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玉井正夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たまい まさお
玉井 正夫
生年月日 (1908-10-03) 1908年10月3日
没年月日 (1997-05-26) 1997年5月26日(88歳没)
出生地 日本の旗 日本愛媛県松山市[1]
民族 日本人
職業 撮影監督
ジャンル 映画
活動期間 1925年 - 1963年
配偶者 玉井好恵(妻)
受賞
毎日映画コンクール
撮影賞
1951年めし[1][2]
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玉井 正夫(たまい まさお[2][3]1908年明治41年〉[3]10月3日[4] - 1997年平成9年〉[3]5月26日[4])は、日本の撮影監督愛媛県松山市出身[1][3]

来歴・人物

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1924年(大正13年)に大阪写真塾を出て帝国キネマ小坂撮影所に入り、1928年(昭和3年)に市川右太衛門プロダクションに移って『野獣』でデビュー[1][3]。1932年(昭和7年)には日本映画撮影監督協会設立に参加[3]。1933年(昭和8年)には日本カメラマン協会を設立。1936年(昭和11年)にJ.O.スタヂオに転じる[1][2]。その後、J.O.スタヂオがP.C.Lなどと合併して発足した東宝に所属し[2][3]、東宝の看板撮影監督の一人となった。特に成瀬巳喜男監督とのコンビで、数々の名作にカメラマンとして就いた。『ゴジラ』の監督を務めた本多猪四郎は、玉井を正攻法で撮るベテランであったと評している[2]。1961年(昭和36年)に第一光映社に転属。1965年(昭和40年)に現役を引退し、後進の育成に務めた[3]

本多とは隣に住んでいた時期もあり、家族ぐるみの付き合いがあったという[2]

1997年5月26日午前5時20分に心不全のため死去(享年88歳)[5]

作品

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受賞歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 玉井正夫 コトバンク 20世紀日本人名事典
  2. ^ a b c d e f 「本多猪四郎監督 長編インタビュー(2)」『ゴジラ/ゴジラの逆襲/大怪獣バラン』東宝出版事業部〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.3〉、1985年5月1日、228頁。ISBN 4-924609-07-2 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 初代ゴジラ研究読本 2014, pp. 236–237, 「初代ゴジラスタッフ評伝」
  4. ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「10月2日 / 10月3日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、285頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  5. ^ 読売新聞1997年5月26日夕刊15面より

参考文献

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外部リンク

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