。同時に田原町立野田小学校に改称する。
  • 1962年(昭和37年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成する。
  • 1963年(昭和38年) - 校舎を増築する。
  • 1973年(昭和48年) - 屋内運動場が完成する。
  • 1977年(昭和52年) - プールが完成する。
  • 1983年(昭和58年)4月 - 渥美郡田原町と北設楽郡津具村との交流が開始され、野田小学校と津具村立津具小学校との交流が始まる。
  • 2003年(平成15年)8月20日 - 田原町が赤羽根町を編入し市制施行。田原市が発足。同時に田原市立野田小学校に改称する。
  • 2006年(平成18年)3月 - 前年10月に津具村と設楽町との合併で設楽町が発足した影響により、津具小学校との交流が休止となる。
  • 2008年(平成20年)9月1日 - 現在地に新校舎が完成し、移転する。
  • 2016年(平成28年)2月28日 - 新体育館が完成する。

交通アクセス

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東海道新幹線東海道本線飯田線豊橋駅(東口・豊橋駅バスセンター)より豊鉄バス伊良湖本線「伊良湖岬」行。
豊橋鉄道渥美線三河田原駅より豊鉄バス伊良湖本線「保美」(江比間経由)、「伊良湖岬」行。

周辺施設

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参考文献

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  • 田原町史編纂委員会・田原町文化財保護審議会『田原町史 下巻』田原町教育委員会・田原町1978年、pp. 189-205 209-210 469-474 1005-1070
  • 愛知県渥美郡役所『渥美郡史』1923年、pp. 995-1012

脚注

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  1. ^ 田原市小中学校通学区域一覧表(平成31年4月1日現在)
  2. ^ 現在の愛知県田原市野田町柳橋7にある寺院。
  3. ^ 田原町史下巻P.209の田原南部小学校の説明では、大久保尋常小学校の分離は1892年。

注釈

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関連項目

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外部リンク

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